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ロンドンならすぐに恋人ができると思っていた

2023.05.10 公開 ツイート

東京での社会人基盤を捨ててロンドンに向かった理由【再掲】 鈴木綾

5月13日(土)にひらりささんと「それでも日本で生きていく? 日本脱出とフェミニズムの可能性」講座を開催する鈴木綾さん。母国を出たときのエピソードを過去記事よりお届けします。

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ロンドンならすぐに恋人ができると思っていた』の著者・鈴木綾さんは母国の大学を卒業後、日本にやってきました。知り合いが一人もいない東京で家を探し、仕事を探し、6年間働きます。その東京で何を思い、ロンドンで向かったのか――。冒頭のプロローグをお届けします。

(写真:iStock.com/Arun Venkat)

プロローグ「月が綺麗ですね」

30歳直前に大好きな東京を離れて、違う島国で新しい人生を始める決断をした。

パリでもよかった。イスタンブールでもよかった。南極でも。でも私はなぜかロンドンにたどり着いた。この本の中で、「孤高の街ロンドン」が私に何を教えてくれたかを紹介したいと思っている。

最初は自分自身の話から。

私は日本人ではなく、イギリス人でもない。日本語で物書きをしている外国人女性はそう多くないと思うけど、私は33歳の働く他の日本人女性とそんなに違わない。面白い仕事をしたい、新しい出会いが欲しい、自分が後悔なく納得できる生き方をしたい。長い散歩をするのが好き、新鮮な野菜と果物が好きだけど、分厚くて脂たっぷりのベーコンも好き。優しすぎることは短所(と友達は言う)。どんなときでもちょっとしたことで贅沢な雰囲気を作るのが長所。パブでも最初の一杯は泡。

そんな私がロンドンにやってきたのは2018年。特に理由もないのに新しい街に引っ越すようなリスクをとるのは実に自分らしい。それより前、2011年に日本語を勉強した母国の大学を卒業した後、就労ビザもなく仕事のオファーもないまま22歳のときに日本に移住した。一人で成田空港に着いたのは、夏の太陽の力がまだ感じられる9月の午後。手元にはスーツケース1個と現金20万円しかなかった。東京に知り合いは一人もいなかった。私は自分の将来に賭けていた。

日本での最初の夜は、南千住の安いホテルで一人で過ごした。そこから、なんとかシェアハウスを見つけ、引っ越して職を探し、就職できて、結局6年間も日本にいた。外資系のメディア会社で働いた。

そんな経験を通じて、何にでも挑戦する勇気が身についた。まずは外国語(日本語)で仕事をする勇気。最初は日常会話程度の日本語しかできなくて毎日辞書を引きながら仕事をしていた。脳が疲れすぎて日本に来て最初の1年間は、一日12時間も寝ていた。初めて言葉を覚える子供みたいに。何回も言葉を間違って、敬語を間違って、教科書通りの日本語は本当は正しくなかったんだということを苦労して学んだ。

あと、物価の高い東京で新入社員の給料で生き抜く力を身につけた。最初は家賃5万 7000円のシェアハウスに住んだ。新宿から京王線で一駅の笹塚で。

今は笹塚駅前がすごく立派になっているけど、私が住んでいた当時、笹塚には何もなかった。それは「笹塚」という地名からもわかる。笹はバンブー。塚は土を高く盛り上げたもの。17世紀に徳川家康が、笹塚を通る甲州街道を含め5つの街道、今で言う幹線道路に一里(約4キロメートル)ごとに塚を築かせた。その一里塚がこの場所にできたので、笹塚という地名になったらしい。

ということは、笹塚は何百年も前から、人が長く滞在する場所じゃなくて通過する場所だったってことだ。一緒にシェアハウスに住んでいた女性たちも、次の人生に向かって笹塚を通過していった。同棲できる相手が見つかるまで、一人暮らしができる給料をもらえるようになるまで、少しお金を貯めるまで。

普通だったら絶対友達になっていなかっただろう私たちは、力をあわせていろいろなことを乗り越えた。日当たりが最悪だった家でカビと大戦争をした。ねずみと喧嘩した。失恋したとき、お互いを慰め合った。彼女たちは寛大にも私にたくさん日本語を教えてくれたし、温かさをくれた。今も仲がいいシェアハウス時代の友達の一人とは、会うたびに彼女が私に、「パンツが食い込んでいる」という表現を教えてくれたときの話をする。

幸せなことと同時に苦しいこともたくさんあった。人生で初めて女性の生きづらさがわかった。ストーカー被害に遭ったり、彼氏にモラハラされたり、心に傷もたくさんついた。

日本を離れるときは、穴場のワインバーの個室で友達に囲まれてお祝いしてもらった。バーは私のために集まってくれた人たちの温かさで溢れていた。みんなが、ワインが美味しいの、食事が美味しいの、と気持ちよく騒いでいたときに、私は少し離れてそのシーンを観察した。何もなかったところから一生の財産になる人脈とキャリアを手に入れた、と実感した。いろんな人が若い私の能力を信じてくれたからそれができたと思う。とても感謝している。

そのとき集まってくれた人たちは30代と40代で、立派なキャリアを持っていて落ち着いた生活をしていた。シェアハウスの仲間たちも笹塚を順調に通過して、次の「駅」に着いていた。20代は自分の大人としての人生の基盤ができる時期だ、と叔父に言われたことがある。私も東京で社会人人生の基盤ができていた。

でも、かすかな野心が胸をよぎった。私の旅はまだまだ続くはずだった。

日本の友達、仕事を離れて、寄り道をしながらロンドンにたどり着いた。

仕事が変わった。もう日本語じゃなくて、英語だった。LINEじゃなくて、WhatsApp。住んでいるマンションにバスタブはない。公園が前と比べると増えたけど、環境汚染も増えた。近所がインド料理屋さんだらけ。ロンドンの多様な人混みの中で私の顔は目立たない。

日本に引っ越したとき、3ヶ月だけだったけど大学時代に留学経験があったのである程度日本人の生活の仕方を知っていた。一方で、イギリスは全く得体の知れない国だった。

大昔、学生だった21歳のときに一度ロンドンに来たことがあった。当時住んでいたアパートの大家のおばさんにノッティングヒルのレシピ本専門店を勧められたので、空港から直接そこに向かった。大量のレシピ本に食欲を刺激されたのでレストランかカフェを探した。唯一、学生の私の手が届きそうなお店はお寿司屋さんだった。

お店に入ってカウンター席に座ってランチセットを頼んだ。「次どうしようかな」とぼんやり考えていたら、背の高い美人がお店に駆け込んできた。毛皮のショートコートに革のレギンスを穿いていた。昼間からそんなカッコをしている人を見るのは初めてだった。「さすがノッティングヒルだー」と思った。

「アレキサンダー・マックイーンが亡くなった!」

その美人のお客さんがアジア人のウェイトレスに泣き叫んで話しかけた。

アレキサンダー・マックイーンは有名なファッションデザイナー。名前を聞いたことはあったけど、詳しいことは知らなかった。

英語が苦手そうなそのウェイトレスは少し困惑したような表情を見せたけれど、悲しみで取り乱した女性を近くの席に座らせて、「いつものものでいいですか」と優しく聞いた。美人のお客さんが頷いて、アレキサンダー・マックイーンがどうのこうのとウェイトレスに喋り続けた。

有名なファッションデザイナーが死んだことで近所の行きつけのお店に駆け込んで店員に泣きつくなんて、私は絶対にしない。最低賃金で安いお寿司屋さんでバイトしているウェイトレスはアレキサンダー・マックイーンを知っているはずがないし、お金を貯め込んだとしてもアレキサンダー・マックイーンの洋服には手が届かないと思う。だけどロンドンではそれが普通だったかもしれない。

お寿司屋さんを出て、少し街を歩いたら高級古着屋さんがあった。すでにショーウィンドウに看板が出ていた。

「RIP Alexander McQueen」

ロンドンでは友達の友達の家に泊めてもらった。同い年のアルメニア人の画家だった。アルメニア語しか通じないホームパーティに行ったりした。

パーティの帰り道、2階建てバスの2階の一番前の席に座って街を眺めた記憶がある。雨が止んだ直後の街の風景がバスの巨大な窓からぼやけて見えた。街を歩いている人の顔もぼやけて見えた。水たまりに反射した信号の色がぼやけて見えた。友達が通過していく場所を解説してくれていたけど、酩酊状態になっていた私の頭の中には何も入ってこなかった。自殺したアレキサンダー・マックイーンはかわいそうだなーとぼんやり思った。

ロンドンに行って頭に残ったのは彼の名前だけだった。

そして、2度目のイギリスでは、アレキサンダー・マックイーンのような、自分の分野で世界のトップレベルになることを目指すような人たちと一緒に仕事ができた。このレベルの人たちと肩を並べて仕事ができると自覚して自信を持てるようになった。

それでも、私は孤独。知らない街で一から自分の基盤を作り直すってそう簡単じゃない。ふと、昔読んだ夏目漱石の本のことを思い出した。彼がイギリスに来たときも同じような気持ちだったんじゃないかな、と思う。彼もとても孤独を感じてイギリス生活に慣れなかった。

私が大好きな都市伝説がある。夏目漱石が、英語教師をしていたとき、学生に「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳させた、という話。

ロンドンで恋をして、好きな男性に「月が綺麗ですね」と言っても100パーセントの確率で通じないだろう。なんで「月が綺麗ですね」が素晴らしい言葉なのか、私がこちらで知り合う人たちにはわかりようがない。その言葉に込められた秘めた恋心、私の心の全てをわかりようがない。

でも、私はここで新しい友達を作る。仲良くなった彼らは私に別の素晴らしい言葉、別の素晴らしい表現を教えてくれるだろう。彼らなりの月の意味も教えてくれるだろう。彼らからすると「月が綺麗ですね」というのは、「死にたい」を意味するかもしれないし、単に「月が綺麗」というだけの意味でしかないかもしれない。

そして、私は彼らに夏目漱石の表現を教える。「月が綺麗」がどんなに素晴らしい言葉か、そんな言葉を生み出すことのできる日本、私が好きな日本のことを伝える。

鈴木綾さんとひらりささんのオンライン講座が開催されます!

テーマ:「それでも日本で生きていく? 日本脱出とフェミニズムの可能性」
開催日時:5月13日(土)19時~21時
場所:Zoomウェビナー

リアルタイムでご覧いただけなくとも、2週間のアーカイブ視聴が可能です。
お申込みの詳細は、幻冬舎大学のページをご覧ください。

関連書籍

鈴木綾『ロンドンならすぐに恋人ができると思っていた』

フェミニズムの生まれた国でも、若い女は便利屋扱いされるんだよ! 思い切り仕事ができる環境と、理解のあるパートナーは、どこで見つかるの? 孤高の街ロンドンをサバイブする30代独身女性のリアルライフ

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ロンドンならすぐに恋人ができると思っていた

大学卒業後、母国を離れ、日本に6年間働いた。そしてロンドンへ――。鈴木綾さんの初めての本『ロンドンならすぐに恋人ができると思っていた』について

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鈴木綾

1988年生まれ。6年間東京で外資企業に勤務し、MBAを取得。ロンドンの投資会社勤務を経て、現在はロンドンのスタートアップ企業に勤務。2017〜2018年までハフポスト・ジャパンに「これでいいの20代」を連載。日常生活の中で感じている幸せ、悩みや違和感について日々エッセイを執筆。日本語で書いているけど、日本人ではない。

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