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人生の目的

2019.07.03 更新 ツイート

第21回

「善人でさえも救われるのだから、悪人が救われるのは当然」だ五木寛之

辛いことや苦しいことがあっても私たちは生き続ける。人生に目的はあるのか。あるとしたらそれは何か――。20年の時を経て名著『人生の目的』が新書版に再編集され復刊。いまの時代に再び響く予言的メッセージ。

*   *   *

仏はまず〈悪人〉を救われる

「悪人正機説」にしてもそうだ。若い人たちのために説明をくわえておくと、「悪人正機説」とは、ふつうは『歎異抄(たんにしょう)』という古い書物のなかに紹介されている親鸞(しんらん)という宗教家の言葉にもとづく考えかたのことをいう。

以前は親鸞のオリジナルな表現と受けとられていたようだが、最近では親鸞の師であった法然(ほうねん)から伝えられた考えかただと主張する説も目立つ。私にとっては、どちらでも一向にかまわない。そもそも考えかたとしては、インド、中国の大乗(だいじょう)仏教の流れのなかにふくまれている思想なのである。『口伝鈔(くでんしょう)』という古い本のなかに、《如来(にょらい)の本願(ほんがん)は、もと凡夫(ぼんぷ)のためにして、聖人のためにあらざる事》という一章があって、こんなことが述べてある。

(写真:iStock.com/NataliaDeriabina)

「本願寺の聖人(しょうにん)、黒谷(くろだに)の先徳(せんとく)より御相乗(ごそうじょう)とて、如信上人(にょしんしょうにん)おおせられていわく、世のひと、つねにおもえらく、悪人なおもて往生(おうじょう)す、いわんや善人をやと。
(中略)
この事、とおくは弥陀(みだ)の本願にそむき、ちかくは釈尊出世(しゃくそんしゅっせ)の金言(こんげん)に違せり。
(中略)
傍機(ぼうき)たるべき善凡夫、なお往生せば、もっぱら正機たるべき悪凡夫、いかでか往生せざらん。
しかれば、善人なおもて往生す、いかにいわんや悪人をやというべしと、おおせごとありき」

わかりやすく整理して言うと、こういうことだ。

「如信上人(しょうにん)はあるときこう言われた。

世間ではよく、阿弥陀仏(あみだぶつ)の慈悲は広大無辺(こうだいむへん)で、悪人でさえもわけへだてなく救ってくださるそうだから、ふだんから善(よ)い行いを積んできている善人が救われるのは当然のことだ、などと言ったりする。

しかし、こういう考えかたは、仏の願いを裏切り、釈尊(しゃくそん)の尊(とうと)いお言葉にも反するものだ。

考えてもみなさい。仏は、この世で哀(かな)しい生きかたをしている罪ぶかい人びとを、まず第一に救おうと願いをたてられたのではなかったか。

恵まれた者たちは二番目の仕事なのだよ。その第二の幸せな者(善人)たちさえも救われるわけだから、なによりも大事なあわれな人びと(悪人)がまず救われるのは当然ではないか。

だから、世間でよく言うように、悪人でさえも救われるのだから、善人が救われるのは当然、などと言ってはいけない。むしろ、それを言うなら逆に、善人でさえも救われるのだから、悪人が救われるのは当然だろう、と、こう言うべきだろう。

この考えかたこそ、親鸞聖人が師の法然上人からじきじきに教えられた〈悪人正機(あくにんしょうき)、善人傍機(ぜんにんぼうき)〉という大事な考えかたなのだよ、と如信上人は語られた」

ずいぶん長ったらしくなったが、つまりこういうことが『口伝鈔』という文献に書かれているのである。

また、このことについては、大法輪閣から刊行された、〈精読・仏教の言葉〉シリーズの『親鸞』のなかで、著者の梯(かけはし)實圓(じつえん)氏がこう述べておられるのを読んだ。かねてから愛読している梯氏の、達意簡明(たついかんめい)な入門書であるからして、私にもすっきり納得のいく解説だった。その一部を引用させていただくことにしよう。

《法然からの口伝》という一章だ。

〈ところでこのような悪人正機を表す言葉は、初めは文献を通さずに法然から親鸞へ、そして直弟子の唯円(ゆいえん)へと口伝(くでん)〔くちづたえ〕されたものであった。

それは、浄土真宗(じょうどしんしゅう)の教えがまだ一般化していない時期には、このような厳しい法話は誤解を受ける危険性が多分にあったから、正確に理解できる弟子にだけ口伝として伝えられたのであった。

覚如(かくにょ)の『口伝鈔(くでんしょう)』にも「本願寺の聖人(親鸞)、黒谷の先徳(源空〔げんくう〕=法然〔ほうねん〕)より御相承(ごそうじょう)とて、如信上人、仰せられていはく」といって、同じ悪人正機のご法話が、法然・親鸞・如信(親鸞の孫で、覚如の師)と口伝されてきたとして記録されていた。

それが法然のご法話であったということは、醍醐(だいご)本『法然上人伝記』の「三心料簡および御法話」の最後に、「善人なほもつて往生す、いはんや悪人をやの事」という言葉が漢文で記されていることでわかる。

そこにも「口伝これあり」という細註(さいちゅう)がほどこされている。

そしてこの言葉を法然から授けられた勢観房源智(げんち)のものと思われる解説が付けられている。

これは悪人正機説が、もとは法然から出たという『口伝鈔』の伝承を裏づけるものといえよう〉

要するに大事な考えかたや、貴重な言葉というものは、ながい歳月のあいだ人間の心のなかに脈々と流れているものであって、どの地点が源流点であるとは言えないのではあるまいか。ガンジスの流れをさかのぼって、ヒマラヤの氷河まで旅するドキュメンタリー番組をテレビで見たことがある。

しかしヒマラヤの万年雪がとけて、一滴の水としてしたたる地点を確認できるわけではない。大氷河の成り立ちは、雪であり、霧(きり)であり、雲であり、水蒸気であるわけだから、どこを出発点とするかは見かたによってさまざまだろう。

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五木寛之

1932年福岡県生まれ。生後まもなく朝鮮にわたり47年引き揚げ。52年早稲田大学露文学科入学。57年中退後、PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代新人賞、67年「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞、76年『青春の門 筑豊篇』ほかで吉川英治文学賞を受賞。『蓮如』『大河の一滴』『風の王国』『戒厳令の夜』など著書多数。英文版『TARIKI』は2001年度「BOOK OF THE YEAR」(スピリチュアル部門)に選ばれた。2002年に菊池寛賞を受賞。『親鸞』(2010年刊)で毎日出版文化賞を受賞。

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