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人生の目的

2019.06.24 更新 ツイート

第16回

貧乏は遠い昔の物語ではない五木寛之

辛いことや苦しいことがあっても私たちは生き続ける。人生に目的はあるのか。あるとしたらそれは何か――。20年の時を経て名著『人生の目的』が新書版に再編集され復刊。いまの時代に再び響く予言的メッセージ。

*   *   *

ふたたび〈貧乏〉の時代がやってくる

貧乏というのも、若いあいだならまだいい。年をとってからの貧しさは、ちょっと言葉にならないみじめな状態である。それも、自分ひとりのことなら、まだ風流かもしれないが、そこに家族、肉親などが絡(から)んでくると悲惨(ひさん)なことになる。

その上、病気がくわわったりすると、もうお手あげだ。貧乏と家族と病気。私にとって、その複合汚染(おせん)は二度と出会いたくない世界である。

いまではそんな暮らしもピンとこない時代になった。『おしん』も、『一杯のかけそば』も、すでに現実感のないフィクションかジョークの材料でしかない。しかし、はたしてこんな豊かな世の中がこれからもつづいてゆくのだろうか。私はそうは思わない。

すでに誰もが頭の隅のほうで予感していることだが、最近(さいきん)、世の中が少し変だ。

(写真:iStock.com/pinarlauridsen)

前近代的な体質から脱皮するために、などといって、大企業がさらに合併(がっぺい)や提携(ていけい)を進めている。さきごろも都市銀行の大手が合併を発表した。それはいったい、誰のために良いことだろうか。

大きなものが手を結んで、さらに大きくなってゆく。少数の企業が巨大化し、強くなっていくということは、たしかに合理的ではあるだろう。

しかし、そのことは半面、私たち消費者の選択肢(せんたくし)が少なくなることだ。競争相手があちこちでサービスを競(きそ)っていればこそ、私たちはユーザーの立場で比較・選択できるのである。強力な寡占(かせん)体制が市場(しじょう)に君臨(くんりん)するようになれば、私たちはその力の前に、文句も言えずにしたがわざるをえないだろう。

一部の富めるグループはますます富み、大多数は貧しさのなかであくせく働(はたら)くしかないような世の中は、すぐそこまできているのではないか。

アメリカの企業経営者の収入は、一般従業員の平均の二百倍を上まわるという統計もある。平社員が年収五百万円とすれば、トップは十億というわけだ。

すでに労働組合の時代もすぎた。合理化とか、近代化とかいう名目で、使う側が働く人間を自由にクビにすることが当然のような時代がくるだろう。貧乏は遠いむかしの物語ではない。「金が敵(かたき)の世の中」は、確実にその姿を見せはじめている。消費者金融や、中小企業金融業界の目をみはる躍進ぶりは、そのなによりの兆きざしではないだろうか。

〈貧乏〉と漢字で書いていたのが、いつのころからか〈ビンボー〉と書かれるような時代になった。たぶんバブル経済華(はな)やかなりしころのことだろう。〈貧乏〉という字は、みるからに貧相で、もの哀(がな)しい。やりきれない感じだけでなく、嫌悪(けんお)の情がつきまとう。しかもどこか鈍(どん)くさく、絶対、近づきたくない気がする。

一方、カタカナで書く〈ビンボー〉には、なんとなく軽(かろ)やかで洒脱(しゃだつ)な雰囲気(ふんいき)があった。同じように金に困ってはいても、困りかたがぜんぜんちがう。片方は米屋での米の一升買いだったり、質屋通(がよ)いだったり、病気の親をかかえての借金生活である。

〈ビンボー〉には、それがない。都会で暮らす若い単身生活者の金のなさ、である。きょう食うものがないとなれば、固くなったバゲットの切れ端にオリーブ油でもたらしてかじろうという雰囲気だ。

しかし、いまふたたび、あのやりきれない〈貧乏〉の時代がやってくる気配(けはい)がある。千円札一枚の重さが、ひしひしと身にしみる世の中が、もうそこまできているのだ。

時代は後もどりしない、という。しかし世の中は常にくり返すものである。そのかたちはちがっても、少数の超強者が多数の弱者を支配するのが二十一世紀の世界だと私は思う。

そうなればなるほど、金というものの力が大きくなってくるはずだ。人間万事金の世の中、というのは、封建時代の昔の話ではない。

しかし、私自身をふり返ってみて、つくづく思うのは、金銭というものに対する態度が、じつにいいかげんであることだ。金銭の思想といえば大げさだが、金銭観というものが、まるで確立されていないのである。

当然のことながら、人は子供のころから日常的に接しているものに対して、自然に身心の感覚が身についてくるものらしい。赤ん坊のときからピアノの鍵盤(けんばん)を指で叩(たた)いて遊ぶ子供は、おのずから音感というものが育ってくるだろう。タイガー・ウッズを例にひくまでもなく、スポーツにしても、芸能にしても、語学にしても、どれだけ早くからながくそれに接してきたかは、決定的に重要だ。

日本人の大多数は、田舎(いなか)のムラで生きてきた。ムラではモノや土地がものを言う。私はムラ出身の二世である。金銭に対するきちんとした心がまえや、自分にとって金とは何か、という考えかたが欠如(けつじょ)していたとしても、それはある部分で仕方のないことのような気がしないでもない。しかし、はたしてそれでいいのか。

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関連書籍

五木寛之『人生の目的』

人生に目的はあるのか?あるとしたら、それは何か。 お金も家族も健康も、支えにもなるが苦悩にもなる。人生はそもそもままならぬもの。ならば私たちは何のために生きるのか。 刊行から20年――。人々に寄り添うその深い洞察が大反響を呼んだ衝撃の人生論。 平成という時代が変わる今、再読したい心の羅針盤。大きな文字で再編集した新書オリジナル版。

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人生の目的

人生に目的はあるのか。あるとしたらそれは何か――。お金も家族も健康も、支えにもなるが苦悩にもなる。人生はそもそもままならぬもの。ならば私たちは何のために生きるのか。

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五木寛之

1932年福岡県生まれ。生後まもなく朝鮮にわたり47年引き揚げ。52年早稲田大学露文学科入学。57年中退後、PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代新人賞、67年「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞、76年『青春の門 筑豊篇』ほかで吉川英治文学賞を受賞。『蓮如』『大河の一滴』『風の王国』『戒厳令の夜』など著書多数。英文版『TARIKI』は2001年度「BOOK OF THE YEAR」(スピリチュアル部門)に選ばれた。2002年に菊池寛賞を受賞。『親鸞』(2010年刊)で毎日出版文化賞を受賞。

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