私たちは、目に映る世界を「ただ見つめているだけ」で当たり前のように理解していると思っています。
でも実は、自ら身体を動かしたり動的な刺激を受け取ったりしなければ、赤ちゃんの視覚は正常に育ちません。「見ること」と「動くこと」は密接に結びついているのです。
今回は、動きが認知能力を覚醒させるメカニズムと、赤ちゃんの脳と視覚に隠された驚きの関係に迫ります。
自分で動かないと脳は育たない?
視覚の発達に必要な「能動的運動」のメカニズム
動きがないと、発達初期の脳は刺激されないという衝撃的な事実があります。1960年代のアメリカの研究者、ヘルドとハインの実験で、視覚にかかわる脳の発達には、環境に合わせて動くことが重要であることが示されました。
実験では、生まれたばかりの2匹の猫を暗室で生活させ、外を見るときには図のような装置につなげました。1匹の猫は自分の意思で歩いて周りを見、もう1匹はそちらに引っ張られながら周りを見ます。

引っ張る猫は、自らの意思で動いて世界を観察します。一方の引っ張られる猫は、自らの意思ではなく受け身で世界を見ます。ポイントは、どちらの猫も同じ分だけ外界を見る点にあります。2匹の猫は全く同じ視覚経験を受けるものの、片方は自ら能動的に動き回って経験し、もう片方は受動的に経験するのです。
このように育てた後で、視覚の働きが調べられました。対象としたのは、連載第11回で紹介した「視覚的断崖」など、視覚にあわせて運動がうまく働くかどうかです。結果、同じ視覚経験を受けたにもかかわらず、受動的に引っ張られた猫の発達は不十分で、接近する物体をうまく回避することも、視覚的断崖を把握することもできませんでした。一方の能動的な経験を受けた猫の発達は正常だったのです。
つまり、同じ経験をしていても、そこに動きがないと意味がないのです。受け取った視覚経験の学習の定着のためには、自ら積極的に環境にかかわる行為が必須です。
親の髪型が変わって子どもが泣き出したら――「動き」が役立つ2つのケース
動きには、形を見る力を促す働きも。たとえば生まれて2か月ほどの幼い赤ちゃんは形に気づきづらいため、髪型を変えたお母さんを見て、見知らぬ人かと泣き出すことがあります。顔つきではなくて、髪型の違いでお母さんかを判断しているのです。
幼い赤ちゃんには、形が囲まれると見えにくくなる「枠組み効果」があるからです。生後2か月以下の赤ちゃんは、図の周りを枠で囲むと、中の図の形の違いに気づけません。違う形の枠をつけると、枠の形は区別できても、中の形は区別できなくなります。これと全く同じことが、顔の判断にも起きるのです。つまり幼い赤ちゃんは、顔の中にある特徴には注意が向かず、顔の周りの輪郭となる髪型で顔をおぼえる傾向があるのです。
このような場合、動きが役に立ちます。先の生後2か月の赤ちゃんでも、中にある図を動かせば、形の違いに気づくことができたのです。これは顔を見ることにもあてはまります。口を動かし目をパチパチさせ、笑ったり怒ったり、さまざまな表情で話しかける顔を見ることで、幼い赤ちゃんは顔の特徴に注目するようになるのです。
動きは、幼い赤ちゃんの顔の記憶を高めることもできます。2009年に私の研究室で、知らない女性の顔をショート動画か写真のいずれかの手段で赤ちゃんに記憶してもらう実験を実施しました。生後3~4か月の赤ちゃんに、女性の顔写真か、同じ女性の1. 5秒ほどの短い動画を繰り返し見せて学習してもらうのです。それぞれ合計30秒間見せ続けたところ、ショート動画では女性の顔を記憶できたのに、静止した顔写真では記憶できませんでした。追加の実験では、この3倍の90秒間、女性の写真を見せ続けたら記憶できることがわかったのです。SNSなどでショート動画が普及するはるか以前の研究ですが、動いている顔のほうが記憶に残りやすいことが示されたのです。
「動き」で錯視が消える? 脳の2つの経路
最後に、自身の動きを伴って見ると錯視が消える実験を紹介します。
使われたのは、『あかちゃんの“みる”を育てるはじめて絵本 いっしょにみるこちゃん』にも載っている、「エビングハウス錯視」です。小さな円や大きな円を周囲に並べると、中心の円の大きさが変わって見える錯視です。錯視にあわせて指を動かしてもらうので、大人を対象にした実験です。
まずは中心にある円を指でつまんでもらいました。大きさの錯視が見えたとしたら、錯視に惑わされて幻の大きさに沿って指は動き、その後、実際の円の大きさに修正されるはずです。錯視の円の大きさに指が動くか、あるいは、錯視に惑わされることなく、実際の円の大きさに指が動くかを調べたのです。実験の結果、指は錯視に惑わされることなく、最初から実際の大きさにあわせて動きました。
つまり錯視は、動いて見ると生じないのです。それは先の空間の回に登場した、視覚と脳の2つの担当の違いによります。身体を動かして見るとき、空間を見るときに登場した背側経路が担当します。一方で、じっくりと観察するのは腹側経路の担当です。
つまり錯視は腹側経路で生じ、背側経路では起こらないのです。空間と動きを担当する背側経路の役割は、物理的な環境世界をしっかりと把握して身体を動かすことにあります。的確なシュートやサーブが打てるのも、この働きによるものです。
さて、現在のデジタル絵本では動画を作り出せませんでしたが、ページをめくると変わる構造から、動画に近い印象を作りあげることを意識しました。読み聞かせる大人にお任せしていますが、ぜひ体験してほしいです。
一方で実際の動画は、幼い赤ちゃんには魅力が強すぎるかもしれません。ここでお話しした幼い赤ちゃんは、注目した部分から目を逸らしにくいという特徴も併せ持ちます。そうなると、見たくないのに目を離せないという状況に陥ることもありえるのです。魅力的な動画、長所と短所を気にしてうまく付き合うことが大切と思います。
<もっと赤ちゃん研究について知りたい方へ>
赤ちゃんは何を見て、何を感じ、どのように世界を理解しているのでしょうか。
こうした赤ちゃんの発達について、山口真美先生の研究室をはじめ、さまざまな研究機関で日々研究が行われています。
研究内容に興味を持たれた方や、研究への参加を検討されている方は、ぜひ以下もご覧ください。
◆中央大学 山口真美研究室
赤ちゃんの視覚発達や認知発達について研究を行っている山口真美先生の研究室です。
◆中央大学多摩キャンパス 赤ちゃん研究員募集
山口研究室では、生後2~8か月頃のお子さまと保護者の方にご協力いただく研究を実施しています。ご出産前からの登録も可能です。
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一橋大学こども発達ラボでは、0~10歳のお子さまを対象とした発達研究への参加者を募集しています。
◆立教大学白井研究室
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