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朝日新聞記者の将棋の日々

2019.07.04 更新

現役最後の対局で新たな伝説を残した加藤一二三九段――あれから2年、変わらない将棋愛村瀬信也(朝日新聞 将棋担当記者)

2017年6月20日、現役引退となった最後の対局で3手目を指す加藤一二三九段。(村瀬信也 撮影)

午後8時10分。対局を終えた加藤一二三九段は、集まった報道陣を尻目に、一目散に対局室を出て行ってしまった。これまでに見たことがない、不思議な光景だった。

2017年6月20日。77歳の史上最高齢棋士は、崖っぷちに立たされていた。竜王戦の対局で、相手は高野智史四段。勝てば次の対局があり、現役を続けられるが、負ければ引退だ。棋士の引退がここまで注目を浴びたのは初めてだったかもしれない。

 

午前10時。加藤は気合満点の手つきで、初手▲7六歩を指した。闘志あふれる姿はいつもと変わらない。昼食には、うな重を注文。長年食べ続けている好物で英気を養ったが、形勢は53歳下の若手に徐々に傾いていく。加藤は投了を告げると、一局を振り返る感想戦をすることもなく、無言のままタクシーに乗り込んで将棋会館を後にした。

空前絶後の62年10カ月にわたる現役生活に幕を閉じた。(村瀬信也 撮影)

異例の行動の理由は、翌日に明らかになった。加藤は、最後の対局を終えた気持ちを、まず家族に伝えたかったのだという。私はそれを知って、合点がいった。これまでに取材した際にも、妻を始めとする家族への感謝の気持ちを度々口にしてきたからだ。

とは言え、予期せぬハプニングであることには変わりない。この日の対局はインターネットで中継され、多くの将棋ファンが戦いの行方を見守っていた。取材を拒否する加藤の振る舞いに首をかしげた人も少なからずいたと思う。記者室でパソコンに向かっている間も、頭の中にはモヤモヤが残った。

名人を始め、タイトル獲得8期の実績を誇る加藤は、対局にまつわる数々の伝説の持ち主でもある。「チョコレートを何枚も平らげた」「席を外して賛美歌を歌った」「タイトル戦の際、旅館にあった滝を止めさせた」。将棋ファンにおなじみのエピソードは枚挙にいとまがない。現役最後の対局で新たな伝説を残したことも加藤らしいと言えるが、あの出来事は時代の移り変わりを感じさせた場面でもあったのだと、今にして思う。

将棋の対局は近年、毎日のようにネットで中継されている。大観衆はその場にいないものの、対局室は今やスタジアムと化したとも言える。指し手だけでなく、棋士の一挙手一投足にもファンの視線が注がれる。

かつてはそうではなかった。対局者と記録係以外だと、観戦記者など一部の人しか対局室の光景を目にすることはできなかった。加藤はそうした「聖域」の中で、家族の支えに助けられながら、己が最善と信じる一手を指し、棋譜を残すことだけを考えてきた。そんな加藤にとって、あの日の行動は、ごく自然なことだったのだろう。揺るぎない信念を感じさせるその時の表情が、今も目に焼き付いている。

今年4月28日、加藤の姿は幕張メッセにあった。「ニコニコ超会議」の将棋ブースで、藤井聡太七段との対談に臨んでいた。

「2年前に引退しましたが、直前に藤井四段が彗星のように登場しました。将棋界が盛り上がりましたね」
藤井にそう語りかけ、笑顔を見せた。

藤井七段との囲み取材には多くのマスコミが集まった。 引退後も、将棋の普及活動には積極的に取り組んでいる。(村瀬信也 撮影)

現役を退いたものの、加藤は様々なメディアに引っ張りだこだ。テレビのバラエティー番組で見る日も多いが、こうしたネットの企画や番組にも積極的に出演している。自身の活動、将棋界の出来事はツイッターで盛んに発信。ネット時代にあって、ますます輝きを増しているように見える。

加藤は来年、80歳になる。最近は、こんなツイートをしていた。
 


80代になった「ひふみん」は、これからどんな伝説を残すのだろうか。

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