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本屋の時間

2021.05.01 公開 ツイート

第109回

ベージュのクラウン 辻山良雄

現在東京には三度目となる緊急事態宣言が発令されている。昨年のこの時期も最初の緊急事態宣言中で、その時は店を閉めていたが、今回は通常通り店を開けることにした。

店は街のなかにあるから、いくら空気なんか読むなといわれても、街の空気には自然と敏感になる。ゴールデンウィークは店を開けるのですかと何人かのお客さんから聞かれ、いつも通り開けますよと答えると、「あぁ……」と怒るでも喜ぶでもない、なんとも感情の掴めない反応が返ってきた。その諦念を含んだ反応自体が、いまの空気を表しているのだろう。

 

 

先日、福岡の義父が亡くなった。日曜日の午後、店番をアルバイトのMくんに任せ、家に帰って原稿を書こうとしたら、スマートフォンに妻からのメッセージが届いた。

いまお父さんが急に倒れ、心肺停止状態になった。

そこにはそのように短く書かれていた。

すぐに店まで戻ったが、そのあともう一度妻に電話がかかってきて、結局意識は戻ることなく、義父はそのまま亡くなってしまった。

十七時頃のことであった。その前日は断続的に雨が降り、予報ではその日も天気はよくなかったはずなのに、それを覆すような澄んだ青空となり、この時間西陽が目に眩しい。こんな日に人は亡くなってしまうのだ。その日はそれからほとんどお客さんは来ず、翌日からすぐ福岡に帰った。

思えば昨年は一度も福岡の実家に帰ることがなかった。正月は飛行機や宿の値段も高く、店も開いているところが少ないので、三月くらいにゆっくり帰ればいいかと話していたら、みるみるうちに状況が変わり、「ただ親に会うためだけに帰る」ということができなくなってしまった。

数年前から義父の体のことは心配をしていたが、こんな急に亡くなってしまうとわかっていれば、無理をしてでも帰っただろう。コロナであろうとなかろうと人は死んでしまうものだから、誰かに伝えたいことがあるのなら、それはそう思ったときに伝えるほうがよい。ほんとうに悔やんでも悔やみきれないことである。

わたしが東京に帰る日のこと。その日はまず区役所に行き、死亡後の手続きを進める予定で車に乗ったが、「先週お父さんと糸島の食堂に行ったけど、満席で入れんやった」というお義母さんの何気ない一言から、じゃあこれから糸島までドライブしましょうと急に目的地が変更になった。ずっと気の張ることが続き、みなパッとしたい気分だったのだろう。その日も何日目かの晴れで、海が近づくにつれ少しずつ気持ちが解放されていくのがわかった。

「ちょっとそのダッシュボード開けてみて」

妻の言う通りダッシュボードを開けると、そこにはディスカウントストアで買ったのか、高倉健とフランク永井のベスト盤CDが入っていた。そのチョイスが何だかお義父さんらしくて笑ってしまったが、このCDはもう誰からも再生されることがないのだろうと思ったら、急に淋しさがこみあげてきた。

ハンドルを握る主はもういなかったが、車は数日のあいだ、いい大人になった子どもたちから乗り回され、大活躍していたのはよかった。

 

今回のおすすめ本

『チャリング・クロス街 84番地 増補版』へレーン・ハンフ 江藤淳訳 中公文庫

この小さな物語が長年愛されてきたのは、物の売り買いにはとどまらない、人間味にあふれた交流があったからである。それは単なる「いい話」ではなく、本を売るという商売の原点を教えてくれる。

 

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

○2024年4月12日(金)~ 2024年5月6日(月)Title2階ギャラリー

『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』小林エリカ原画展

科学者、詩人、活動家、作家、スパイ、彫刻家etc.「歴史上」おおく不当に不遇であった彼女たちの横顔(プロフィール)を拾い上げ、未来へとつないでいく、やさしくたけだけしい闘いの記録、『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』が筑摩書房より刊行されました。同書の刊行を記念して、原画展を開催。本に描かれましたたリーゼ・マイトナー、長谷川テル、ミレヴァ・マリッチ、ラジウム・ガールズ、エミリー・デイヴィソンの葬列を組む女たちの肖像画をはじめ、エミリー・ディキンスンの庭の植物ドローイングなど、原画を展示・販売いたします。
 

 

【書評】New!!

『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)[評]辻山良雄
ーー震災で3人の子供を失い、絶望した男性の心を救った米国人女性の遺志 津波で亡くなった外国人と日本人の絆を取材した一冊
 

【お知らせ】New!!

「読むことと〈わたし〉」マイスキュー 

店主・辻山の新連載が新たにスタート!! 本、そして読書という行為を通して自分を問い直す──いくつになっても自分をアップデートしていける手段としての「読書」を掘り下げる企画です。三ヶ月に1回更新。
 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。4月16日(日)から待望のスタート。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
 

黒鳥社の本屋探訪シリーズ <第7回>
柴崎友香さんと荻窪の本屋Titleへ
おしゃべり編  / お買いもの編
 

◯【店主・辻山による<日本の「地の塩」を巡る旅>書籍化決定!!】

スタジオジブリの小冊子『熱風』2024年3月号

『熱風』(毎月10日頃発売)にてスタートした「日本の「地の塩」をめぐる旅」が無事終了。Title店主・辻山が日本各地の本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方をインタビューした旅の記録が、5月末頃の予定で単行本化されます。発売までどうぞお楽しみに。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

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辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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