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朝日新聞記者の将棋の日々

2020.07.26 更新 ツイート

フリークラスからの「復活宣言」――50歳を迎える森内九段の覚悟と挑戦村瀬信也(朝日新聞 将棋担当記者)

2019年7月5日の朝日杯将棋オープン戦1次予選の対局時。(村瀬信也撮影)

その日私は、東京・神宮前にあるインターネットテレビ「ABEMA」のスタジオに向かっていた。2019年7月5日。朝日杯将棋オープン戦の1次予選に臨む、ある棋士を取材するためだった。

 

森内俊之九段。タイトル獲得12期、そして十八世名人の資格を持つ、言わずと知れた名棋士だ。現在はフリークラスに在籍しており、名人戦につながる順位戦には参加していない。朝日杯での対局は、主催棋戦の担当記者という立場だからこそ自由に取材できる貴重な機会だった。

この日の相手は、朝日杯ベスト4の経験もある伊藤真吾五段。先手の伊藤が「角換わり」を選び、積極的に攻めかかる。相手の攻めをがっちり受け止めるのは森内が得意とする展開だが、この日はなかなか反撃に転じられない。準優勝の経験もある朝日杯だったが、初戦で姿を消す結果となった。

 

2017年3月31日。日本将棋連盟から出された「2017年度からのフリークラス転出者」というプレスリリースに、意外な人の名前があった。前月にA級陥落が決まった森内だ。

2月25日のA級最終局で稲葉陽八段に敗れた森内は、3勝6敗で無念の降級が決まっていた。対局後、「ここ2、3期、内容も結果も良くなかった。仕方ないと思っている。新たな気持ちで頑張りたい」と話していた。私は、B級1組で再起を期すのだとばかり思っていた。

前述のプレスリリースには、森内のコメントが載っていた。

「この度、フリークラスに転出することに致しました。平成28年度のA級順位戦で降級となったことを受けて出した結論です。順位戦での歴代連勝記録更新や、名人戦での数多くの対局など、思い出深い経験を沢山させていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。
今後は、その経験を生かして、対局者とは別の立場で順位戦・名人戦を盛り上げていければと思っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。」

潔い、いや、「潔すぎる」と言ってもよい決断だった。

2013年の第71期名人戦七番勝負第1局に臨む森内九段。(村瀬信也撮影)

将棋界における「名人」は、全棋士の頂点に立つ特別なタイトルと言える。中でも、5期以上獲得して永世名人の資格を得た棋士たちは、引き際も注目の的となる。かつて大山康晴十五世名人が「A級から陥落したら引退」とささやかれながら、69歳で現役のまま死去するまでその地位を守り続けたことは語りぐさとなっている。

ただ、その後、中原誠十六世名人と十七世名人の資格を持つ谷川浩司九段は、陥落後もB級1組で戦った。永世名人ではないが、加藤一二三九段はC級2組でも指し続けた。77歳でフリークラスへの降級が決まるところまで指し、引退したのは記憶に新しい。

それだけに、名前を挙げた棋士たちより若い森内の選択は意外に感じられた。B級1組に落ちても、また好成績を挙げればA級に復帰できるし、それを果たした例は数多い。何しろ、フリークラスに転出すると、もう名人の座を目指すことはできなくなるのだ。

「フリークラス転出は、いつ心に決めたのか。迷いはなかったのか」。その心中に迫りたいと考えた私は、機会をうかがっていた。冒頭の取材も、「何か糸口はつかめないだろうか」という気持ちから足を運んだものである。だが、なかなかそのタイミングが見いだせないうちに月日は過ぎていった。

 

今年6月、好機が訪れた。朝日新聞紙上で連載している藤井聡太棋聖の記事に関して、森内を取材することになったのだ。かつて名人の地位にあった時は取材の機会が度々あったが、改まって話をするのは久しぶりのことだった。

藤井棋聖と対戦した時のこと、実際に盤を挟んで感じたその強さ――。私が用意した質問に、森内は快く答えてくれた。それらに耳を傾ける一方、フリークラス転出に関する質問をいつ切り出そうかと考えていた。

2020年6月、取材に応じる森内九段。(村瀬信也撮影)

だが、私の思惑とは裏腹に、インタビューは意外な方向に展開していく。話題が、人工知能を搭載した将棋ソフトに及んだ時のことだ。研究にソフトを取り入れる棋士は今や珍しくないが、森内もここのところ、そうした研究に力を入れているのだという。

「ソフトで研究するのは、日々発見があって面白いです。毎日自分が強くなっている実感があります。コロナ禍の時は時間があったので、いろいろと見直しました」
その上で、森内はこう続けた。

「勝っていた頃の自分と比べて、今の自分が負けるとは思いません。今は去年の自分より75%勝つことが目標です。今後、数字でお示ししたいと思います」
思わぬ言葉に、私はすぐに二の句が継げなかった。

 

一般に、棋士のピークは20代半ばから30代半ばまでと言われている。現在のタイトル保持者の顔ぶれを見ればわかるように、現在もその世代を中心に覇権争いが繰り広げられている。いくら将棋界の頂点を極めた森内とはいえ、今年50歳になる棋士がこれまで以上の成績を残すのは容易ではないはずだ。しかし、本人から発せられるその言葉には、こちらの勝手な観測を吹き飛ばすような力強さがあった。

聞きたかった「フリークラス転出を決めた経緯」についても尋ねた。A級から陥落した際の身の振り方については、以前から考えていたのだという。

「永世名人は、数少ない人にしか与えられない称号です。その資格を得た時に、A級から陥落したらどうするのかを考えないといけない、と思いました。相撲の世界の話ですが、横綱になった時点で『いつ辞めるか』を意識しないといけない、という文章も読んだことがありましたので」

常人には実感できない「覚悟」に触れる思いがしたが、その後に飛び出した言葉は、またもやこちらが予期しないものだった。

「A級から陥落した当時は、B級1組で巻き返せるめども立ちませんでした。ただ、自信があればやったかもしれません。今なら、B級1組で指すことを選んだかもしれません」

現役の一流棋士が感じた己の実力不足と、挫折を経て手にした自信。棋士の真情が凝縮された言葉に、私はただただ圧倒されていた。

 

7月4日、森内は多くの将棋ファンが注目する大舞台に立っていた。棋士が3人1組のチームを組み、早指しで戦う団体戦「AbemaTVトーナメント」。非公式戦とはいえ、優勝賞金1千万円がかかるビッグマッチの本戦1回戦だ。

森内は、佐藤康光九段と谷川浩司九段という豪華メンバーがそろう「チーム康光」の1人として出場。「早指しは若手の土俵」というのが将棋界の定説だが、このトーナメントで森内はその実力を見せつけている。予選では4勝1敗でチームの本戦入りに貢献。そして、この日もタイトル獲得7期の久保利明九段らに3連勝。準決勝進出の原動力となった。

トーナメントは、本戦から生中継で行われている。ライブの熱気も手伝ったのか、ネット上には森内の強さをたたえる言葉があふれた。だが、数日前に本人を取材した私にとっては、ある意味で「納得」とも言える結果だった。どちらかというと慎重な物言いが目立つ森内の「復活宣言」は、それぐらいの説得力があった。

 

森内は2017年、日本将棋連盟の専務理事に就任した。「これまでとは違う形で将棋界に貢献しよう」と考えた末の選択だったが、初めて直面する組織運営の仕事をするうちに、自分が思うような働きができないと感じるようになったという。2年後の「理事選に立候補せず」というニュースに驚いた人も少なくなかった。だが、森内の本来の将棋をまた期待できるという意味では、それは悪いニュースではなかったのかもしれない。

森内は6月、YouTubeのチャンネル開設を発表した。「今年50歳になるので、今まで培ってきたことをこれまでとは違う形で発信しようと考えた」ためで、将棋だけでなく他のボードゲームなども扱っていくという。対局に、そして普及活動に。森内は新たなステージへと、大きく一歩を踏み出している。

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コメント

小久保剛志(こっくん)  常に過去の自分を超えようと努力する姿勢に感激。 フリークラスからの「復活宣言」――50歳を迎える森内九段の覚悟と挑戦|朝日新聞記者の将棋の日々|村瀬信也(朝日新聞 将棋担当記者) - 幻冬舎plus https://t.co/toAIbP8vVp 7日前 replyretweetfavorite

日本暗号資産市場 岡部典孝  フリークラスからの「復活宣言」――50歳を迎える森内九段の覚悟と挑戦|朝日新聞記者の将棋の日々|村瀬信也(朝日新聞 将棋担当記者) - 幻冬舎plus https://t.co/zZ1o8GcQgy 8日前 replyretweetfavorite

みやぱんだ  フリークラスからの「復活宣言」――50歳を迎える森内九段の覚悟と挑戦|朝日新聞記者の将棋の日々|村瀬信也(朝日新聞 将棋担当記者) - 幻冬舎plus https://t.co/1TSIY0WCXq 随分な発言されてて期待しかないな。いやはや全盛期を超えるとな 8日前 replyretweetfavorite

透析テツ(脱被曝)  フリークラスからの「復活宣言」――50歳を迎える森内九段の覚悟と挑戦|朝日新聞記者の将棋の日々 同じ年齢の永世名人が2人出た羽生世代、やはり圧倒的な強豪集団でしたね。 https://t.co/XvdFct6Lah 8日前 replyretweetfavorite

山之辺一人(脱被曝)  フリークラスからの「復活宣言」――50歳を迎える森内九段の覚悟と挑戦|朝日新聞記者の将棋の日々 同い年の永世名人が2人、は歴史上この2人だけかも知れませんからね。普通はまず、出ませんので……。 https://t.co/rOGYHQTq0K 8日前 replyretweetfavorite

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