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人生の目的

2019.04.15 更新

第7回

誕生の瞬間から、人は不自由なものを背負っている五木寛之

辛いことや苦しいことがあっても私たちは生き続ける。人生に目的はあるのか。あるとしたらそれは何か――。20年の時を経て名著『人生の目的』が新書版に再編集され復刊。いまの時代に再び響く予言的メッセージ。

*   *   *

人間とは不自由な存在である

こうできたらなあ、という夢なら、いくらでもあるだろう。一人前のヤクザになりたいと本気で夢みている少年もいるはずだ。弁護士になって市民運動を応援する、というのもひとつの夢だ。ベンチャービジネスをおこして、国際的な成功をかちえるという夢もある。

思うに、すべての人は、その人なりの目標や夢をもっている。名声、権力、金、そして健康。やり甲斐のある仕事というのもあれば、愛という見えないものを必死で求める人もいる。また憎しみをバネに生きている人もいる。

目的や目標なんて面倒くさい、その日その日を漫然とすごしているのが一番さ、という人もいるだろう。しかし、そんな暮らしを維い持じするのも、それはそれで、なかなか大変なことなのではあるまいか。

こうして並べたてたいろんなことを考えてみても、人生の目的というものは、それらの具体的な目標とはちょっとちがう問題のような気がするのは私だけだろうか。

たとえば、

「自己実現こそが人生の最高の目的である」

などという言いかたがある。そういうことを説(と)く本は、むかしから少なくなかった。心の奥に眠っている自己の無限の可能性に気づき、それを引きだし、最大限に個性と才能を花ひらかせる生きかたこそ人生の目的である、というような主張だ。なるほど、と一応は納なつ得とくする。しかし、なぜそうしなければならないのか、などと言いだしてしまえば話はつづかない。父親と一緒に建物の上から飛びおりようとする小学生の兄弟に向かって、「自己実現が人生の目的なんだよ」などと本気で言えるだろうか。

自己のうちに眠る無限の可能性、という。しかし、思わず笑ってしまうが、人間は自分の身長すら思うとおりにはできない頼りない存在なのである。私は若いころ、あと五センチ背丈(せたけ)があれば、と、しばしば思ったものだった。いまでもそう思うことがある。私の体型だと、既製服(きせいふく)がなかなか合わないのだ。サイズが少ない上に、必ず袖(そで)を短くつめなければならない。靴もそうである。幅広甲高(はばひろこうだか)、おまけに真性偏平足(しんせいへんぺいそく)ときている。形(かたち)のいい靴は、絶対に古い日本人タイプの私の足には合わないのだ。

もしも本当に人に無限の可能性があるのなら、誰にでも変えたいと思うところは数えきれないほどあるだろう。それはどうにもならないことに多い。しかし、そんなことを言えば、前向きタイプの人からは、笑って反論されるかもしれない。無限の可能性というのは体型や運動能力のことではないんだよ、人間の内面的な創造力のことなのさ、と。

しかし、私は人間をひとりひとり全(まった)くちがう存在として考えている。そして、そこにこそ人間の価値があるのではないかと思っている。

人間とは不自由なものである。私たちはオギャアと生まれる瞬間から、いや、その前の受胎(じゅたい)の段階から百人百様の異(こと)なった条件をあたえられてスタートするのだ。努力や誠意でそれを変えることはできない。

(写真:iStock.com/jedraszak)

仏教の開祖(かいそ)とされる釈迦(しゃか)、いわゆるブッダが説いた四つの真理の第一は、「人生は苦(く)である」という考えだった。私たちの存在を本質的に苦と見るのだ。生きるということは、すなわち苦しみである。そして、その苦の世界から解放される方法を、ブッダは論理的に、くわしく究(きわ)め、それを人びとに説きつづけた。

人が生きるということは苦しみである。そのことを悟(さと)り、その苦しみから自由になることを考え、そしてその方法を人びとに教えること、それがブッダの人生の目的だったのだろうか。

ともあれ人生を苦と見る考えかたには、逆らいがたい迫力がある。〈苦〉と訳したのは中国人だ。もともとのサンスクリットの言葉では〈思うにまかせぬこと〉〈思うとおりにならないこと〉といった意味もふくまれているらしい。それを〈苦〉と訳してしまうと、少しずれてくる感じがなくもない。「人が生きるということは、思うにまかせぬこと」である、といってもらえばよくわかる。人間というものは、自分の思うとおりにはならないものなのだ。そう考えると、運命、という言葉や、宿命、という表現がふと頭にうかんでくる。そもそも私たちはこの世に誕生する瞬間から、そういう不自由なものを背負って生まれてくるのではないか。

私たちは自分で、生まれてくる家を選ぶことができない。親も、兄弟姉妹(きょうだいしまい)も、私自身が選んだものではない。生まれる国も、民族もそうである。大都会か、砂漠のまんなかか、それとも南海の孤島か。肌の色や髪の色もそうだ。黒の髪でなく金髪に生まれてきたかった若者もいるだろう。男か、女か。また生まれる時代にしても勝手に選ぶことはできない。私は小学生のころ、講談本で伊賀(いが)や甲賀(こうが)の忍術つかいの話を読み、自分が戦国時代に生まれてこなかったことを心の底から口惜(くや)しがったものだった。

五木寛之『人生の目的』

人生に目的はあるのか?あるとしたら、それは何か。
お金も家族も健康も、支えにもなるが苦悩にもなる。人生はそもそもままならぬもの。ならば私たちは何のために生きるのか。

刊行から20年――。人々に寄り添うその深い洞察が大反響を呼んだ衝撃の人生論。
平成という時代が変わる今、再読したい心の羅針盤。大きな文字で再編集した新書オリジナル版。

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人生の目的

人生に目的はあるのか。あるとしたらそれは何か――。お金も家族も健康も、支えにもなるが苦悩にもなる。人生はそもそもままならぬもの。ならば私たちは何のために生きるのか。

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五木寛之

1932年福岡県生まれ。生後まもなく朝鮮にわたり47年引き揚げ。52年早稲田大学露文学科入学。57年中退後、PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代新人賞、67年「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞、76年『青春の門 筑豊篇』ほかで吉川英治文学賞を受賞。『蓮如』『大河の一滴』『風の王国』『戒厳令の夜』など著書多数。英文版『TARIKI』は2001年度「BOOK OF THE YEAR」(スピリチュアル部門)に選ばれた。2002年に菊池寛賞を受賞。『親鸞』(2010年刊)で毎日出版文化賞を受賞。近著に『白秋期』『漂流者の生きかた』などがある。

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