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朝日新聞記者の将棋の日々

2019.03.04 更新

藤井聡太七段と杉本昌隆八段の師弟の絆――C級1組順位戦いよいよ最終局へ村瀬信也(朝日新聞 将棋担当記者)

ツイッターで流れてきたその写真をスマートフォンで見たとき、思わず「おおっ」と声が出た。

2月5日、藤井聡太七段の師匠の杉本昌隆七段(当時)が、順位戦C級1組の昇級をかけた一番に和服姿で臨んでいたからだ。大阪の関西将棋会館で行われた船江恒平六段戦。勝てば9勝0敗となり、B級2組への昇級が決まる。

別室では、藤井も強敵の近藤誠也五段と戦っていた。杉本と同じく、ここまで8連勝。2人が勝てば、師弟共に昇級決定だ。同じクラスでの師弟そろっての昇級は、大内延介九段(故人)、塚田泰明九段以来32年ぶりとなる。

師弟同時昇級をかけた戦いに敗れた後の藤井七段(村瀬信也撮影)

杉本の和服姿を見た私は、昨年の夏に杉本に聞いた一つのエピソードを思い出した。

 

ある時私は、藤井がまだ小学生で奨励会員だった時に杉本と将棋を指している写真を目にして、朝日新聞の紙面で使いたいと考えた。たまたま東京に来ていた杉本に、その写真を撮った経緯を聞くと、驚くべき返事が返ってきた。

「将来、彼が棋士になったときに、『師弟で将棋を指している写真はありませんか』と取材で聞かれるだろうと思ったんです。私の研究室で指していた時、彼のお母さんに撮ってもらいました」

杉本は世間の注目を浴びるはるか前から、藤井の才能に気づいていた。しかも、藤井がプロになることだけでなく、取材対応のことも見越して写真を残していた。杉本の口調は普段と変わらず穏やかだったが、プロの眼力の確かさに衝撃を受けた。

そんな用意周到な杉本が、和服を着て将棋盤に向かっている。「必勝」の気構えなのだろう。「師弟そろって昇級を決めたら、絵になるツーショットが残るだろうな」。私はそんなことを考えながら、新幹線で大阪に向かった。

しかし、現実はそう甘くなかった。午後6時から40分の夕食休憩が終わってからしばらくすると、杉本の苦戦が明らかになった。藤井と近藤との戦いも、午後10時を過ぎてから「近藤有利」の声が聞こえるようになった。別室に待機していた報道陣の動きも慌ただしくなっていく。

午後11時12分、杉本が投了した。報道陣が一斉に5階の対局室になだれ込む。「(師弟同時昇級であれば)うれしいかなと思いましたけど。まあ、うーん、今期は最後まで昇級争いをするのが目標でしたので」「この一局は残念でしたけど、(最終局は)切り替えて臨みたいと思います」。取材に対し、杉本は落ち着いた口調で答えた。

藤井も午後11時37分、投了を告げた。2年前から続いていた順位戦の連勝記録は18でストップ。翌週の朝日杯将棋オープン戦では、類いまれな強さを見せつけて2連覇を果たしたが、この日は得意の終盤で精彩を欠いた。

「結果として師弟で上がることができれば良かったんですけど、ただ、そういうことは一切意識しないようにと思っていました」「昇級を目指す上で、痛い一敗となってしまった」。師弟同時昇級の目はまだ残されている。だが、この日の口ぶりは、昇級できるかどうかよりも、満足のいかない将棋を指してしまったことに対する悔しさが上回っているように感じられた。

取材と記事の確認を終えると、日付はとうに変わっていた。「さあ、帰ろう」と思い、階段を下りかけたが、何となく気になって3階の棋士室に足が向いた。ドアを開けると、藤井と、大盤解説会で解説を務めた糸谷哲郎八段らが将棋盤を取り囲み、藤井の将棋を振り返っていた。スーツに着替えた杉本の姿もあった。

「ここで、こうやると…」「この手はダメですね」。彼らは藤井の敗因だけでなく、近藤の手の代替案なども深く掘り下げていた。13時間以上戦って疲れているはずだが、目の前の「謎」を解明しないと気が済まない様子。「なぜ、和服を着たんですか?」と杉本に気軽に尋ねられる雰囲気ではなかったが、記者として目に焼き付けておくべき場面に立ち会えたのは僥倖と言うべきだろう。感想戦の「延長戦」は、ほどなくお開きになったものの、杉本と藤井はラーメンを食べた後に再び将棋盤をはさんだという。

後日、杉本に「和服を着た理由」を問うと、こんな返事が返ってきた。

「自分が勝てば藤井七段の昇級も近づく大きな一番なので和服にしました」

杉本が対局で和服を着たのは、朝日オープン将棋選手権五番勝負を戦った2002年以来、17年ぶりだったという。しかし、大一番にかける意気込み、そして弟子を思う気持ちは、この日は実を結ばなかった。

藤井が昇級できるどうかには、別の面でも大きな注目が集まっている。谷川浩司九段が保持する最年少名人(21歳2カ月)の記録を更新する可能性があるからだ。ノンストップで駆け上がれば、19歳で名人になれるが、一度足踏みすると1年のロスが生じる。2月5日の黒星は、歴史を大きく変える1敗となるのか否か。C級1組最終戦がある3月5日は、文字どおり、心臓のドキドキを抑えられない1日になりそうだ。

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