
最近、本棚のまわりに立っている人を見て、「もしかして店にくる人が変わった?」と不意に思った。みなマスクをしているから自信はないが、明らかに初々しい人が増えているように見える。
「最近この辺りに越してきたばかりで、散策していたらこの店を見つけました。面白そうな本がたくさんありますね」
会計のあと、そう興奮気味に話してくれた男性がいた。どこに行くにしても前もって調べてからといったいま、たまたまという体験自体がほんとうに尊い。またきますといって彼は帰っていったが、それを見ていると数年前によくきていた若い男性客のことを思い出した。彼は元気で仕事を続けているのだろうか。
最初にきた時は、自分で作っているフリーペーパーの取材だったように思う。大学生という割には質問が本格的で、後日送られてきた冊子には、取材のお礼を丁寧に記した自筆の手紙が添えられていた。
彼が毎週のように店にくることになったのは、それからしばらく経ってからだ。店内に視線をやるといつの間にかそこにいて、毎回一時間くらい店内を見渡したあと黙って会計を済ませ、フレンチトーストを食べて帰る。彼は特に何も話さなかったし、わたしから話しかけることもなかったが、その丸まった、少し寂しそうな背中が印象に残っていた。
「あの猫シャツの子。いっぱい本を持っていたから、あなたの代わりに品出ししてくれているのかと思っちゃった」
妻がそのように笑って話すくらい、本をたくさん抱えていたときもあった。猫シャツの子とは、彼はよく猫柄の開襟シャツを着ていたからなのだが、「そういえばあのフリーペーパーはまだ続けてるの?」とある日会計の時に聞いたら、「覚えてくれていたのですね……」とはにかみながら消え入りそうな声でつぶやいた。なかなか就職先が決まらなかったが、印刷会社に内定がもらえたそうだ。
彼が帰ったあと、「ちょっと、これ……」と妻がいうので何かと思ったら、「いつも美味しいフレンチトーストをありがとうございます」とやさしい字で書かれたメモが、皿の下に挟まれていた。生きることに不器用な子もいまだたくさんいるのだ。
われわれが「坊っちゃん」と呼んでいる青年は、毎週金曜日の開店直後にやってくる。まだ社会人になって間もないようで、この辺りでは見かけることの少ない、折り目正しいスーツが目にまぶしい。彼は絵が好きなのか、店に入りカフェで注文をしたあと、決まって二階のギャラリーに上っていく。
金曜は展示の初日にあたることが多く、そうした時には作家が在廊することもあるから、彼はその度にはじめて知った作家さんと話をする(昼休みにアーティストと話すのって、すこし贅沢かもしれない)。一度nakabanさんにスケッチブックを見せて励まされていたことがあり、坊っちゃんは自分でも絵を描くのかとその時は驚いた。
そういえば最近姿を見せないなと思っていたところ、この前の休日店にやってきた。久しぶりに見た彼は髪が少し伸びて、なぜか作務衣のようなものを着ていたので、お寺の雲水にでもなったのかと思った。
聞けば東京の西の方に転勤になったそうで、「この服で出歩くのも親にはやめてくれといわれてるんですけど」と苦笑いした。服の裾には絵の具がべったりと跳ねていて、ああ、描くことは続けているんだと、それを見てうれしくなった。
今回のおすすめ本
『私が望むことを私もわからないとき』チョン・スンファン 小笠原藤子訳 ワニブックス
本は黙っているように見えるが、問いかければいつも答えてくれる。韓国で書評サイトを運営する著者が、あなたに寄り添う文章をエッセイとともに紹介する一冊。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年5月17日(土)~ 2025年6月2日(月)Title2階ギャラリー
春風亭一之輔・得地直美『こっせつくん』出版記念、得地直美原画展
春風亭一之輔さんと得地直美さんがタッグを組んだ絵本、『こっせつくん』がテキサスブックセラーズから刊行されます。イラストレーターの得地さんにとっては、初のカラー絵本。出版を記念してTitleのギャラリーにて、絵本の原画やテストピースなどを展示いたします。
『こっせつくん』は、この原画展がどこよりも早い先行販売。春風亭一之輔さんと得地直美さん、お二人のサインが入った本もご用意します(サイン本販売はご用意した本がなくなり次第終了)。
◯2025年6月6日(金)~ 2025年6月24日(火)Title2階ギャラリー
きみまでのおさらい
井上奈奈『うさぎまでのおさらい』刊行記念展
2018年ドイツにて開催された「世界で最も美しい本コンクール」にて銀賞を受賞し、話題となった絵本『くままでのおさらい』。そのスピンオフ作品として制作された『うさぎまでのおさらい』が、このたび装いもあらたにビーナイスより刊行になります。今回の作品展では、この『うさぎまでのおさらい』『くままでのおさらい』とともに、2024年に刊行になったエッセイ集『絵本を建てる』の作品も展示します。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【書評】
『生きるための読書』津野海太郎(新潮社)ーーー現役編集者としての嗅覚[評]辻山良雄
(新潮社Web)
◯【お知らせ】NEW!!
「はたらき」を回復する /〈わたし〉になるための読書(5)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第5回。人の流動性が高まる春、さまざまな仕事とその周辺についての3冊をご紹介します。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。