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本屋の時間

2026.05.15 公開 ポスト

第188回

現実が要求する辻山良雄

わたしの数少ない趣味のひとつは、美術館や博物館に行くことだ。仕事や猫の通院の都合で行けないときも多いが、「今日こそは休むぞ」と決心した日の朝には、美術館スケジュールをくまなく眺めて、いま東京で何の展示が行われているのかを確認する。

だからそんな愛する場所には、これからも変わらずそこにあり続けてほしいのだが、数年前からこの博物館・美術館まわりにも、見るものを複雑な気持ちにさせる、きな臭いニュースが飛び交っている。

 

最初に「おや?」と思ったのは、上野にある国立科学博物館のクラウドファンディングだった(ⅱ)。ウェブサイトによれば「科博」の主なミッションは、「調査研究」「展示・学習支援」そして「標本・資料の収集・保管」の三つ。だがコロナ禍での光熱費や原材料費の高騰により、その根幹が大きな危機に晒されたという。

「えーっ(それは大変)。でもそういうときってクラウドファンディングにたよるものだっけ?」

結果としてクラウドファンディングには、目標を大幅に超えるお金が集まったというが、そもそも「国立」博物館のピンチは「民間」の善意に頼るものなのだろうか。

それ以降も東京国立博物館が、歴史ある池の前庭を商業施設に見られるような芝生に改修し、コンサートやビアガーデンなど様々なイベントを開催できるようにする「TOHAKU OPEN PARK PROJECT」を発表(ⅲ)。文部科学省も国立の博物館と美術館の中期目標として、展示にかかる費用の65%以上を4年後までに自己収入で賄えるよう求め、それが達成できない館は「再編」の対象にするとしている(ⅳ)。

これらの動きに共通するのは、「稼げる」博物館・美術館への移行だろう。もちろん持続可能な文化事業には経営感覚が必要だし、公費に依存する割合が高くなれば、外部の介入が行われやすくなる弊害もある。しかし〈個〉を育む美術と、「稼ぐ」という新自由主義的な言葉の折り合いの悪さといったらない。ニュースを見た瞬間、何者も侵すことのできない多様な〈個〉が、「稼ぐ」という世知辛い価値観に覆いつくされてしまったようで「いやな感じ」がした。

科博のクラウドファンディングにしても目標金額は1億円なのだから、9兆円以上ともいわれる国の防衛費を考えれば安いものではないか? この国は博物館ひとつ救おうとしないのかと愕然としたが、その貧しさは実際のお金のあるなしよりも、すぐにはお金にならないものに対する軽視(蔑視)に強く現れていると感じた。

「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」より、藤田嗣治《シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)》(1942)

昨年見た展示の中でもっとも印象に残ったのは、竹橋の東京国立近代美術館で行われた「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」だった。戦後80年の節目の年に、同館が所蔵する「戦争画」を中心に構成した大規模な美術展で、藤田嗣治や猪熊弦一郎など、これまで多くの作品に触れてきた作家たちの戦争画も展示されていた。時代背景を考えれば描かされているようにも思えるし、筆を運んでいるあいだ描けてしまった(、、、、、、、)絵のようにも見える(みな人並外れた芸術家なのだから)。絵の前に立つと、〈個〉が蹂躙されてしまう戦争について考えざるを得ず、ただうつくしい絵を観るだけの美術展とは異なる複雑な後味が体に残った。

今後大規模な「戦争画」の展覧会はいつ行われるかわからないし、記憶に留めておくためにも図録は持っておきたい。しかしショップでは売られておらず、その後出版社から発売される様子もなくて、そのことを残念に思っていたところ、先日の4月28日、当の国立近代美術館がオンラインにて展覧会の「記録集」を無料公開した(ⅴ)。

美術館へのインタビューを読むと、もともと図録は作成したいと考えていたようだ。しかし今回の展示は周りへの配慮が必要な内容でもあるため、メディアとタイアップして大々的に宣伝・展開することができず、結果として図録作成に必要な資金を集めることができなかったという。

これも結局「お金」の話なのか。

センシティブな内容の展示だったことは理解するが、国立の美術館でも、図録作成の資金に困るほど財政が逼迫していることにまず驚いてしまった。

しかしこの無料での公開は、どこか学芸員たちの無言の抗議のようにも思えてならない。上からは稼ぐことを求められ、だが「伝えたい」という学芸員としての使命感との狭間で選んだ無料の公開。記録集はタダであることが申し訳なく思えるほどの緻密な内容で、学芸員による解説も、戦争という悲劇を繰り返さないため美術に何ができるのかを問いかけた真摯なものであった。その無料公開に至った胸中はいかなるものであったのか、筆致が胸に迫るほど、静かな意志(プロテスト)が伝わってくると言えば、穿った見方に過ぎるだろうか。

 

戦争という嵐は、人がそれまで築いた人間らしい活動を一瞬で無に帰し、美術も文学も個人のかけがえのない生活もすべてその中に動員する。〈公〉だからこそ可能になる、静かで穏やかな場所を維持していくことが、平和を愛する心を育てていくと思うが、それは長い目で見れば経済的にも理に適ったことではないだろうか。ビアガーデンも、平和だからこそ享受できる楽しみなのだから。

 

※ⅰ タイトル<現実が要求する> ヴィスワヴァ・シンボルスカ 沼野充義=訳『終わりと始まり』より
※ⅱ https://readyfor.jp/projects/kahaku2023cf
※ⅲ https://artexhibition.jp/topics/news/20251112-AEJ2779659/
※ⅳ https://news.yahoo.co.jp/articles/c7d56c9a5ef4ab1b07cd664b041a03b45e33be44
※ⅴ https://www.momat.go.jp/topics/20260428

今回のおすすめ本

ふたりの読書会 無期受刑者との本をめぐる往復書簡』向井和美 岩波書店

つらい状況に置かれた人ほど、生きるためにことばを必要とする。悔恨の思いのなかはじまった、本をめぐっての往復書簡。

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

◯2026年5月15日(金)~ 2026年6月1日(月) 本屋Title2階ギャラリー

「カナシイホトケ」奥山淳志写真展

本屋Titleでは奥山淳志さんの新作『カナシイホトケ』の刊行記念展をおこないます。同書に収録された写真を中心に19点を展示予定。写真家本人が自家暗室にて製作するオリジナルプリントです(作品は販売もいたします)。「東北」の精神世界に触れる、奥山さんの新たな旅の行方をご覧ください。

◯【お知らせ】

旅のことば|〈わたし〉になるための読書(9)
「MySCUE(マイスキュー)」 辻山良雄

今回は、記憶のポケットに残る、たよりなくも美しい「旅のことば」をたどってゆきます。素敵な2冊をご紹介。

 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。

偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

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辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

幻冬舎plusでできること

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