これが噂のミッドライフクライシス?
紳士淑女のみなさま。
みなさまにおかれましては、ユニクロのエアリズムのおパンツ(Lサイズ)が何グラムであるか、ご存知だろうか。
おへそまで隠れるジャストウエストサイズの場合、25グラムである。
この25グラムのおパンツ2枚(黒と紺を1枚ずつ)を握り締め、私はこの春、2週間のスペイン巡礼に行っていた。約8キロのザックを担ぎ、300キロを歩く。四国のお遍路さんの、ヨーロッパバージョンである。
英語ダメ、運動ダメ、ダニアレルギーもちの小太り50歳が、なぜ突然、寝袋をたずさえ一人バックパックのスペイン巡礼など思い立ったのか。
……自分探しである。
くうう、書いてて恥ずかしい。恥ずかしいぞ。
でも、本当にそうなのだ。ここ1、2年。私は私の輪郭がよくわからなくなってきていた。
仕事はそれなりに順調である。子育てもまあ落ちついてきた感ある。人生に大きな不満はない。体調も低め安定。
だけど、だけど、だけど!
なんだか、心が激しく動くことがない!
辛いことは何もないけれど、つまらない!
欲しいものがない。買いたいものもない!
人の才能が羨ましくて歯ぎしりしていた私の、嫉妬心はどこへいった?
毒をくらわば皿までレベルで欲深かった私の、強欲はどこへいった?
こんな感じでしゅるしゅると、人生は終わっていくのだろうか。なんだか、日々日々枯れていく感じがする。そう、枯れる、だ! この焦りは枯れていくことへの焦りか。
これって、噂のミッドライフクライシス?
そんなことを思っていたのが、1年前。そしてさらに1年経って、焦りすらなくなってきた。心の針が全然ふれない。凪の日が続きすぎて、向こう岸まで見えそうだ。
なんか、パサパサだな、私。どっかにうるおい、落っこちてないかな。刺激、降ってこないかな。
そうだ、旅にでよう!
単純な私は思った。
なるべく、今までしたことがないような旅!
というわけで、スペイン巡礼、別名「カミーノの道」である。
BLACK OR BLUE
前後合わせて3週間。北海道に住む母に息子をお願いし、私はポルトガルのポルトに飛んだ。
ここから、スペイン北西部の世界遺産、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂を目指して歩く。
私はポルトからスタートしたけれど、フランスの道、イギリスの道などルートはいくつもあって、その全員がサンティアゴを目指す。
巡礼の目印は、ホタテ貝。老いも若きもグループもソロも、ザックにホタテを背負って、歩く。すれ違う人たちは「ブエン・カミーノ!(Buen Camino)」と声をかけてくれる。「良い旅を」みたいな感じ。

毎日20キロから30キロ、その日の天候や体調に合わせて、歩く。歩いた先で、宿を見つける。たいていは、教会や自治体などが運営する格安の宿に泊まる。2段ベッドは先着順で、その日着た服を手洗いして干す。
荷物は重いし、この地方は雨もよく降る。足にできた水ぶくれはつぶれて痛いし、外反母趾も靴にあたる。
でも、そうやってただただ歩く毎日は、想像よりもずっとラクだった。結局、この道を行くしかないというシンプルさがいい。
「ああ、今日も無駄にダラダラ過ごしちゃったな」
とか
「あの展示会いっとくべきだったかな」
とか
「この時間に1本原稿を仕上げられたのではないか」
とか。
そういう後悔や罪悪感がない。
とにかく、前に進むしかない。
選択肢がないって、なんてらくちんなのだろう。
おパンツとブラだって、2セットしかない。黒か紺。今日はどっちを着ようと悩めるほど手数がない。
DEAD OR ALIVE.
BLACK OR BLUE.
(ただし、途中でなぜか上下の色が揃わなくなった。どこでズレた?)
あれのせい、これのおかげ
カミーノは恋の道、友情の道などと言われ、一生付き合う人と巡り会えるなどと聞く。けれども、私にはそういう連れあいができなかった。英語がド下手すぎるのもあるけれど、なんだか人と話すと疲れちゃう。それが顔に出ていたのかもしれない。
おりしも巡礼ベストシーズンらしく、日を追うごとに巡礼者が増える。レストランも宿も巡礼者だらけだ。
それで途中から、巡礼者のうち1割しか選ばないという別ルートを選んだ。
厳しい山越えがあるとのことで、前日はゆっくりと眠ろうと思った。宿のみんなは一緒に夜ご飯を食べに行ったらしい。食堂には私ひとり。スーパーで買ったカップラーメンをすする。
外はどしゃぶりだ。明日はあがるだろうか。
そして、その次の日。
私は、人生で一番美しい日を過ごした。
*
朝起きたら、晴天だった。
昨日遅くまで飲んでいたらしいみんなは、まだ寝ている。
私は、一人、そっと宿を出た。
突然ルート変更したせいで、このレアなルート上の宿はどこも予約で満室だという。私も慌てて予約サイトを見るが、山越えのあと、下山した街にしか宿が取れなかった。みんなよりも、長く歩く必要がある。
山を登り切った村には、美しい教会があった。みんながビールで乾杯しているのを横目に、私は、山を降りた。
この下り道が、今まで見たどんな景色よりも、美しかった。
前日の雨のせいで、苔むした緑が深々と呼吸をしている。
周りには誰もいない。歩き終わるのがもったいなくて、何度も立ち止まって、何度も肺に空気を送った。

森の中を抜け着いた宿は、巡礼の道を大きく外れ、見渡す限りのぶどう畑の中にあった。
宿、というより、ワイナリーに一部屋だけ泊まれる部屋があったのを予約したのだ。
ひと眠りしたら、ワイナリーのスタッフが声をかけてくれた。
「ゆみ、うちのワインを飲んでいけよ」
人懐っこい顔をした彼は、セラーから出したワインボトルをあけてくれる。
キリッとみずみずしい味。ぱつばつっとワインが跳ねているようだ。
ここはとても小さなワイナリーだから、ほとんどはアメリカにしかおろしてないんだけど、去年は日本にも営業に行ったよ。
東京、大阪。そう、大阪にはうちのワインを入れているスペイン料理屋があるから、今度行ってよ。シェフはこの近くで料理の修行をしてたんだ。
私がカタコトの英語しか話せないせいで、会話はすごくゆっくりだ。
知っている単語をつないで、だけどほろ酔いだから、そのゆっくりが全然気づまりじゃない。
キミはどうしてカミーノにきたの? と彼は聞く。
どうしてだろう。よくわからない。デトックスしたかったのかも。そう答えると彼は、「それはいい。カミーノはいろんなことを脳から追い出してくれるよね。そしてワインはそれを手助けしてくれる」と、ウインクした。
私たちは、ベランダに出てワイン畑を見下ろしながらそれを飲んだ。夕方なのに高い太陽のせいで、ワインはどんどんぬるくなっていく。
「どんどん、開いていくだろう? 味が広くなる」と、彼はグラスの中の液体をくるくるとまわす。
4杯目のおかわりをした時
Life is so beautiful.
と言われた。
その英語は、私の耳でもはっきりと聞き取れた。
ああ、ほんと、そうだね。
キミが山の上で宿をとれなかったのはso luckyだったよ。
ああ、ほんと、そうだね。
突然ルート変更したおかげで
宿が取れなかったおかげで
前日の雨のおかげで
拙い英語のおかげで
まだ高い太陽のおかげで
人生で最も美しい日を過ごすことができた。
私ね、ボブ・マーリーの歌詞が好きなんだと伝える。
おお、ボブ・マーリー。それはどんな歌詞?
Love the life you live.
Live the life you love.
あなたが生きる場所で人生を愛しなさい
あなたが愛する場所に生きなさい
私がそう言うと彼は、その日一番の笑顔で乾杯をしてくれた。
「いいね! オレもボブ・マーリーに賛成だ!」
よし、人生を変えよう
ゴールとなるサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂が近づくにつれ、私はどんどん憂鬱になっていった。
ああ、終わってしまうな。
到着してしまったら、ゴールは消える。道はなくなる。この先また私は日本で、ゴールのわからない道を歩くのだろうか。
たくさんの仕事とタスクと服とアクセサリーに囲まれて、今日はどうしようと、何かを選ぶのだろうか。
そして、選ばなかったことのほうをいつも気にかけ、小さな後悔やらささいな罪悪感やらをあしらいながら、生きていくのかな。
歩き終えて、巡礼証明書をもらっても、大聖堂のミサに参加しても、とくに何の感慨もわかなかった。
帰りのフライト長いなあと思ったら、ますます憂鬱になった。日本に帰るのが億劫だ。
自分探しにきて気づいたこと。
自分はもう、自分にだいぶ、飽きている。
*
ホテルに戻ると、頼んでいたランドリーサービスが仕上がっていますと言われた。洗濯物は全部綺麗にたたまれて、布つきのバスケットの中にうやうやしく置かれてた。
そのまま持っていっていいと言われたので、バスケットをかかえて部屋に戻る。
ベッドの上にかごを置いて電気をつける。
服を手に取ると、ヨーロッパ特有のフローラルな洗剤の匂いがする。汚れがとれないから捨てて帰ろうかと思っていた薄手のパーカーの袖口が、綺麗になっている。
その袖口を見たとき、ふと涙がこみあげてきた。
これだけあれば2週間生きていけると選んだ服や帽子。毎日汗だくになるので、共同のシャワールームで石鹸でゴシゴシ洗った。時にはじゃぶじゃぶ足で踏みつけて泡をきった。
その服たちが、いま、大切なものを取り扱うような態度で扱われて、私のもとに戻ってきたのだ。
綺麗だな、と思った。

私ももうだいぶ、擦り切れているし、汚れているし、くたくただ。毎日同じ自分に、飽きたりもしている。
けれど、こんなふうに大事に扱っていけばいいのかもしれないな。
なんか、そんなことを思った。
*
次の日、13日かけて歩いた距離を、バスで4時間で戻ってきた。窓の外の景色は、びゅんびゅんと通り過ぎる。
ポルトに到着する直前に、ふと閃いた。
よし、人生を変えよう。
私はもう私で変わらないけれど、今あるいろんな仕事やタスクや服やアクセサリーやその他いろんなしがらみを一度整理して、人生を変えよう。
そして、綺麗に洗濯して、垢を落として、いい匂いのする自分になろう。
バスを降りてすぐ、東京に戻ったら会いたい人たちに連絡をした。
戻るのが嫌じゃなくなった。
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50代を迎え討つ!

美容ライター&コラムニストの佐藤友美(さとゆみ)が、きたるべき50代を、なるべく明るく楽しく最小限の痛手で迎え入れるために、尊敬する先輩や頼もしい識者の方々に話を伺いながら右往左往するコラム。










