もう一週間以上この国のトップニュースは、森喜朗東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の女性蔑視発言と、それに続く引責問題であった。森氏の発言や会見での不遜な態度、何もなかったかのように幕引きを図ろうとしたこの国のエリートたちのことを考えると暗澹たる気持ちになる一方、いま現在そのような社会しか作れておらず、無意識にそれに加担してしまっているかもしれない自分に対しての不甲斐なさも残る。
「いったい彼らは、このことについてどう思っているのだろうか」
そうしたニュースを目にするたび、わたしは店にくる若い人たちのことを思い出す。彼らはあまり語ることはないが、自分たちを取り巻く環境に何が起こっているか、それに対し周りの大人たちがどのような態度を取っているか、よく見て、感じていると思うからだ。
以前、彼らの中には店内で騒いだり、大っぴらに写真を撮ったりと、周りのことが目に入っていないのではないかと思わせる人もいた(もちろんそれは「大人」と呼ばれる人の中にもいて、決して年齢で括れるものではない)。しかし気持ちが完全に晴れることのなくなったいま、そうした重苦しさは何も持たない若者に、より深刻な影響を与えているように見える。
大学の授業がリモートになり同級生と会っていない(会ったことがない)。仕事がないからアルバイトは来なくていいといわれた。不景気で家の空気も変わってしまった……。
久しぶりに会った友人や恋人同士が押し黙り、どこか憂愁を含んだ時間を過ごしているのを、最近ではよく目にするようになった。
彼らの胸を押しつぶしているのは決して「天災」だけではないだろう。その無力感をさらに押し広げているのは身勝手な大人たち。本来大人は、堂々と申し開きのできる仕事をして、保身や損得がすべてではないということを、若い人に見せなければならない。みながそう思ってこの社会の当事者になれば、少しは希望の持てる世のなかに変わっていける気もするが、それは楽観的にすぎるのだろうか。
先日、旧知の編集者であるMさんが久しぶりに店に来てくれた。彼が結婚したのは知っていたが、その妻となった女性も、また以前から別のところで知り合っていた人であり、その二人が突然揃って現れたものだから驚いてしまった。聞けばこうしたコロナ禍の状況で、まだセレモニーのようなことは何も行っていないという。
まあ、それはいつでもできるからね。
わたしは二人にそういった。軽く口をついてでてきたような言葉であったが、あとから考えれば本心に近かった。
生きていることが所与の事実ではなくなったいま、生きてさえいればいつでも改まったことはできる。お上はそのつど変わるかもしれないが、日々を健やかに、したたかに生き延びることが庶民の生きる知恵だ。そう、彼らに、こころの生存権まで引き渡さないためにも。
仲睦まじく展示を見ている二人の背中を見て、死んではならないと思った。どんなに息が詰まりそうな時代であっても、生きてさえいれば……。
今回のおすすめ本
『ぼく自身のノオト』ヒュー・プレイザー きたやまおさむ訳 創元社
思う存分自問自答し、考えることは、若い人に与えられた特権である。まったく「無名」の著者による、個人の日記の抜粋。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
○2024年9月20日(金)~ 2024年9月30日(月)Title2階ギャラリー
「なぜ自分の家族の作品を作るのか?」写真家木村肇の写真とインタビューで、作品制作の背景をたどった書籍「嘘の家族」の刊行を記念して、写真展を開催します。早くに亡くなった両親の存在を隠し続けてきた作家が、実家の部屋をギャラリースペースに再現し、嘘か本当か、曖昧な家族の記憶を行き来するような作品を展示します。
◯【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【書評】NEW!!
『決断 そごう・西武61年目のストライキ』寺岡泰博(講談社)ーー「百貨店人」としての誇り[評]辻山良雄
(東京新聞 2024.8.18 掲載)
『うたたねの地図 百年の夏休み』岡野大嗣(実業之日本社)ーー〈そのもの〉として描かれた景色が、普遍の時間へと回帰していく瞬間 [評]辻山良雄
(Webジェイ・ノベル 掲載)
◯【お知らせ】
我に返る /〈わたし〉になるための読書(2)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第2回が更新されました。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。
毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間
東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。