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料理ができない!うつ病が教えてくれた家事の意味

2020.08.14 更新 ツイート

料理は楽しいものだと思い出した日のこと 阿古真理

料理に対する私の態度を変えるきっかけになった『小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代』は、料理研究家論であると同時に、ジェンダーの本でもあった。家庭で料理を担ってきたのは女性なので、女性のライフスタイルが変化すると料理研究家の仕事にも影響する。この本を書くために、ジェンダーの問題とがっちり組み合いつつ、自分自身の家事と仕事のバランスについても考えていくうちに、私は頭でっかちな自分に気がついたのだ。

若い頃に出合ったフェミニズムは、家事をさせられることは女性差別、という論調が中心だったので、いかに男性にも負担させるかが平等への道、と私は解釈していた。だから、結婚すると、自分が損をしないようにとばかり考えた。

 

夫が出かけている間に料理する日、私だけが仕事を中断して料理する日は、夫が当番の日があることを忘れて、損をしているように感じてしまう。その葛藤が、料理研究家たちの料理への姿勢を知るにつけ、「もしかして料理は楽しい?」という考えへ傾き消えていった。そんな頃、わが家へ若い学生さんたちが遊びに来た。

もともと夫は来客が好きで、結婚当初はときどき友人知人を招いていた。専門学校や大学などで教える仕事を始めてからは、教え子さんたちを。しかし、私がうつになり、それどころではない期間が続いていた。日常生活に支障がないぐらい私が回復したのを見計らい、夫は再び学生さんたちを家へ招くようになったのだ。

若い学生さんたちは、特別な技術もない私の料理でも、おいしそうにたくさん食べてくれる。あるとき、食べるペースが早かったので、料理を追加しようか聞いてみた。「はい!」「ぜひ」「食べます!」と元気な声が返ってくる。

折よく、友人がくれた野菜があった。「これね、友達からもらったんだけど、夏の白菜っていうんだって」「夏に白菜なんてあるんですか」「へえ」などと会話しながら、夏らしく、パンチを効かせようと塩と豆板醤で炒めて出す。「すごーい。あっという間」「なんかさっぱりしていますね」「豆板醤だけですか?」など、いろいろ反応しつつ、パクパク食べてくれるのがうれしい。

そうか。世の中のお母さんたちが、不満を抱えながらも毎日家事をして、家族を支えていく動機は、これだ。食べさせる喜び。こんな風にビビットに反応しなくても、残さず食べたり、黙々と食べたり、楽しそうに食べたりする家族の姿を、お母さんたちはずっとみてきたはず。自分がつくったものを食べてもらえることが、こんなにもうれしい。

若い子たちが、もりもり食べている姿を見るだけで、何だか満足してしまう。よくおばあさんが、自分は食べずに小さい子に食べさせて目を細める、という描写がドラマや小説であるけれど、その心境がちょっとわかった。食べてもらえることで、満たされる気持ちの大きさはきっと、自分自身の食が細くなることと反比例している。

誰かのために家事をすることは、自分が人を支えている、役に立っていると思える喜びをもたらす。その充実感は時に、自分が欲しいものを得ることより大きい。子どもを産まなかった私はその喜びを長く知らずにきたが、学生さんたちのおかげでその一端を感じ取ることができたのである。

私が読んできた昔のフェミニストたちの文章は、社会の問題を訴えることが目的なので、そうした与える喜びが描かれていない。逆に、その喜びをよく知っていたのが、主婦から料理研究家になった人たちなのではないだろうか。

仕事を持つと社会と直接つながれる。経済力は大切な支えだから、仕事したい人はできるだけ働く場を得られることが望ましい。一方で、裏方にしかないやりがいもあって、主婦を選ぶ人たちの生き方を完全には否定はできない。そうした自分のスタンスも、見えてきた。

私にとって一番大きかったのは、もともと料理が好きだったことを思い出したこと。

料理にまつわる最初の記憶は、3歳のとき、散らかしてもいいように新聞紙を敷いた床に座り、まな板をセットしてもらって、キャベツのせん切りをしたときのものである。乱雑なせん切りだったと思うが、たぶん親から誉められたのだろう。上手にできた記憶となっている。妹が生まれる前、私がまだ両親のお人形さんでいられた頃の、数少ない幸せな記憶である。

もう少し大きくなると、お古の鍋に泥水を入れ、「味噌汁」と呼んでおままごとに興じた。小学生になって、母がガスオーブンでお菓子を焼くようになると真似したくなり、小学校4年生になると、自分でクッキーを焼くようになった。たまに友達を呼んで一緒に作ることもあった。子どもの私にとって、料理は遊びだった。

中学生になった頃、親がいない土曜日に、同級生を招いて一緒に昼食を作った。しかしこれは失敗で、楽しかったのは私だけ。彼女は親に「料理を作らされた」と報告したらしく、後から叱られた。

高校生になると、母がパートに出るようになり、週に2~3度夕食の支度を任され、それも楽しくやっていた。だが、大学生になり社交も忙しくなると、家に居つかなくなり料理から遠ざかる。

何年も台所に近づかない時期があったからか、1人暮らしをする際、母からテフロン加工のフライパンを与えられた。私が親の家で使ってきたのは、鉄のフライパンだったにも関わらず。テフロン加工のフライパンの使い方を知らない私は、たわしでゴシゴシ洗って、あっという間に塗装をはがしてしまった。

母は、自分が教えていないため、私が料理できないと思い込んでいた。私が台所に立っていた3年間を、家族の誰も覚えていなかった。そういえば、料理して実家で誰かに感謝された記憶はない。それでも1人暮らしのときは、食べたいものを作れる生活は楽しかったのである。

そして夫との2人暮らしが始まる。肯定された記憶がないからか、私の中で高校時代は、「料理を作らされた」とネガティブなものになっていた。作らされる、やらされる。結婚すると、料理は夫に食べさせる義務に感じられる。否定形から始まった料理が楽しいはずはなかった。作る喜び、与える喜びを忘れた期間はもったいなかったが、しかし改めて取り戻したからこそ、料理の魅力がよく分かるし、料理が嫌いな人の気持ちもわかるようになっていたのである。

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料理ができない!うつ病が教えてくれた家事の意味

うつ病になったら、料理がまったく出来なくなってしまったー。食をテーマに執筆活動を続ける著者が、闘病生活を経て感じた「料理」の大変さと特異性、そして「料理」によって心が救われていく過程を描いた実体験ノンフィクション。

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阿古真理 作家。生活史研究家。

1968年兵庫県生まれ。神戸女学院大学文学部総合文化学科(社会学)を卒業後、広告制作会社を経てフリーに。1999年より東京に拠点を移し、食や生活史、女性の生き方などをテーマに執筆。著書に『昭和育ちのおいしい記憶』『うちのご飯の60年 祖母・母・娘の食卓』『昭和の洋食 平成のカフェ飯 家庭料理の80年』『「和食」って何?』『小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代』『料理は女の義務ですか』『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか パンと日本人の150年』『パクチーとアジア飯』『母と娘はなぜ対立するのか 女性をとりまく家族と社会』など。

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