1. Home
  2. 社会・教養
  3. 朝日新聞記者の将棋の日々
  4. 孤高の棋士・豊島将之名人が強い信念でたど...

朝日新聞記者の将棋の日々

2019.08.07 更新 ツイート

孤高の棋士・豊島将之名人が強い信念でたどり着いた最高峰のタイトル村瀬信也(朝日新聞 将棋担当記者)

7月19日に行われた就位式で謝辞を述べる豊島将之名人。平成生まれ初の名人となった。(村瀬信也 撮影)

「負けました」

5月17日午後8時59分。133手目「6四桂」を見た佐藤天彦名人が、はっきりとした声で投了を告げた。福岡県飯塚市で行われた第77期将棋名人戦七番勝負第4局。挑戦者の豊島将之二冠が勝利し、平成生まれの名人が初めて誕生した。

 
3連覇中だった王者、佐藤天彦名人を4連勝のストレートで見事に破った。(村瀬信也 撮影)

将棋界のタイトルで最も伝統があり、最高峰に位置づけられる「名人」。手中に収めた喜びは、いかばかりか。主催社代表としてインタビュアーを務めた私は、質問しながら豊島の表情を注視した。

「4局で自分なりに納得いく将棋が指せて、結果も出せたので、良かったと思います」。新名人は普段と変わらないポーカーフェイスのまま、そう述べた。

9歳で棋士養成機関「奨励会」に入った豊島は、プロ入り前から「将来の名人」の呼び声が高かった。昨年、念願の初タイトルを獲得してからは、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いにある。名人戦初登場での4連勝は、史上初の快挙だ。

しかし、感想戦を終えた後の記者会見でも、豊島は気が緩む様子を見せなかった。

「無冠の時期が長かったので、ここまで活躍できるとは思いませんでした」

「順位戦では、どのクラスも結構苦戦しました。特にB級1組でなかなかA級に上がれなくて、名人戦の舞台に立つことも難しいのかと思っていました」

表情は対局直後より和らいでいたものの、控えめなコメントが続いた。

名人戦第4局の後、記者会見をする豊島新名人と、将棋連盟の常務理事・井上慶太九段。(村瀬信也 撮影)

16歳でプロ入り、弱冠20歳でタイトルに挑戦――。順風満帆かと思えた道のりは、そこからが険しかった。

王座戦、棋聖戦で羽生善治九段に挑戦したものの、敗退。順位戦では、「鬼のすみか」と呼ばれるB級1組で足踏みし、4期在籍した。年々激しさを増す競争を勝ち抜くのは、名人候補の逸材でさえも簡単なことではなかった。

飛躍の契機となったのが、人工知能(AI)との出合いだ。2014年、棋士とAIが対戦する「電王戦」に出場したのを機に、AIを用いた研究に力を注いだ。2年前の朝日新聞の取材では、「自分の将棋とは隔たりがあったが、最近、うまく重なるようになってきた」と手応えを語っている。新しい技術をうまく活用できたのは、柔軟性に富んだ新時代の棋士ならではと言えるだろう。

一方で私は、豊島のストイックな姿勢と信念の強さに凄みを感じる。他の棋士との練習将棋をスッパリとやめ、AIの手が映し出されるモニターと向き合う日々。AIは、人間のように助言をくれたり、話し相手になったりはしてくれない。だが、孤高を極めた先に、トンネルの出口はあった。それまでに味わった苦悩は、常人には想像もつかない。

「名人戦は、子どもの頃からの憧れでした」

壇上の豊島がそう切り出すと、にぎやかだった会場は静まりかえった。

7月19日。東京都文京区で開かれた名人就位式は約480人の来場者でにぎわった。その中には、大阪から駆けつけた豊島の2人の恩師の姿もあった。指導棋士の土井春左右(はるぞう)七段と、師匠の桐山清澄九段だ。

細身で少年の面影を残す豊島は、「きゅん」の愛称で知られる。だが、紋付き袴に身を包んで謝辞に立つ姿は、いつもより大きく見えた。思うように結果を出せなかった日々を振り返った後、こう続けた。

「心が折れそうになった時もありましたが、支えてくださる方、応援してくださる方のおかげで努力を続けていくことができました」

ハキハキとした口調で語られる言葉には、この日を待ち望んだ人たちへの感謝の念が強く込められていた。

人は誰しも運命的な出会いがある。豊島の場合、それは土井、そして桐山との出会いだった。土井は、5歳の豊島が関西将棋会館の道場を見学した際に見せた、人並み外れた集中力に目を留め、小学3年でアマ六段になるまでに育て上げた。桐山は、奨励会に入った豊島を毎月自宅に呼び、指導した。「師匠や土井先生がいなかったら、棋士になっていなかった」。豊島はそう述懐する。

式では、土井が祝辞を述べた。豊島と将棋盤を挟んだ日々を振り返る約5分間のスピーチには、万感の思いがにじんだ。乾杯の発声を務めた桐山は、自らが果たせなかった夢をかなえた弟子の前でこう語った。

「昨年の順位戦の大詰めで、本当にあと一歩というところで挑戦権を逃した彼の胸中は、言いようのない苦しさがあったと思います。その影響を心配しましたが、今年の5月、名人のタイトルを獲得してくれました。私にとっても思い入れのあるタイトルですので、うれしく思っています」

就位式にて、祝辞を述べる指導棋士の土井春左右(はるぞう)七段。(村瀬信也 撮影)

孤高の姿勢で将棋に取り組む豊島は、決して孤独ではなかった。桐山が「乾杯!」と言ってグラスを掲げると、会場はほどなくして万雷の拍手に包まれた。

関連キーワード

{ この記事をシェアする }

コメント

この記事を読んだ人へのおすすめ

幻冬舎plusでできること

  • 日々更新する多彩な連載が読める!

    日々更新する
    多彩な連載が読める!

  • 専用アプリなしで電子書籍が読める!

    専用アプリなしで
    電子書籍が読める!

  • おトクなポイントが貯まる・使える!

    おトクなポイントが
    貯まる・使える!

  • 会員限定イベントに参加できる!

    会員限定イベントに
    参加できる!

  • プレゼント抽選に応募できる!

    プレゼント抽選に
    応募できる!

無料!
会員登録はこちらから
無料会員特典について詳しくはこちら
PAGETOP