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料理ができない!うつ病が教えてくれた家事の意味

2020.06.29 更新 ツイート

「底つき」の馬鹿力阿古真理

うつの体調不良で苦しんでいた数年間は、生活の他の部分でも大変だった。仕事が少ないので常にお金の心配をして節約していたし、友だちがなかなかできず、できてもネガティブな態度を取りがちで関係が続かなかった。そして、本の出版もなかなかうまくいかなかった。そうした不調も、うつからの回復を遅らせたし、回復が遅いことが生活や仕事に支障をきたす原因にもなった。

 

2009年に最初の食の本、『うちのご飯の60年』を出した後は、2冊の本の刊行に向けて準備をしていた。その1冊、『昭和の洋食 平成のカフェ飯』は、何度も図書館に通って雑誌を調べ、新旧の小説やドラマやマンガから食卓シーンを選び、2013年2月に無事刊行できた。この本がなかったら、私の人生も変わっていたかもしれない。

というのは、もう1冊準備していた本が、実は編集者の巧妙な説明で企画会議に落ちていたことを知らないまま3年も無駄に費やしてしまったからだ。適切なアドバイスもないまま何回も、その人が社内でプリントアウトしたという原稿を渡され読み返していると、だんだん追い詰められて、自分はダメな人間なんじゃないか、と思えてくる。パワハラ気味の相手に振り回され、「本がちっとも売れない私が出していただくのだから」と卑屈になっていた。もともと自己評価が低い自分に不運を招く要因はあったかもしれないが、一番悪いのは抑圧的にふるまうだました相手だ。

仕事が順調な今だからはっきり言えるが、いくら本の売れ行きが悪くても、編集者は著者だけに責任を押しつける物言いをしてはいけないと思う。一生懸命書いた本の評価は、誰よりも著者自身が気にしているのだから。

もしかすると、その編集者は私が「もういいです」、と投げ出すことを期待していたのかもしれない。しかし、仕事を逃したくない私が原稿にしがみついているので、向こうが根を上げ、ある日「本が出せないことになりました」と書いたメールが届く。ショックを受けた私が夫に報告すると彼は怒り、一緒に編集者に会うことになった。カフェで4時間夫が問い詰めた挙句、ようやく企画が通っていなかったことをベテランの男性編集者は白状した。

それからすぐ、夫は以前私がお世話になっていた『AERA』編集部に営業しろ、とアドバイスしてくれた。仕事に復帰したときは、5年間正社員として働き、フリーになってからも仕事をした広告制作会社へ行けと言われた。すると、同期の男性が社内に声をかけ、定期的な仕事が来るようになった。古巣の慣れたやり方のおかげで調子が上向いた私だったが、大企業がクライアントの仕事は、リーマンショック後になくなっていた。

『AERA』には、私が東京に来てまもなく仕事をしたデスクの女性が戻ってきており、その人に新しい企画の企画書もつけ、意欲を伝えるメールを送った。

それから夫は、視野とネットワークを広げることが必要、とフェイスブックもすすめた。夫は私を一番よく知っていて、ある意味で同業者でもあるので、そのアドバイスは的確だと信じられる。私は、言われた通り全部やった。

外に出ることが必要、とその頃増えていたイベントにどんどん出かけて知り合い作りに勤しんだ。フェイスブックの友人を増やし、街を歩いて、テレビその他のメディアもチェックし、ネタを見つけて企画を上げる。取材先の人とも、フェイスブックでどんどんつながった。中には友人になった人もいる。

本の頓挫によって、私はたぶん長い間かかった転落の底に、ようやくたどり着いた。人生がうまくいかず、「落ちていく」時期を経験する人はおそらくたくさんいる。落ちていく過程であがいても、蟻地獄の巣へ落ちるように暴れることでかえってズルズル落ちてしまう。多少動けるようになってから、友人をつくろうとしては失敗してばかりで、うつを直そうと躍起になってすぐ倒れたり毒を吐いたりしてしまったのは、まだ斜面の途中にいたからだと思う。

しかし、時間と手間をかけて書いた本が、結局出せないとわかったとき、ついに私は底に突き落とされた。底にいると地面がしっかりしているから、跳ね上がることができる。私はこのとき、その編集者と出版社を見返してやりたいと、地上めざしてものすごくがんばり始めた。

とはいえ、頼りになる仕事先は、ほぼ『AERA』だけ。ここで仕事をもらうには、その都度企画を出さなければならない。2年ほどの間、私は2カ月に1本企画を出し、その8、9割が通って、3、4カ月に1本掲載されるハイペースとヒット率で、担当編集者から「阿古さん、どうやったらそんなにたくさん企画を出せるんですか?」と言われたほどだった。火事場の馬鹿力みたいな力が出た期間だった。

そして、だまされた本と同時進行だった『昭和の洋食 平成のカフェ飯』が、いろいろな思いが詰まっていて迫力があったのか、新聞各紙に書評が掲載され、そのおかげで重版までした。もし、この本がなかったら、私はショックのあまり筆を折ってしまったかもしれない。

出会った人たちとフェイスブックでもつながる、ということをくり返すうちに、食に関心が高い人たちのネットワークができ始めた。そしてもう一つ、このシリーズの主題である料理につながる発見もした。

その頃の私は、節約するため下町の商店街でできるだけ安い食材を買っていた。「珍しい野菜は売れないんだよね」と八百屋のお兄ちゃんが言う店には、品質は良いがテッパンの定番食材ばかり並んでいる。いつもの食材を買う日々は安定しているが、飽きっぽい私には退屈でもあった。それで、献立づくりにも煮詰まりがちだった。

ところが、その頃都心で増え始めていた、ファーマーズマーケットやマルシェに行くと、新野菜や在来野菜がいろいろ売られている。自然栽培の貴重な野菜もある。

「この緑色の大きなナスは、焼くとトロリと溶ける」と聞いて、ふだんなら炒め物にしてしまうナスをステーキにしてみようと思う。在来の太いキュウリは、ピリ辛に炒めてみる。特に印象に残ったのは移動八百屋から買った自然栽培の春菊で、「ナマでも食べられますよ」と聞いてサラダにしたら、体の中からエネルギーが満ちてくるような気分になった。そして、冬も煮物だけなら飽きるが、サラダなど爽やかなものを1品つければ、食べ飽きないかもしれない、などと発見する。

今は専業主婦が多い町に住み、珍しい野菜・果物を積極的に扱うスーパーで買いものをしている。食材の種類が多い春や秋は、「旬が短いこれを使って何を作ろうか」と思わせる食材に出合うことが多い。食材のセレクトショップで、いかなご醤油など珍しい調味料を買い、料理を工夫することもある。

ルーチンの買いものは、日々の食卓を回すために必要な食材を買うだけかもしれないが、珍しい食材や調味料は、つくる楽しみと食べる楽しみ、食べさせる楽しみを得られるイベントになる。毎日の当たり前、にちょっとしたアクセントが加わって日々が楽しくなるのである。そうした買いものは今でも続き、ときどき「これ買ってきたから、〇〇作るね!」と、台所に駆け込む日が生まれている。

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料理ができない!うつ病が教えてくれた家事の意味

うつ病になったら、料理がまったく出来なくなってしまったー。食をテーマに執筆活動を続ける著者が、闘病生活を経て感じた「料理」の大変さと特異性、そして「料理」によって心が救われていく過程を描いた実体験ノンフィクション。

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阿古真理 作家。生活史研究家。

1968年兵庫県生まれ。神戸女学院大学文学部総合文化学科(社会学)を卒業後、広告制作会社を経てフリーに。1999年より東京に拠点を移し、食や生活史、女性の生き方などをテーマに執筆。著書に『昭和育ちのおいしい記憶』『うちのご飯の60年 祖母・母・娘の食卓』『昭和の洋食 平成のカフェ飯 家庭料理の80年』『「和食」って何?』『小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代』『料理は女の義務ですか』『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか パンと日本人の150年』『パクチーとアジア飯』『母と娘はなぜ対立するのか 女性をとりまく家族と社会』など。

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