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君が面会に来たあとで

2025.07.15 公開 ポスト

「ボートレーサーだったタカちゃん」500円で“予想”売ります。元選手のセカンドキャリアZ李

Xのフォロワーは90万人超、歌舞伎町での人間模様を描いた小説『飛鳥クリニックは今日も雨』(扶桑社)が大人気のZ李。今度はショートショートで、繁華街で起こる数々の不思議な事件を描く!

 

公営ギャンブルの中で、一番的中率が高いとも言われているボートレース。

舟券を握る熱い戦いの裏には、「予想師」と呼ばれる、レースの予想を売る人たちが存在するそう。

さて、今回の主人公は、元ボートレーサーの「予想師」。現役時代の経験をもとに、はたしてどんな予想を、披露してくれるのでしょうか?

 

 

*   *   *

ボートレーサーだったタカちゃん

 

後輩のタカちゃんは昔、ボートレーサーだった。

 

とはいえ、一流選手なんかではない。はっきり言って、世間では知らない人のほうが断然多いし、ましてや、タカちゃんの選手時代の後輩で現・舎弟のケンタなんて、知っている人はほとんどいないだろう。

競艇場に一緒にいても、誰にも話しかけられないんだから、相当マイナーな選手だったんだよ。

 

でも、そんなことは本人が一番分かってると思うんだよね。

 

「トップ選手よりもデカい金を、予想で稼いでやる」

 

ってのがタカちゃんの口癖だ。

 

Xで“元選手”を売りにして、500円だかで予想を売っている。

「これからは、場立ちじゃなくてSNSで、全国に届けるんだ」なんて言ってね。

これはタカちゃんの土俵を変えてのリベンジでもあるんだ。

 

「兄貴なら賞金王ですよ!」

 

ってケンタがかぶせてくるのが、定番の流れ。

俺はそれを見て「ふふっ」って笑いながら、やつらの予想を聞くんだ。

 

多摩川競艇15時10分。

今日もその予定のはずだった。

 

だが、今日のタカちゃんはいつもと違った。

なんつうかこう、目がポンでも食ったみたいに座っててさ。

なんだろうな、死地に向かう兵隊さんじゃないけど、分かる?

分かるわけねえか。見ないと分からないもんな、この雰囲気は。

 

いつものタカちゃんを演じてる感じというか。

「いつもの俺だぜ」って感じを、一生懸命出してるんだけど、全然違うんだ。

隠しきれない悲壮感。うん、これが一番、分かりやすいかもしれない。

なんか腹に決めてるもんがあるんだよ。でも、それを出さないようにしている。

 

「タカちゃんよお、ゼニ詰まってんだろ? なあんかおかしいよな」

「えっ? 兄貴、そんなことないですよね? そんなことあったら、兄貴は自分に言うもんね!」

 

集中してるだけ。タカちゃんはそう返した。

 

でもね、使ったらいけないゼニをぶちこんで、いなくなっちまったやつなんて何人も見てるからさ。分かるんだよね、俺は。

それこそ、雰囲気ってやつで。

 

こいつは、仲間内にも言えない何かを抱えてて、それを目の前のレースでどうにかしようとしている。

雰囲気でわかるんだマジに。

ケンタはバカだから分からないかもしれないけど、少なくとも俺には分かるんだ。

 

「タカちゃんよお、セカバンちょっと見せてみなよ」

 

ずっと膝の間でロックしてるから、こりゃあ大金入ってるぞって思って、そう聞いたんだ。

 

「なんすか? これ前から持ってるやつですけど?」

 

あれ、勘繰りだったのか? 

手渡されたセカバンには、くしゃくしゃのティッシュに、そんなに厚くない財布が入っているだけだった。

 

「いや、ヴィンテージのこういうの、俺も買おうと思って」

「何言ってんすか。これヴィンテージじゃなくてただのボロなのに」

 

なんなんだろう。

ぶちこもうとしてるゼニ忍ばせているわけでもないし。

それなら、この隠れた悲壮感的なやつは、一体なんなんだよ。

 

ほら、またやってる。

周回展示をこんな真剣な目で見るタカちゃんなんか、過去に見たことがない。

1Mを目視でガン見して、2Mなんか双眼鏡で見てるもんな。

双眼鏡はこれまでだって持ってきてる日はあったけど、使ってるのなんて見たこともない。もはやファッションだと思ってたくらいだ。

 

「澤田の2コースは3に絶対叩かせない。1-3は消す。それなら1-2-4か1-4-2しかない。だけど……」

 

確信めいた語り口のわりに、タカちゃんはうんうんと悩んでいた。

 

「だけど、何?」

「そこだと、安いんす」

 

たしかに、1-2-4と1-4-2は8倍くらいしかない。合成オッズで4倍くらい。

でも、タカちゃんはそういうところも、普通に狙いにいくスタイルのはずだが。

 

「やっぱり6コース、畑しかいないか。澤田と若林がやり合って2、3と流れれば……吉田と最内を、最後に畑が差せば1-4-6になる」

 

なんだかなあ。

もうタカちゃんの中では、舟や選手じゃなくて、オッズが走ってる状態だ。

パンクするやつは、最後の方はみんな“この状態”になる。

 

俺は何度も見てきてるからね。

最初に見たのは、二十歳の時の徹先輩。

競艇ではなく競馬だったけど、最後は「10倍にしなきゃ、10倍にしなきゃ……」って言って、馬じゃなくてオッズを見てた。

 

それでどうなったって?

ある日いきなり電源が切れて、街から消えたよ。

沖縄で仲間が、一度だけ見たって言ってたけど。

 

でもまあ、タカちゃんは別に、大金持ってきてるわけでもないからな。

マジに俺の考えすぎなのか? 

でもなあ、なんか雰囲気がさ。

 

そんな勘繰りが喫煙所の煙の中で霧散して、どうでもよくなった頃に、締切を知らせるベルが場内に鳴り響く。

 

俺たちはいつもの定位置、大時計の前に陣取って、真剣なタカちゃんを先頭に、サイドにケンタ、一歩後ろに俺という陣形で観戦を始める。

 

レースはあっけなく、1周目の1マークで勝負がついた。

澤田が若林をブロックしながら回って、1-2-4体系。

道中の脚上位の吉田が澤田を抜いての1-4-2。

タカちゃんが当初これしかないって言っていた展開だ。

 

実況が叫んでる。

 

「一着は……1号艇・宮之原! 二着は……4号艇・吉田! 三着は2号艇・澤田ーッ!」

 

モニターに映る数字。

1-4-2。

8.6倍。

 

「え……? あ、兄貴、当たったじゃないすか? 予想の客も大喜びっすね!」

 

ケンタが無邪気に言う。でもタカちゃんは、何も言わない。

拳を握ったまま、じっとモニターを見てる。

何かを押し殺すように。

 

「……ちがう」

 

「え?」

 

「買ってねえんだ」

 

ゆっくりとした口調だった。

 

「1-2-4も、1-4-2も……最初は買おうとしてた。でも……客にはそう言ったが、俺は」

 

タカちゃんの目の奥で、何かが崩れていくのが見えた。

 

「テレボでやったんすよ。朝、入金して……300万、全部」

「は?」

「ケンタ、黙っとけ」

 

俺は慌てて、ケンタの肩を叩いた。

 

タカちゃんが、自分の目の前に、手のひらを置いた。

まるでそこに、何かがあるかのように見つめて。

 

「俺さ、昔、選手の時に……子どもいたんだよ。誰にも言ってねえけど」

 

誰も声を出さなかった。

 

「離れて暮らしてて……まあ、別れた女と一緒に。最初はちょくちょく会ってたんだけど……いつからか会わなくなってさ。成績も落ちてきて、引退して、連絡とらなくなって……もう、8年になる」

「うん……」

「でも、この前さ、元嫁から連絡が来て。“成人しました”って。写真付きでさ、袴姿のやつ。……見た瞬間、なんか、グッときちまって」

 

タカちゃんは笑おうとした。でも無理だった。

 

「思ったんだ。“こんなときくらい”って。賞金王になって、好きなもんなんでも買ってやるよって、あいつがガキの頃にそう言ってたのに、俺は何も叶えてやれなかった。夜中に酒飲んでたら、みっともなくて、涙出てきてさ」

 

缶コーヒーを取り出した手が、震えていた。

 

「俺はバカだからよ、これしかできねえって思ったの。3倍、4倍じゃ意味ねえって。だから……2000万にして、一発で振り込もうと思ってた。振込先も、元嫁にこっそり聞いて……」

 

タカちゃんは、机の端に缶を置いた。中身はもう、ぬるくなっていた。

 

「でも外れた。最初に思ってた1-2-4と1-4-2に張ってたら……1000万だったのにな」

「あっ……」

 

ケンタが何かを言いかけて、でもやっぱり何も言えないというふうに、下を向いた。

 

「俺はバカだ。本当に、どうしようもねえバカなんだよ」

 

競艇場のスタンドのどこかでは叫んでるやつもいたけど、この場所だけは、異様に静かだった。

遠くのクラクションの音だけが、やけに鮮明に耳に入ってくる。

 

タカちゃんは顔を上げた。

笑ってた。

泣いてもいないし、怒ってもない。ただ、笑ってた。

でも、笑ってたけど、やっぱりたぶん泣いていた。

 

「まあ……いいや。こんな時くらい。久しぶりに本気で走ったような気がするし」

 

そう言って、立ち上がった。

 

「今日は一人で帰っていい? オケラは歩いて帰るもんだって言うでしょ? じゃあ、また来週も頼むわ」

 

そう言って歩き出すタカちゃんの背中を、俺もケンタも黙って見送った。

ケンタがボソッと呟いた。

 

「兄貴……泣いてました?」

「いや……でも、泣いてねえのが、逆にきついな」

 

帰り道、駅前の商店街の自販機で缶コーヒーを買って、俺はふと思った。

タカちゃんが渡せなかったあの金、あの気持ち。

届くかどうかなんて、分からないけど。

300万をそのまま、振り込めばいいだけだったじゃないか、なんてことも外野には言えない。

バカのタカちゃんなりに考えた結果、受け入れてもらえるかも分からない贖罪に必要な金額が、2000万だったんだろ?

錆びつき始めてるタカちゃんの脳内コンピューターでは、少なくともそういう計算になったんだ。

 

でも、それでもきっと——

 

「こんな時くらい」って言葉に、全てが詰まってた。

 

俺は缶を開けて、一口飲んで、それから空を見た。

いつのまにか雲が出てて、G1やってたあの冬の夕方みたいな空が広がってた。

多摩川から吹く風はやけに冷たくて、俺はケンタにあざらしのタマちゃんを探せと言った。

 

「もうタマちゃんは北極帰りましたよ~」

 

そうかな? そこに何があるかなんて、やってみないとわからない。

そうなんだよな、タカちゃんよ。

 

よろしく哀愁、明日は万舟。

なんつってね。

 

俺もそろそろ、忘れ物を探しに行かないと。

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君が面会に来たあとで

Z李、初のショートショート連載。立ちんぼから裏スロ店員、ホームレスにキャバ嬢ホスト、公務員からヤクザ、客引きのナイジェリア人からゴミ置き場から飛び出したネズミまで……。繁華街で蠢く人々の日常を多彩なタッチで描く、東京拘置所差し入れ本ランキング上位確定の暇つぶし短編集、高設定イベント開催中。

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Z李

座右の銘は「給我一個機会,譲我再一次証明自己」。経歴不詳、表と裏の境界線上にいるインフルエンサー。X(旧Twitter)のフォロワー約90万人超。週刊SPA!にて2021年より2年にわたり、長編小説『飛鳥クリニックは今日も雨』を連載、2023年に書籍化。2025年4月17日より、配信サイトLeminoにてドラマ化される。

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