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赤ちゃんは何を見ているのか

2026.07.31 公開 ポスト

東京タワー145mのガラス床は赤ちゃんも怖がる? 私たちが生まれつき持っている不思議な能力山口真美(中央大学・文学部心理学研究室)

高いところを怖がったり、迫ってくるものをよけたり……赤ちゃんが見せる仕草には、生まれつき備わった「自分を守る力」が隠されています。

でも、なぜ生まれたばかりなのに危険がわかるのでしょうか? そして、なぜ大きさと距離を勘違いしてしまうのでしょうか?

そこには、脳の「空間」と「形」を捉えるルートの違いや、子どもの発達にまつわる大切なサインが隠されていました。

さまざまな実験で明らかになってきた赤ちゃんの視覚の世界を探ってみましょう。

 

*   *   *

東京タワーのあのスリル、赤ちゃんも味わえる?

高いところから落ちそうで落ちないスリル満点なエンターテインメントは、遊園地の目玉のひとつです。東京タワーにある「スカイウォークウィンドウ」では、ガラスの床から145メートル下の景色を見下ろす恐怖の体験ができます。同じような設備は、世界各地の高層ビルにあります。赤ちゃんもこうしたスリルを味わうことができるのでしょうか?

想像を絶する高さとそこから落ちてしまうことへの恐怖は、この地球上に生きているからこそ実感できることです。地球上で活動する生物はみな、安全に生きるために空間がなんたるかを把握しているのです。そして生まれてすぐに歩きだす動物も、生まれながらに地球環境にある空間を把握しているといえます。

生まれたばかりのヒツジは高いところに放置されても、そこから転がり落ちることはありません。生まれたばかりで経験がなくても、そこが高くて危ないということが見えているのです。

高い台の上に置いた実験用のヒツジの様子をヒントに、赤ちゃんの能力を調べる実験装置「視覚的断崖」が作られました。硬質ガラスをはめた見せかけの断崖で、1960年に作られたものですが、まるでスカイウォークウィンドウそのものです。

視覚的断崖の実験では、生後間もないヤギやネズミを断崖の手前に立たせ、そのまま進むかを調べました。結果、生まれてからの経験がまったくなくても、断崖を渡ろうとしなかったのです。ヤギやネズミの赤ちゃんが、私たちのようにスリルを味わうかは不明ですが、大人がスカイウォークウィンドウのガラスの床を渡るのをためらうように断崖は渡らないこと、それは生まれつきだったのです。

ハイハイの赤ちゃんも、崖の手前で止まる

このように環境が人をはじめとした動物に与える価値として「アフォーダンス」の概念を示し、デザインや建築業界に多大な影響を与えたのは、心理学者のジェームズ・J・ギブソンです。その配偶者のエレノア・ギブソンは、視覚的断崖を使い、環境世界にあわせて学習する赤ちゃんの姿を明らかにしました。

視覚的断崖を使った実験の様子

人は生まれてすぐには歩けないため、ハイハイで前進できる生後6か月児を対象に、視覚的断崖の実験が行われました。その結果、人の赤ちゃんも断崖を渡ろうとはしませんでした。しかしこれでは、人の空間を見る能力が生まれつきかまではわかりません。

そこでギブソンの弟子のバウワーやヨナスらは、1980年に、新生児を対象にした画期的な実験を考えました。少々乱暴な設定ですが、目の前にボールを投げつけられたら、誰でもとっさによけます。ベビーベッドで寝ている赤ちゃんでも、そんな反応ができるかを調べたのです。

もちろん、生まれたばかりの子どもにボールを投げつけたりはしていません。赤ちゃんの目の前に、迫り来るボールの影を見せる仕組みを作ったのです。向かってくる風圧などの手がかりをなくし、影という視覚だけから近づくことを感じられるかを、迫り来るボールの影に対する反応から調べたのです。結果、頭をそらして避けようとする反応や、目をつぶって防御するような反応が、新生児でも観察されました。高いところから落ちることとボールにぶつかることでは状況が異なりますが、人も動物と同じように、空間に生きる上での危険から身を守る性質を生まれつき備えていたのです。

自分の家の中で迷ってしまう——ウィリアムズ症候群

脳の話に移りましょう。

ここまで見てきたように、空間に沿って身体を動かすことは、生まれたての赤ちゃんでもできることがわかりました。一方で形を見る能力は、視力に代表されるように、徐々に発達します。

見ることは同じでも、空間を見ることと、形を見ることは、脳の別のルートが使われるのです。空間と動きにかかわる視覚は、運動を制御する頭頂葉へ、形と色は側頭葉へと進みます。そして空間にかかわる見方は生きる上で必須であることから、形にかかわる見方よりも先に発達するのです。

脳の図
背側経路と腹側経路:視覚情報は一次視覚野に入った後、下部の側頭皮質へと続く腹側経路と、上部の頭頂部にあたる後部頭頂皮質へと続く背側経路の二つの経路に分かれる。この二つの経路は、発達の順番や発達途上での壊れやすさに違いがある。
(山口真美『発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ』、ブルーバックス、2016年、より)

しかし空間や動きを見る能力は、形を見る能力と比べ、発達中に壊れやすいといわれています。空間認識能力だけが障害を受けることを示す発達障害の事例があります。染色体異常が原因で1~2万人に1人の確率で起こるウィリアムズ症候群は、コミュニケーションや聴覚の能力の高さと空間認識能力の低さのギャップという、独特な認知機能の特徴があります。お喋りで言語能力と対人スキルに長け、音感とリズム感に優れていて、一度聴いた音楽を正確に再現できます。その一方で、自分の家の中でも迷うほど空間認識能力が極端に低いのです。空間認識能力の欠損が、この世界を自由に動き回って生きる上で大きな障害となることは想像に難くありません。なんとも皮肉でやっかいな、人の発達の仕組みを示しています。

大きなイチゴは、近くに見える?

最後に、デジタル絵本『いっしょにみるこちゃん』に登場する、大きなイチゴと小さなスイカにもかかわる実験を紹介しましょう。

デジタル絵本『いっしょにみるこちゃん』p.80~83より

これは、手前にあるものは大きく、遠くにあるものは小さく見える見方とかかわっています。ヨナスによる、赤ちゃんを対象とした実験を説明しましょう。

赤ちゃんにとってなじみのある顔を使った実験で、大きい顔写真と小さい顔写真を並べて見せます。すると、生後7か月の赤ちゃんは、大きい顔の方を近くにあると感じて手を伸ばしました。つまり赤ちゃんには、大きい顔を近くにあるように、小さい顔は遠くにあるように見えたのです。なお実験では、片目にパッチをあてて見るようにしています。片目だと両眼立体視を使わなくなるので、大きさと距離の関係がより見えやすくなるのです。

では、絵本の中のイチゴとスイカは、赤ちゃんにどう見えるのでしょうか。小さいはずのイチゴが大きかったら手前に、大きいはずのスイカが小さかったら遠くに見えるでしょうか。赤ちゃんと試してみませんか?

ヨナスといっしょに野菜や果物の大きさと距離を当てるゲームをアメリカの視覚学会(Vision Sciences Society)で行った。2024年5月

本来は大きさの違う野菜や果物を同じ大きさの写真にして並べています。同じ距離に置かれているはずなのに、スイカは、トマトよりも遠くに見えませんか?

これは、両眼立体視が使えない写真や絵本で見るときに起こる錯覚です。

両眼立体視を使わずに、大きさの違いで距離を測るためこのような錯覚が生まれています。

実験では片目をつぶり、野菜に手を伸ばしてもらいます。

予想外に近かったり遠かったりすることを体験してもらうのです。

*   *   *

隔週金曜日に更新中!

次回は、「大人と赤ちゃんの“見え方”の違い」というテーマでお話ししていきます。

山口真美氏による監修のもと、赤ちゃんの「好き!」を詰め込んだ全140ページのデジタル絵本『いっしょにみるこちゃん』も好評発売中です。

<もっと赤ちゃん研究について知りたい方へ>

赤ちゃんは何を見て、何を感じ、どのように世界を理解しているのでしょうか。
こうした赤ちゃんの発達について、山口真美先生の研究室をはじめ、さまざまな研究機関で日々研究が行われています。
研究内容に興味を持たれた方や、研究への参加を検討されている方は、ぜひ以下もご覧ください。

中央大学 山口真美研究室
赤ちゃんの視覚発達や認知発達について研究を行っている山口真美先生の研究室です。

中央大学多摩キャンパス 赤ちゃん研究員募集
山口研究室では、生後2~8か月頃のお子さまと保護者の方にご協力いただく研究を実施しています。ご出産前からの登録も可能です。

一橋大学こども発達ラボ 参加登録フォーム
一橋大学こども発達ラボでは、0~10歳のお子さまを対象とした発達研究への参加者を募集しています。

立教大学白井研究室
立教大学白井研究室では、赤ちゃん〜おとな・高齢者まで、幅広い年代にまたがって視覚発達研究をしています。
ぜひご家族お揃いでご参加ください。

関連書籍

山口真美/YUYA/大塚朗/わたなべみきこ/ながしまひろみ『あかちゃんの“みる”を育てるはじめて絵本 いっしょにみるこちゃん』

視覚発達の専門家が本気でつくった あかちゃんが夢中になる“はじめて絵本” 生まれたばかりのあかちゃんにとって、 0歳の1年間は“見る力”がぐんぐん育つ特別な時期。 この大切な時期に、見えるもの、楽しめるものを届けたい。 そんな想いから、この一冊は生まれました。 日々あかちゃんと向き合いながら視覚発達の研究を続ける 山口真美氏(中央大学文学部心理学研究室教授)監修のもと、 「あかちゃんの好き!」をたっぷり詰め込んだ全140ページの絵本が誕生。 月齢ごとに変化していく“あかちゃんの見える世界”を大切に描いた、 4つの物語をお楽しみください。

山口真美/YUYA『あかちゃんの“みる”を育てるはじめて絵本 いっしょに みるこちゃん 1. はじめまして みるこちゃん』

『1. はじめまして みるこちゃん』  1~3か月ごろ:くっきり・はっきりしたものが見えるころ

山口真美/大塚朗『あかちゃんの“みる”を育てるはじめて絵本 いっしょに みるこちゃん 2. いっしょに おでかけ みるこちゃん』

『2. いっしょに おでかけ みるこちゃん』  4~6か月ごろ:色や模様に心がわくわくするころ

山口真美/わたなべみきこ『あかちゃんの“みる”を育てるはじめて絵本 いっしょに みるこちゃん 3. おおきい? ちいさい? いただきます みるこちゃん』

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山口真美 中央大学・文学部心理学研究室

山口 真美(やまぐち まさみ)
中央大学文学部心理学研究室教授。日本赤ちゃん学会理事長。専門は認知心理学、とくに乳児の視覚研究。著書に『赤ちゃんは世界をどう見ているのか』(平凡社)、『赤ちゃんは顔をよむ』『あかちゃん研究からうまれた絵本 かお かお ばあ』(共にKADOKAWA)などがあるほか、あかちゃん向け絵本の監修も多数。

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