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朝日新聞記者の将棋の日々

2019.04.04 更新 ツイート

王位戦の挫折から9期ぶりのA級復帰まで――座右の銘「百折不撓」を体現した木村一基九段の思い村瀬信也(朝日新聞 将棋担当記者)

B級1組最終局の行方八段戦を制し、8勝4敗でA級に昇級を果たした。(村瀬信也 撮影)

張り詰めた空気の中、突然、チョウが舞うようにフワリと手が揺れた。

2016年9月27日。第57期王位戦七番勝負第7局の決着後、防衛を果たした羽生善治王位に続いて、木村一基挑戦者のインタビューが行われた。木村は対局の内容についてコメントした後、主催社の記者からシリーズの感想を問われた。

記者たちの視線は、一斉に木村に注がれている。だが、言葉が出てこない。少しの間の後、無言のまま顔の前で右手を2度振った。あっけにとられた私の目は、きっと泳いでいただろう。対局室という空間で見慣れない奇異なしぐさは、またしてもタイトルに届かなかった無念さを雄弁に物語っていた。

 

「木村一基」。その名前は、かつて「高勝率」の代名詞だった。23歳でのプロ入りはやや遅咲きだが、その後、爆発的に勝ちまくったことを記憶している人は多いはずだ。2001年度は61勝12敗で、勝率は8割3分6厘。17年度の藤井聡太六段(当時)と全く同じ成績を挙げた。超一流の証しとも言える通算勝率7割以上を、30歳を過ぎても長くキープし続けた。

07年、順位戦で最上位のA級に昇級。3年連続で5勝4敗と勝ち越した。A級に定着し、いよいよ名人への挑戦権争いに加わるかと思われた4期目。3勝6敗で降級の憂き目に遭う。一つ下のB級1組で再起を図ることになった。

「百折不撓(ひゃくせつふとう)」。失敗しても志を曲げないという意味のこの言葉が、木村の座右の銘だ。タイトル戦で6回、挑戦者になっているが、いまだ獲得には至っていない。冒頭で記した王位戦は、3勝2敗と王手をかけてからの逆転負けだった。厳しい現実が、その四字熟語の重みをより強く感じさせる。

木村は将棋の実力だけでなく、解説の際の軽妙な語り口にも定評がある。親しみやすさ、そしてあふれるサービス精神が多くの人を引きつけてやまない。しかし、かつての「高勝率男」も、今は一回り、二回り下の若手たちに追い上げられる立場にある。再びタイトル戦の舞台に立つのは、いつの日か――。ファンは木村の戦いを、かたずを飲んで見守っている。

羽生善治王位(当時)に挑戦した2016年の王位戦。逆転負けにより悲願の初タイトルには一歩届かなかった。写真は第6局の感想戦。(村瀬信也 撮影) 

今期のB級1組。木村はいいスタートを切ったとは言えなかった。前半の6局は白星と黒星が交互に並び、3勝3敗だった。だが、10回戦で競争相手の斎藤慎太郎王座に勝利。3月14日の最終戦を迎えた時には7勝4敗で2番手になっていた。

勝てば昇級が決まる大勝負の相手は、行方尚史八段。12年前、共にA級昇級を果たした同い年の盟友だ。戦型は、木村が得意とする「横歩取り」。飛車と角が激しく飛び交う目まぐるしい戦いになり、木村が研究の一手を放った。難しい勝負が続いたが、行方に手痛い判断ミスが出てしまう。木村はその隙を逃さず、小刻みに時間を使いながら、徐々にリードを広げていく。午後11時50分、行方が投了。戦いは幕を閉じた。

木村がA級に復帰するのは9期ぶりとなる。ネット中継で見守り、歓喜した人も多かっただろう。しかし、別室で昇級の感想を尋ねた際、返ってきた答えは意外なものだった。

「まあ、良かったです。毎年、残留することを目標にやっていたので」。

昇級を決めた棋士の言葉とは思えなかった。その顔には笑顔もなかった。

感想戦が終わり、行方が去った後、さらに話を聞いた。前期B級1組は開幕4連敗だったが、その時は「観念した」のだという。「いつも指し分けを狙って、勝ち越したら昇級を狙う感じだった。最近はあんまり上がるような成績じゃなかった」。そして、3年前の「あの挫折」について自ら語り出した。

「王位戦負けてから、もうきついんじゃないかな、と。もう伸びないのかな、と思っていた」。

繰り返すが、木村の座右の銘は「百折不撓」である。だが、来る日も来る日もそれを実践し続けるのは容易ではない。疲れた表情から漏れ出た言葉を聞いて、私は木村の心中を推し量った。「悔しい。負けてたまるか」「でも、もうダメかもしれない」。その自問自答を何度繰り返したのだろう。

この日、私は木村が勝ったら「軽く一杯、どうですか」と声をかけ、ささやかな祝勝会を開こうと思っていた。しかし、インタビューが一段落した後に聞いてみると、今後も対局や公務で多忙だという。声をかけるのはやめた。

翌日、ツイッター経由で意外な事実を知った。木村は将棋会館を出た際、出迎えていたファンに祝福され、祝勝会に足を運んだのだという。写真に写る木村は笑顔だった。

私は、今度こそ「軽く一杯、どうですか」と声をかける機会をうかがっている。

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