
大好評のアレン様エッセイ第10回目は、「社会が言う“幸せ”」についてお届けします。
休日は友達や恋人との予定で埋まっていたほうが充実している? 独身でいるより結婚したほうが幸せ? 果たして本当にそうなのか、疑わしい世間の風潮にアレン様が物申します!
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社会が押しつけてくる“幸せもどき”に騙されちゃダメよ!
ヮタクシにはまったく理解できない世間の風潮が2つあるの。
1つは、“休日の予定が埋まっているほうが幸せ”という考え方。
「今度の休日、友達とここのカフェに行って、次の休みは彼氏とどこどこへ旅行する……」っていうふうに、とにかく予定が埋まってることが、幸せであり孤独じゃないっていうのが全然理解できないの。予定が何もない=かわいそうな人という風潮とかね。
2つめは、“友達が多いほうが幸せ”という考え方。
ヮタクシ何回も言います㌔、“友達”という関係性なんて目に見えないものだし、仮に自分が「私とあなたって友達だよね」って思っていても、むこうは「え、知り合いレベルだと思っていた」っていうように、ぶっちゃけ温度差が出るものなのよ。
だからヮタクシは、最初から人との関係性に期待していないの。自分とその人が友達だろうが知り合いだろうが、どちらでもいいことなのよ。
結婚しているかどうかや、友達・恋人の有無だとか、スケジュールに予定がびっしりと埋まっているほうが幸せで、埋まってないと孤独でさみしいとか、そういうのって全部違うんじゃないカフォーラ? って思うわ。
「結婚=幸せ」ともよく言われる㌔、結婚されている方のほとんどが関係破綻しているわよね。でも、それはそうよ。だって人間なんだもん。
人と人、所詮は他人同士なんだから、価値観も趣味も何もかも違うでしょう。別々の人間が一緒に住むって、やっぱり大変なことなのよ。
このエッセイを読んでくれているァンタ達には、“世間が言う幸せ”に自分を合わせるんじゃなくて、自分が思う幸せ、自分の軸を大事にしてほしいの。
たとえば、世間的にはスケジュールが埋まっていたり、外でワイワイしているほうが、人生が充実していると思われるかもしれないけど、そういったノリを、私は嫌なんだよねっていう人もいるわけじゃない?
一人で家で映画を観ているほうが好きっていう人ももちろんいるわけだから、それに対してァンタは何も恥じることがないし、自分が好きなように生きていってほしいと思うの。
だから、いくら世間が“結婚=幸せの象徴”と言っていたとしても、ァンタが結婚したくないのであれば一生しなくていいのよ。
世間の言う幸せなんてものは空想なの。みんながその幸せもどきに踊らされて、必死にしがみついているだけのものなのよ。
で、みんながしがみついて、みんなが結婚したり予定を詰め込んだりするから、幸せそうに見えているだけ。
じゃあ、今結婚している人や予定を詰め込んでる人みんなが本当にそうしたかったかっていうと、意外とそうじゃない人もいっぱいいるの。本当にそうしたくて行動している人も中にはいると思うわよ。
でも、“そうしといたほうがまわりから充実しているように見られるKARA”っていう理由で、本当の自分を見失いながら生きている人もいっぱいいるの。
それこそSNSに載せたいからとかね。本当に食べたいものがあってそのお店に行くんじゃなくて、SNSに載せるための写真が撮りたくて行動する人もいるでしょう?
ヮタクシは本当に食べたくてお店に行くから、写真を撮っている暇がないの。もぅ、早く食べたい!
人は自分と違う環境にいる人間のことを下に見たがるものなのよ
もしもァンタ達が誰かに、結婚してないとか友達がいないとか、そういったことで見下されたとしたら、こう言い返せばいいのよ。
「おまえ、結婚したけど全然うまくいってないじゃん」とか、「私は一人だけど、超幸せ! なのに結婚してるおまえはずっとグチばっか言ってるじゃん」とかね。
人間って、自分と違う環境にいる人のことを下に見たがるの。そういうものなのよ。貧乏な人がお金持ちの人を見てブツブツ言ったりとかね。
だからね、世間が言う幸せではなくァンタが思う幸せを見つけてね。何に幸せを感じるかは、みんなそれぞれ違って当然なんだから。
自分の思う幸せが、世間からうらやましがられることだとしたら、それはそれでいいんじゃない?
ただ、「うらやましがられたい」ってみじめだと思う㌔。そういうのって、その一瞬は満たされるかもしれないけど、長い目で見たら心は空っぽよ。
ヮタクシはハイブランドで何か買ったからって、「みんな見て見て!」なんて少しも思わないわよ。だって見せびらかしたくて買っているわけじゃなくて、好きで買っているだけだから人に見せなくていいの。世間に見られたいがために、ものを買ったり、何かを食べに行ったりする人は、みじめだなって思うわ。
ヮタクシは、世間が言う「幸せもどき」に振り回された経験って、正直問題ないの。振り回されたことはない㌔、気にしていたことはあるわ。
誰からも休日誘われないな、でも周りのみんなは外で友達と遊んでいる、とかね。世間の言う“幸せ基準”に対して焦りみたいなものを感じていたヤングジェネレーション、いわゆるヤング時代はあった㌔、それはもうそのときだけ。
当時は、まだ自分というものが形成されていなかったし、ちょっと軸がブレちゃっていたのよね。だって今だったら休日に友達と遊んでなくても、誘われなくても全然何も気にしないわ。そもそも遊びたければ自分から誘えばいいんだKARA。
世間の常識とは違う考えを持っていたとしてもそれを誇りに思ってほしいの
たとえ世間が言う幸せと自分にとっての幸せが違っていたとしても、“世間の認識と自分の認識がずれている”ということに誇りを持ってほしいの。
例えばヮタクシって、世間の言う一般常識からはだいぶズレた生き方をしている㌔、それってある意味、自分の主張や個性が強いっていうことなのよ。
それで、世間にのまれていく人っていうのは、自分の意志や主張がない人なの。だから、もしもァンタ達が世間の言う幸せに対して「ん?」って疑問に感じることがあるんだったら、その意見を自分自身で尊重してほしいのよ。それこそ世間にのまれていないっていうことだKARA、誇りに思ってほしいの。
仮に、周りと違う主張をしたことで叩かれたり浮いたりしても、それは日本特有だなって思うわ。
欧米諸国とか、アジアの中でも香港とかシンガポールみたいにいろんな人種の人がいる町や先進国では、そういう閉鎖的な文化がないKARA、海外に行ってみるとすごく強い自分になるわよ。
『日本がおかしいんだ、もっと好きにしていいんだ』、『世間に合わせなくていいんじゃん』って思えるようになるの。特に多国籍の国へ行くと余計にわかると思うわ。そうやって自分の中の常識を変えていくと、周りと違う意見を持つことや世間の同調圧力なんて、全然怖くなくなるわよ。
幸せになりたいとほざくァンタ達へ

幻冬舎plusにアレン様大先生がついにご降臨…!! 本連載では、現代社会で生きる誰もが気にしている「幸福論」について、ありがたいお言葉をつむいでいただきました。読めば幸せになること間違いなしのスペシャルなエッセイをご堪能あれ。