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古典にすべてが書かれている。

2019.08.05 更新 ツイート

とにかく生きよ。人生の教訓に満ちた不朽の名著『エセー』坂口孝則

◎今回取り上げる古典:『エセー』(モンテーニュ)
 


誤読が新しい解釈を生む

かつて、私はロックやメタルを聴いては、耳でその音をコピーしていた。中学から高校のころだ。私はさほど耳が良いわけではない。コピーする。そして、雑誌などを買って答え合わせをする。すると、一部が間違っている。「これ正しいの?」と疑って、違う雑誌を買ってみる。すると、やはり私が間違っているとわかる。

これは多くの音楽少年が経験する道かもしれない。どうしても聞き取れない音やコードがある。3歳くらいから音楽教育を受けているわけではないから、絶対音感もない。だから、自分には楽器を弾く才能がないのではないかと絶望に浸る。

私が当時、購入していた音楽雑誌で、忘れられないコメントがあった。細かな文面は異なるかもしれない。ただ、文意は正しいはずだ。まず、その雑誌にはQ&Aコーナーがあった。そして、ある読者が、プロのミュージシャンに、「自分はどうしても、正しい音を耳で聞き取れない」と相談していた。

すると、回答者であるプロミュージシャンは「しかし、間違っていても、あなたにはそう聞こえたのだから、いいじゃないですか」と答えていた。そして、「新たな楽曲を作っているようなものです」といった答えに感心した。いまでは、ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論に通じるような議論を想起する。しかし、私がいいたいのは、そのような衒学的な内容ではない。

あるひとが、Aという音を送る。Aと受け取るひとがいる。しかし、なかには、Bと受け取るひとがいる。その誤配によって、違う解釈が生まれ、あらたな創造物が誕生する可能性がある。

音痴と聞き取りベタを棚に置いたまま、私はすばらしい可能性を感じたものだった。ややおおげさにいえば、世界の可能性が開いた気がした。「正確に読まなくてもいい」「正しく聴かなくてもいい」。そのあとの、自分の咀嚼が価値あるものであれば、それはすべて肯定される――。世界は自由なのだ。

私が、古典を誤読してもいいのでなんらかのヒントを得ようと訴える当連載の、30年も前のことだった。

 

『エセー』はモンテーニュおじさんが面白い小言

今回は、モンテーニュ『エセー』をとりあげたい。モンテーニュは、1533年に生まれ、1592年に鬼籍のひととなった。代表作である随筆集『エセー』は、自費出版で発売された同書は、世界中にひろまり、400年以上を隔てた現在でも読者を獲得し続けている。初版は1580年に出版されており、当時のモンテーニュは47歳だった。

同書は、聖書、あるいは哲学書とも、あるいは歴史書とも異なった。一つの確固たる主張があるわけではない。モンテーニュは、さまざまな事例や引用などをふまえ、迂遠しながら、想いを綴っていく。それは論理的な議論というよりも、直感と経験に支えられた、人生論にちかい。ただ、その徒然なるさまが、当時は、一つの発明だった。『エセー』は、いまでいうエッセイの嚆矢(こうし)となった。

古典は、ときとして読みにくい。有名であるにもかかわらず、まわりをみても、誰も読んでいない場合が多い。手短に結論だけ知りたい現代人にとって、まわりくどい。全体を通じて矛盾に満ちているようにも思える。『エセー』も、その知名度ほどには読まれていないように感じる。

古典になんらかの真実が書かれていて、一字一句を漏らさないように読まなければならないと考えてしまうと、さらに古典から遠ざかる。それよりも、私は、「なぜだか読み継がれてきた」事実を重視したうえで、寝そべりながら、適当に読んでみたいと思う。誤読と曲解してもいいから、そこから得た発想を大切にしたい。

とくに、この『エセー』は、「むかしのおじさまが、なかなか面白いことをいっているな」と軽く読むにふさわしい。それこそ、エッセイなのだから。さらに、居酒屋のトイレで見るような「オヤジの小言」とでも思うくらいがちょうどいい。さらに、頑固親父のそれである。

遠回りをしながら本質に近づく

モンテーニュは面白い事例を書いている。

<ある国では父親がその子供を、夫がその妻を、客人の楽しみに供して金をとる。ある国では母に自分の子供を生ませても、父親が娘と、あるいは息子と交わっても、恥にならない。ある国では祝宴の集まりにたがいに子供を貸し合う。(中略)ある父親は息子に道路のまんなかで打たれ、こづき廻されていたが、ある門の所まで来ると「やめろ」と命じた。というのは、自分も父親をそこまでしか引きずってこなかったし、それがこの家の伝統として息子が父親に加える虐待だったからである。>(P214~P216)

他国の風習について、フラットなまなざしを投げている。

これを受けて、モンテーニュは、次のように書く。

<習慣の偉力のもっとも大きな結果は、それがわれわれをしっかりとつかんで締めつけていることである。そのために、われわれはその把握から自分を取り戻して正気に立ち返り、習慣の命令を冷静に吟味し検討することができなくなっている>(P216)

なるほど、たしかにそうだ。

そして、ほんらいは、その国の法律や規則は、その習慣や生活観に根ざしたものであるはずだ。ただし、ひとすじなわではない。モンテーニュは、こう続ける。

<仕事とか、財産とか、私生活とかは、これを社会通念にゆだねなければならない。(中略)どんなものであろうと既存の法律を変更することには、それを動かしたときに生じる弊害を上廻るだけの明らかな利益があるかどうか、大いに疑問である>(P222)

とするのだ。

さらに、この文脈で、現状を変えるなと説いている。

<私は改革がどんな仮面をつけていようとこれを忌み嫌う。それにはそれだけの理由がある。というのは、それのきわめて有害な結果を見ているからである。何年も前からわれわれの上にのしかかっている改革はかならずしもすべてをなし終えたわけではないが、次のように言っても間違いはあるまい。「この改革は、はからずも、すべてを引き出し、すべてを生み出した。混乱や破壊までも生み出した。そしてこの混乱と破壊はその後、改革と無関係に、いや、これと反対の方向に進んでいった。この改革は自分をこそ責めなければならない」と>(P222)

と同時代の批判までしてみせる。

なお、私はモンテーニュの文章を意図的に切り取ってみせた。なぜならば、エッセイの起点が、このように、遠回りしながら、主張に近づいていくさまを説明したかったからだ。

エッセイであると同時に優れた実用書

また、これはまさにちょっと前にベストセラーになった、スパルタ教育の賛美に似ているではないか。

<子供を両親の膝下で教育することが正しくないことは誰しも認めることであります。自分の情愛が親たちをあまりに甘く優しくするからです。どんなに賢明な親たちでもそうなのです。彼らは子供の過失を懲らすこともできなければ、子供が子供らしく、荒っぽく、なげやりに育てられるのを黙って見ていることもできません。(中略)お子様を苛烈な訓練に馴らし、そうして脱臼や、疝痛や、焼灼や、牢獄や、拷問などの艱難辛苦にも堪えるように育てなければなりません>(P290、P291)

文体が変わるのはご愛嬌としておこう。たぶん、現代人が読んだら笑ってしまうと思う。スパルタ教育の極みのように感じるからだ。

しかし、私はここを読んだあとに、この『エセー』はエッセイであると同時に、すぐれた実用書であると思い知った。さきほど、私は改革を嫌うモンテーニュを、矛盾する存在のように描いた。事実はそうではない。彼が生きた時代は、改革の名の下で、争いや虐殺繰り返された時代だった。その時代において、自らの命を守るため、国民の命を守るための言説が必要だった。難しい哲学を振りかざすのではなく、“とにかく“改革という名の暴力行為に対抗する必要があった。

さらに、子どもをスパルタ教育せよと読めるものの、実際に、牢獄や、拷問などの艱難辛苦に遭う可能性は実際にあった。そのときに、“とにかく”生き抜くスキルと精神性をもつことはたしかに現実に立脚した意見にほかならなかった。

文脈とともにこのような読み方ができれば、古臭いとも思えた過去のコンテンツが、現代のヒントにあふれている書籍となる。極論と、しかし、現実に即したアドバイス。さらに、その内容が本音にあふれたものであれば読者をつかみえる。それがたとえ全員でなかったとしても、強烈な賛同者がいればビジネスとして成立する。

なにはともあれ“とにかく”生きることの肯定とその助言を与えてくれる書。その観点から読んでいただければ、この『エセー』から得られることは多い。

いや、なぜこの本が読みつがれてきたのだろう、と考えること自体が愉悦だけではなく、現状にプラスを与えるに違いない。きっと、“とにかく”そういうことなのだ。

正しい解釈にこだわらない読書会

9月にモンテーニュ『エセー』をとりあげ読書会を実施する。書籍をもってきていただければ大丈夫で、事前にお読みいただく必要はない。

・岩波文庫版「一」のみ持参
・電子書籍ではなく、紙版がふさわしい
・読んでいなくても参加可能
・可能なら気になった章を読む
・さらに可能なら「一」全編を読む

当日は意見交換をしながら、大胆に誤読してビジネス等のヒントを解説していきたい。
少しでもご興味あるかたのご参加を心からお待ちします。

 

<坂口孝則さんと古典を読む読書会概要>

《日程・図書》

第3回 9月5日(木)19時30分~21時30分
【常にウケるコンテンツを学ぶ】
モンテーニュ『エセー』(1/岩波文庫)

*各自で課題図書をご購入のうえ、当日ご持参ください。

《参加費》
2,500円

詳細・お申込みは、幻冬舎大学のお知らせページをご覧ください。

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坂口孝則

調達・購買コンサルタント/未来調達研究所株式会社取締役/講演家。
2001年、大阪大学経済学部卒業後、電機メーカー、自動車メーカーに勤務。原価企画、調達・購買、資材部門に従業。
製造業を中心としたコンサルティングを行う。
著書に『牛丼一杯の儲けは9円』『営業と詐欺のあいだ』『1円家電のカラクリ 0円iPhoneの正体』『仕事の速い人は150字で資料を作り3分でプレゼンする。』(小社刊)などがある。

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