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本屋の時間

2021.06.01 公開 ポスト

第111回

「タチバナヤ」辻山良雄

昨年の春、一度目の緊急事態宣言が出ていたときのこと。その日は休みにしていたが、仕事で店には来ていたので、用事のある人には店内に入れるようにしておいた。パソコンで作業をしていたら、入口のほうで何か大きな音がしたので、仕事の手を止め見に行くと、入ってすぐのスロープになっているところに、おばあさんが横になって転がっている姿があった。

 

「すみませんねぇ。坂になっているとは思わなかったから」

あわてて椅子を持ってきて、そこに座ってもらったが、彼女はこちらの心配をよそに店内を物珍しそうに眺めていた。聞けばここから三分ほどのところに住んでいるというのだが、足が悪いため外に出ることはほとんどなく、この店のことも、体を心配してやってきた息子から聞いて、はじめてその存在を知ったという。

「ここはむかし鶏肉屋さんだったのよね。へぇ……本屋さんになったのね」

その日おばあさんは、あらかじめ用意していたメモを手渡し、本を一冊注文した。その本は先に代金をもらって、後日入荷したとき、妻がメモに書かれた住所まで行って、家のポストに投函してきた。戻ってきた彼女には、「三分以上かかったわよ」といわれてしまった。

 

この場所にあったはずの鶏肉屋に関しては、聞かなくても多くの人が話してくれるので、およそのことはわかっている。老夫婦が営んでいたこと、店先で出していた焼き鳥が美味しかったこと、何か事情があったのか、長年続いた店を突然やめてしまったこと……。

あなたはお肉屋さんの息子さんですかと聞かれたこともこれまでにはあったし、通りの向こうでスケッチをしていた人に、自作の書店と鶏肉屋時代の建物を描いたポストカードを二枚、恥ずかしそうに差し出されたこともあった。

「前のご主人、このまえ〇〇さんでお見かけしたわよ」

〇〇さんとは近くにある整形外科のこと。その七〇くらいの女性は、鶏肉屋の主人のことは、自分が子どものころから知っているという。

「声をかけようとしたんだけど、気づかなかったのか、そのまま外に出てしまわれたわ」

こうした昔のことを教えてくれる人は、たいていが〈地の人〉だ。彼らからそうした話を聞くときは、自分がどこにも所属していない根なし草のような存在に思えて、大きな顔をして店を構えているのが急に恥ずかしくなる。わたしがどこかの〈地の人〉になるときは、永遠にこないのだろう。

ご主人の消息に関して教えてくれたその女性も、最初のおばあさんと同じように、店内を興味深そうに眺めていた。鶏肉屋だったころは、建物の奥は老夫婦が暮らす空間になっていたから、ずっと入れなかった家に招かれたような気がするのかもしれない。

肉を売っていたはずの場所はいつの間にかテントが付け替えられ、いつもいたおじいさんは、目の前の眼鏡をかけた中年男性に変わっている。彼女からしてみれば五年という月日は、それこそないにも等しい時間だったのだろう。

いつかその主人に会う日がくるのかもしれない。電気のメーターを検針すると、いまだに「タチバナヤ」と印字されたレシートが出てくる。

 

今回のおすすめ本

『百年と一日』柴崎友香 筑摩書房

ある場所に流れる永遠とも一瞬とも思える時間。その深淵を覗いて書くことは怖くもあるが、作家に与えられた特権といえるかもしれない。

 

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

○2024年10月4日(金)ー 2024年10月22日(火)Title2階ギャラリー

柊有花『旅の心を取り戻す』展

柊有花 詩画集『旅の心を取り戻す』(七月堂)の刊行を記念した展示を行います。イラストレーター・詩人として活躍中の柊さんらしい、絵と言葉の展示です。「旅」というテーマで作ったこの本を起点に、さらにイメージが広がる空間が広がります。会場では新刊の詩集のほか、展示に併せて制作されたグッズや、作品の販売も行います。
 

◯【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】

スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。

『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』

著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
 

【書評】NEW!!

『アウシュヴィッツの小さな厩番』ヘンリー・オースター [著]/デクスター・フォード [著]/大沢 章子 [訳](新潮社)ーーアウシュヴィッツを含む3つの強制収容所を生き延びたユダヤ人が書き残した悪夢のような日常とは? [評]辻山良雄
(Book Ban)

『決断 そごう・西武61年目のストライキ』寺岡泰博(講談社)ーー「百貨店人」としての誇り[評]辻山良雄
(東京新聞 2024.8.18 掲載)

 

【お知らせ】NEW!!

我に返る /〈わたし〉になるための読書(3)
「MySCUE(マイスキュー)」

シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第3回が更新されました。今回は〈時間〉や〈世界〉、そして〈自然〉を捉える感覚を新たにさせてくれる3冊を紹介。

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
 

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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