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朝日新聞記者の将棋の日々

2019.06.19 更新

前人未踏の通算1434勝を達成――「大きな山」を超えた羽生善治九段が仰ぐ誰も見たことのない景色村瀬信也(朝日新聞 将棋担当記者)

第60期王位戦挑戦者決定リーグ白組プレーオフで永瀬拓矢叡王に勝利し、歴代1位となる公式戦通算1434勝を達成した。(村瀬信也 撮影)


報道陣が次々と特別対局室に入り、将棋盤を挟む2人を取り囲んだ。多くのカメラレンズが向けられる中、大勝負を制した羽生善治九段はキョロキョロと周囲を見渡していた。

6月4日。東京・千駄ケ谷の将棋会館で、羽生は歴代単独1位となる通算1434勝を達成した。「昭和の大名人」である故大山康晴十五世名人の記録を27年ぶりに塗り替える快挙だ。それまで3勝7敗と分が悪かった永瀬拓矢叡王が相手だったが、この日は堂々とした指し回しでリードを広げ、貫禄を示した。

 

15歳でプロになり、年間40勝を上回るハイペースで白星を積み重ねてきた。ここ数年は30勝前後だが(それでも一流の数字だ)、記録更新は「時間の問題」だったと言える。だが、かつては見上げるばかりだった「大きな山」を超えるという節目だ。いつもとは違う達成感があってもおかしくない。

しかし、インタビューに答える羽生は、「いつもの羽生」だった。「今年に入ってからは一つの大きな目標だった。今日勝つことができて非常にうれしい」。そう喜びを語ったが、口調は淡々としていて、笑顔はなかった。

将棋の対局は、決着がついても静かな時間が流れることが多い。敗者が指し手を悔やむことはよくあるが、勝者が喜びをあらわにする場面は少ない。以前、将棋ファンで知られるタレントの萩本欽一と羽生の対談を取材した際、萩本は「棋士が負けて涙を流したり、勝ってファンに報告したりするところを見たいね」と話していた。「欽ちゃん」のリクエストに対し、羽生は「勝った時は喜びがじわじわと来るんですよ」。苦笑いしながら、そう説明していた。

スポーツにおける選手の振る舞いはまったく違う。試合中、そして対戦相手の前であっても、野球の選手はホームランを打てばガッツポーズをするし、サッカーの選手はゴールを決めると仲間と喜びを分かち合う。豊かな感情表現がなされる背景には、ファンが目の前で観戦しているという事情もあるのだろう。そうした場面を見慣れた人にとっては、将棋の対局での光景は奇異に映るのかもしれない。

羽生はインタビュー後、別室で記者会見に臨んだ。プロに入ってから33年余の歳月を経て未踏の地に立った今、どんな感慨を抱くのか。多くの記者が様々な質問をぶつけた。

私も「対局中、新記録のことを意識したか」と尋ねた。羽生の答えは、「ずっと際どいと思って無我夢中で指していた。記録はまったくと言っていいほど考えなかった」というものだった。「長時間の対局なのに、なぜそこまで盤面に集中できるのだろうか」「大記録がかかる一番でも、そうなのだろうか」。頭の中にいくつかのクエスチョンマークが残ったまま、私は記事を書くためにキーボードをたたき続けた。

対局後に行われた記者会見には多くの報道陣が集まった。記者の質問に対して、言葉を選びながら丁寧に答える羽生九段。(村瀬信也 撮影)


記事を書く上で、喜怒哀楽がストレートに表れた言葉は便利だ。限られた行数の中で、当事者の感情を端的に伝えることができる。その意味では、感情の高ぶりを見せない羽生の言葉、心情をどう記事にするのかは難しい。

だが、改めて振り返ってみると、会見で羽生が語った言葉には、将棋への現在の向き合い方がうかがえるものが多かった。

「非常に若くて強い人がたくさんいる状況なので、ここ最近の方が課題はたくさんある。そこが一つ前に進んでいく原動力になればいいなと思っています」「1局指せばまた新しい発見がある。一つのモチベーションに間違いなくなっています」。

他の棋士にも当てはまりそうな言葉でも、昨年無冠になった後も若手と激闘を繰り広げている羽生、これまでに2000局以上戦ってきた羽生だからこそ感じられる重みがある。

多くの棋士たちが血のにじむような努力を重ねても、そして驚異的な強さの人工知能が現れても、将棋というゲームは果てしなく難しい。羽生はそれを身に染みて感じている。その思考や心中を書き尽くすことは、現段階では、そして今後も難しいのだろう。頭の中にクエスチョンマークが残ったままでも、時には過去に取材した内容に考えを巡らせながら、自分が感じたことを書くしかない。そんな日が、今後も続く気がする。

偉業達成の4日後、羽生の姿は、将棋会館にほど近いスタジオにあった。インターネットテレビ局「AbemaTV」の番組収録に臨むためだ。

出演の合間、同じスタジオにいた藤井聡太七段から花束を手渡された。「1434勝」を祝福するちょっとしたサプライズだった。

両者は昨年2月に朝日杯将棋オープン戦の準決勝という大舞台で戦っているが、その後、公式戦での対戦はない。親子ほど年が離れた両者の対戦が実現した時、きっと羽生は、それを新たな原動力に変えていくに違いない。花束を手にした羽生は、あの日は見せなかった満面の笑みを浮かべていた。

6月8日、藤井聡太七段から祝福の花束が贈られた。(村瀬信也 撮影)

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