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50代を迎え討つ!

2026.06.25 公開 ポスト

ボーイング777の機内にて佐藤友美(ヘアライター・エディター)

カミーノ巡礼を終えて日本に帰国してはや1カ月半。すっかり日本のペースに戻ったので、入れ歯vsインプラントの続きとか、血圧200と除霊の話とか、マッチングアプリとじょふうの話とか、いろいろ書きたいのだけれど、その前に、どうしても気にかかってならないことがある。
あれ以来毎日思い出すこと。脳内にずっと残るそれを書かないことには前に進めない気がしたので、今回はその話を。

スペイン・カミーノ巡礼で自分探しをした結果、どんなに自分に飽きたとしても、そんな自分とこれからも付き合っていくしかないんだなと思ったという文章を書いた(前々回「パンツ2枚で自分探しのスペイン巡礼」より。読者登録で無料で読めます)。

ところが。その文章が公開された直後、日本に帰国するボーイング777の機内にて。私は、巡礼とか自分探しとか、そんなものが全部ぶっ飛ぶような出来事に遭遇した。

 

その日、私は、イスタンブールでトランジットしていた。少し前にドーハやドバイにミサイルが撃ち込まれたこともあり、その便の搭乗口は中東経由のフライトを避けた日本人客でごった返していた。

旅行会社の小さな旗を持った添乗員さんが、私のいる場所からだけでも5人見える。団体客は年配の人が多いようだ。60代とおぼしき女性グループ、70代であろう老夫婦。「やっと日本語だけで会話できますね」などと語る人の声も聞こえた。帰国したら三々五々の解散なのだろう。連絡先を交換しあっている人たちもいる。

機内に乗り込む。私の席はエコノミー席最後尾のひとつ手前、右側3列席の通路側だ。この席は、後ろに席がないので気兼ねなくリクライニングができる。
右隣の女性は私と同じくらいの年齢で、さらに奥、窓側席に座る人は彼女の母親のようだった。母娘2人旅の帰路かなと、ちょっと頬がゆるむ。

小さな異変は、離陸予定の10分前に起こった。そろそろ滑走路に入ろうとスタンバイしていた機内に、たどたどしい日本語でアナウンスが流れた。
「お客さまの中にご気分の優れない方がいらっしゃいます。洗面器をお持ちの方がいたら乗務員にお声かけください」

「え? 洗面器? どういうこと?」
機内にくすくす笑いが起こる。誰か吐きそうな人がいるのだろうか。そして、洗面器を持って飛行機に乗るってどういうシチュエーションだろうか。日本語の翻訳間違いだろうか。

その後、なにやら左奥のほうがざわざわとしだした。
どうやら、具合が悪くなったのは私たちと同じ列の、中央4席を挟んだ先の席の人のようだ。私とは線対称の位置になる。CAが通路側に座る人に話しかけている。顔は見えない。だいぶ悪いのだろうか?

医者でもなんでもない私は、役に立てることもないしと、そのまま読書を続けていた。隣の母娘は、羽田に着くのが遅れたら、国内線の最終に乗れなくなる人が出るかもしれないねと心配をしている。

ん? と思ったのは、ピッ、ピッ、ピッという規則的な電子音が聞こえてきたからだ。隣に座っていた女性が、そっと立ち上がって私の左奥を覗いた。しばらく見ていた彼女は一度母親のほうを向き、小さな声で「AEDしている」と言った。

え? AED?

そっと視線を左に向ける。どうやら、先ほどの人が通路に寝かされ、その周りを何人かが囲んでいるようだ。私の席からAEDの様子は見えないが、その前の席で立ち上がって通路を凝視している2人の顔は見えた。日本人だろう。2人とも顔から血の気が引いていて、目が大きく見開かれている。

雪のように綺麗な白髪を持つその2人のことは覚えていた。パスポートコントロールで私の前にいた2人だ。おそらく夫婦だろう。自分の親くらいの年齢だろうなと思ったので、覚えていたのだ。では、倒れた人はその2人の知り合いだろうか。
異変に気づいた近くの席の人たちも、ちらちらとそちらの方向を盗み見している。だが、最後尾だったこともあり、大多数の人たちは、何が起こっているのかに気づいていないようだった。
救助しているらしい人たちも、誰も大きな声を出していない。ピッ、ピッ、という機械音が聞こえるだけだ。

数分経った頃だろうか。
「あっ」
と、隣の女性が声をあげた。彼女は突然、膝の力が抜けたようにすとんと椅子に腰を落とした。
そして、母親に向かって呆然としたような声でささやいた。
「たぶん、死んだ」

え。
え? 死んだ?

どういうこと? と思った瞬間、前方からどやどやと制服姿の男性が乗り込んできた。担架が持ち込まれている。
「あの制服、空港にスタンバイしている医者だと思う。ほら、ロゴがあるでしょ」
隣の彼女が母親に耳打ちしている。男性たちはしばらくかがみ込んでいたが、そのうち立ち上がって真っ赤なシートを広げ始めた。

「お母さん、この人のパスポートはわかりますか?」
おそらくトルコ人であろうCAの一人がカタコトの日本語で尋ねる。尋ねられた女性は、あの白髪の老婦人だった。大きく開いた口に手をあて、ムンクの「叫び」のような顔をしていた彼女は、CAの言葉にハッと飛び上がった。そして、倒れていた人のバッグの中をまさぐったかと思うと、パスポートを差し出した。

え。ちょっと待って。

頭の中がすーっと冷たくなる。急に周りの空気が薄くなったようだ。息が苦しい。
あの人が、お母さん? ということは、あの老夫婦のお子さんが亡くなったということ?

乗り込んできた医者らしき人たちが持っていた担架は使われることはなかった。その代わり、その人は赤い袋に入れられてボーイングの後部非常口から運ばれていった。シートだと思ったのは、遺体を運ぶボディバッグだった。
先ほどのCAが老婦人に何か話しかけている。彼女は蒼白な顔のまま、こく、こくっと頷いていた。CAは座席上部の荷物入れを開け、いくつかの荷物を取り出した。それを手渡された白髪の2人は、CAに先導されて飛行機を降りて行った。

「洗面器はありませんか?」のとぼけたアナウンスから、ものの20分くらいだったと思う。
さっきまでそこにあった、ひとつの命が、消えた。

亡くなった人のことは覚えていなかった。彼なのか彼女なのかもわからない。でも、その人はパスポートコントロールではきっと、両親と一緒にいただろう。私たちは、機内に乗り込んだ時刻もほぼ同時だった。この機内にも自分の足で歩いて入ってきたはずだ。荷物だって自分で棚に上げたはずだ。
それなのに。
今はもう、いない。

その瞬間をこの目で見たわけではないけれど、人が死んだ場所に居合わせたのは初めてだった。祖父母のときも父のときも、臨終のときに私はいなかった。
命は、あんなふうに、突然終わるものなのか。
そして、あんなに静かに消えていくものなのか。

飛行機は30分遅れで出発した。おそらく、何が起こったのかを目撃したのは、最後尾に座っていたほんの少しの乗客だけだろう。

11時間のフライト中、私はうまく眠ることができなかった。鼻がつまってうまく呼吸ができない。口の中がからからで唾がうまく飲み込めない。

家族旅行だったのだろうか。
どこに行っていたのだろう。
それは何回目の家族旅行だったのかな。
楽しい思い出は作れていただろうか。
この旅行を計画したことを、あの老夫婦は後悔しているだろうか。

そして考えた。
あの老夫婦は私の両親と同じくらいの歳だった。ということは、そのお子さんも私と同じくらいの歳かもしれない。
40代か、50代か。ある日突然、こんなふうに人生が終わることを、その人はきっと想像していなかっただろう。

ズキズキする頭で考える。
私の番だったかもしれないんだよな。あの人じゃなくて、天から呼び出されるのは私だったかもしれなかった。そういう歳なのだ。

東京に戻ってから、なにはともあれ、身辺整理だと思った。
荷物の整理。お金の整理。権利関係の整理。そして、未来の整理。残った時間の整理。

巡礼を終えたあとの気持ちを、私はこう書いた。

よし、人生を変えよう。
私はもう私で変わらないけれど、今あるいろんな仕事やタスクや服やアクセサリーやその他いろんなしがらみを一度整理して、人生を変えよう。

同じことを、いま、もうちょっと深い切実さで、思っている。

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50代を迎え討つ!

美容ライター&コラムニストの佐藤友美(さとゆみ)が、きたるべき50代を、なるべく明るく楽しく最小限の痛手で迎え入れるために、尊敬する先輩や頼もしい識者の方々に話を伺いながら右往左往するコラム。

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佐藤友美 ヘアライター・エディター

ライター・コラムニスト。1976年北海道知床半島生まれ。テレビ制作会社のADを経てファッション誌でヘアスタイル専門の美容ライターとして活動したのち、インタビューライターに転向。現在は、様々な媒体にエッセイやコラムを執筆する。著書に『女の運命は髪で変わる』、『書く仕事がしたい』、『ママはキミと一緒にオトナになる』など。理想の男性は冴羽獠。理想の母親はムーミンのママ。中学生の息子を持つシングルマザー。

 

 

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