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料理ができない!うつ病が教えてくれた家事の意味

2020.07.29 更新 ツイート

家事分担は「量」だけでは語れない阿古真理

夫と暮らし始めて数年は、よく二人で買い物に行った。交替で料理当番になった夫は、レジ横の料理雑誌を手に取って、何やら研究していることが多かった。テレビで料理番組を観ていることもある。冷蔵庫の食材をどう使うか、レシピサイトで検索して「わかった」と言って料理を始めることもある。

彼がそれらのレシピ情報でヒントを得た料理で定番になった一つは、「キュウリのザクザク」と呼んでいる夏の料理だ。塩でもんだキュウリをすりこ木で叩き、炒めてから、醤油・酒・砂糖・酢・トウガラシの調味液を熱してアルコール分を飛ばした中に入れ、冷蔵庫で冷やす。

 

また、10年ほど前だったか、鶏むね肉料理を研究していた時期もあった。片栗粉をまぶした醤油味のソテーはおいしかったが、最近は作ってくれない。醤油とみりんとショウガを入れた湯でゆっくりと煮て、残った汁をスープにする料理も覚えて教えてくれたが、私が塩コショウを振って蒸す方法を思いついてから、鶏むね肉の担当自体が私になってしまった。

私たちは、このように交替で行う家事、分担する家事を決めて、ずっとシェアしてきた。ウエイトはお互いの仕事の状況で変わるが、私のうつが一番重かった一時期を除いて、6対4か7対3ぐらいで、私の方が若干多い。それは「名前のない家事」と呼ばれる雑務がけっこう多いことと、出かける仕事は彼のほうが多くその時間も長いことが原因である。

と、客観的に思えるようになったのはここ数年のこと。実は長い間私は、自分だけ損をしている気持ちを抱えていた。特に結婚して数年は、「私ばっかり大変」と言い出してケンカになることも多かった。

料理も面倒で、「どうして仕事が佳境になったときに終わらないといけないの」と不満を抱える。一人暮らしをしていた頃、仕事がノッてくるのが夕方以降だったからだ。そのために夕食が遅くなり、生活が不規則になっていたことも、うつを招く遠因だったのではないかと思う。今は午前中に一番筆がのる。

「私ばっかり」と思っていたのは、若干負担が多い、という冷静な判断をしたからではなく、夫を警戒していたからだと思う。

私が20代前半に勤めていた会社は、男女同等待遇で女性の取締役もいた。そんな職場で働く既婚の先輩女性たちからは、「結婚生活は最初が肝心で、何でもやってもらえると思わせたらダメ。ちゃんとダンナを教育すること」と、教わっていた。

また、子供の頃からフェミニストで大学時代は女性学も学んだため、女性の家事の負担がいかに大きいか、いかに差別されているか、という知識ばかりを詰め込んだ頭でっかちさもあった。

だから、損をしないように、自分の負担が大きくならないように、とばかり気にしていて、夫がやっている家事が目に入らなかった。それに今思えば、夫もまだ未熟で、やるべき家事が見えていなかった部分もあったと思う。最近は、いろいろ細かいことに気がついて、私よりずっとマメに動いてくれることも増えてきた。それは主に私が苦手な掃除で、水回りを拭き上げる、髪の毛やホコリが溜まりがちな洗面所や隅っこなどを、気がついたときに掃除するといったこと。そういう最近の夫の行動に感動しているということは、以前は彼が家事に対して消極的なように私には見えていた、ということなのだと思う。

もう一つ私が不公平感を覚えた原因は、私自身が未熟で、心のどこかで保護者を求めていたことにあるように思う。一人暮らしのときは、誰も家事をやってくれないことがわかっていたので不満はなかった。しかし、家に頼りになる人がいるとなると、めんどくさいからやって欲しい、と思ってしまうのである。何しろ、私が経済的自立を志した理由の一つは、仕事をしていれば将来結婚しても家事を分担にできるだろう、という目論見もあったぐらいだから。やらなくて済むならやりたくないのが、私にとっての家事である。

結婚当初の私は、親に保護されていた時代の感覚に戻ってしまっていた。なんで一緒に暮らしているのにやってくれないの。なんでそこにいるのに、やってくれないの。そうした不満が高じて「私ばっかり!」となってしまったのだ。

こうした理不尽な不満はしかし、6年目に私がうつで倒れ、夫が料理を全部引き受けてくれたことでなくなった。期間は1年もなく短かったかもしれないが、夜中までかかる仕事があるにもかかわらず、料理できない私の分まで作ってくれたことが、本当にありがたかったのだ。

それに、これまで書いてきたように、親との断絶、編集者にだまされるなど、夫がいなかったら乗り越えられなかった危機がたくさんあった。負担が大き過ぎるのは問題だが、家事を完全に同じ量に揃えることにこだわり過ぎるのもよくない。夫婦の関係はそれだけではないのだから。

家事を分担するのは、一人で家事を背負い込んだら仕事ができない、と考えるからである。料理当番を交替ですれば、相手が作る間に休む、あるいは仕事するなどができる。しかし、2人とも仕事をしているから、分担しても負担は残る。

それで、料理研究家の本を書いていたときに、仕事と料理を交互にしていて、発見したことを書いてみたい。家事と仕事は両立できるのか、どちらが大切なのか、という問いの答えを考え続けた私が出した結論は、当たり前だがどちらも重要というものだった。仕事をしなければ生活するために必要なお金が得られないし、家事をしなければ生活が回らなくなる。この場合、専業主婦/夫は除く。

とりあえず働けることを前提に、このバランスをどのように取るかを真剣に考え、研究することが、やがて食以外の家事に関してもワークライフバランスの視点から書く、と仕事の領域を広げることになった。

また、この問題が特に女性にばかり背負わされることから、ジェンダーの領域にも広げて書くようになっていく。そうした仕事がコンスタントに来るようになったのは、ここ1~2年。2017年に『料理は女の義務ですか』(新潮新書)を書いたことが大きいと思う。

生活の面では、なんと料理が楽しくなったのだ。字数もいっぱいになってしまったので、この点については次回に持ち越しとする。

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料理ができない!うつ病が教えてくれた家事の意味

うつ病になったら、料理がまったく出来なくなってしまったー。食をテーマに執筆活動を続ける著者が、闘病生活を経て感じた「料理」の大変さと特異性、そして「料理」によって心が救われていく過程を描いた実体験ノンフィクション。

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阿古真理 作家。生活史研究家。

1968年兵庫県生まれ。神戸女学院大学文学部総合文化学科(社会学)を卒業後、広告制作会社を経てフリーに。1999年より東京に拠点を移し、食や生活史、女性の生き方などをテーマに執筆。著書に『昭和育ちのおいしい記憶』『うちのご飯の60年 祖母・母・娘の食卓』『昭和の洋食 平成のカフェ飯 家庭料理の80年』『「和食」って何?』『小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代』『料理は女の義務ですか』『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか パンと日本人の150年』『パクチーとアジア飯』『母と娘はなぜ対立するのか 女性をとりまく家族と社会』など。

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