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本屋の時間

2021.02.01 公開 ツイート

第103回

ある夢にまつわる話 辻山良雄

年に数回、決まって見る夢がある。細部はその時により少しずつ異なるが、内容はいつも同じ。調べによりあなたは大学を卒業していないことがわかったから、今日から不足している単位をすべて取らなければならない。卒業するまでは仕事も辞め、毎日大学にくること。そのように誰かから言い渡される夢。

 

そう伝えられ、これからどうしようと鬱々としはじめたところで、いつも目が覚める。しばらく放心したあとまわりを見回し、「ああ、今日も店にいけばよいのだ。別に大学には行かなくてもよいのだ」とすこし安心するのだが、体じゅうからはまだいやな汗が出ている。そうした夢を見ることに少しは心当たりもあるのだが、それがわかったからといって、夢の方からわたしのもとを去ってくれるわけでもない。

わたしは大学にいたとはいえ授業にはほとんど出ず、入学式も卒業式も行かなかったから(卒業式の日、ホーチミン・シティの路上でひとりフォーをすすりながら「ああ、今日は卒業式なんだな」と思った記憶がある)、大学にほんとうにいたという実感がない。学生街の食堂や古本屋、大学近くで続けたアルバイトなど周辺の記憶は鮮明なのだが、肝心の授業での記憶だけがすっぽりと抜け落ちているのだ。しかし卒業はしたかったから、テストのときはどこからか回ってきたノートのコピーで準備し、ゼミも初回の顔見せ以外は一度も出なかったが、論文は資料を集め、書くだけは書いて教授室のポストに投函した。

つまりすみませんすみませんと誰かれともなく謝りたくなる「卒業」だったのだが、毎度夢にまで見るのは、そのうしろめたさがずっと心に残っているのだろう。まったく、堂々と胸を張れるものしか、その後の役にはたたないということだ。

もう十年以上前になるが、必要にかられ(何の要件かは覚えていない。もしかしたらそれも夢のバリエーションの一つかもしれない)大学まで卒業証明書を取りに行ったことがある。その時は東京に戻ってきたころで、妻と一緒に出かけた。彼女は大学の講堂を見て「ふわー、大きいね。やっぱり福岡とは違うね」などと感心していたが、わたしはといえば本当に卒業証明書が発行されるのか、内心不安に思っていた。

結果からいえば、卒業証明書はすぐに発行された。わたしが学生だった頃にはなかった、現代的な管理事務所で整理券を受け取り待っていると、お待たせしましたと事務所の方がカウンターまでやってきて、卒業証明書を渡してくれた。市役所で転出届を渡されるときのように、あっさりとしたものだった。

よかったね。じゃあ行こうか。

妻のその言葉から、現実にすぐ引き戻されたが、まだ半信半疑の状態ではあった。

「ここがテレビでよく紹介される〇〇食堂、この通りは高木ブーさんが住んでいるブー通り。おれも何回か見かけたことあるよ」

そのように彼女を案内しながら、駅のほうまで歩いた。まだ肌寒い日で、途中見覚えのあるタイ料理屋に入った。タイ料理屋はわたしが知っている名前からは変わっており、以前は恰幅のよいタイ人のお母さんがやっていたと思うのだが、その時は若いタイ人男性の店員が二人いた。彼らは互いにはにかみながら「トムヤムラーメンいっちょう!」などと言い合っていたので、悪いと思いつつ少し笑ってしまった。

 

今回のおすすめ本

はみだしルンルン』鹿子裕文 東京新聞

この世界をきつく取り締まってやろうとする人間がいる一方、それをゆるく開放して、笑い飛ばす人間がいる。どちらが人間らしいかは明らかだが、そのように行動できる人もまた少ない。
はみだした場所から人を見る。わたしたちもまた見られている。

 

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

○2024年4月12日(金)~ 2024年5月6日(月)Title2階ギャラリー

『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』小林エリカ原画展

科学者、詩人、活動家、作家、スパイ、彫刻家etc.「歴史上」おおく不当に不遇であった彼女たちの横顔(プロフィール)を拾い上げ、未来へとつないでいく、やさしくたけだけしい闘いの記録、『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』が筑摩書房より刊行されました。同書の刊行を記念して、原画展を開催。本に描かれましたたリーゼ・マイトナー、長谷川テル、ミレヴァ・マリッチ、ラジウム・ガールズ、エミリー・デイヴィソンの葬列を組む女たちの肖像画をはじめ、エミリー・ディキンスンの庭の植物ドローイングなど、原画を展示・販売いたします。
 

 

【書評】New!!

『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)[評]辻山良雄
ーー震災で3人の子供を失い、絶望した男性の心を救った米国人女性の遺志 津波で亡くなった外国人と日本人の絆を取材した一冊
 

【お知らせ】New!!

「読むことと〈わたし〉」マイスキュー 

店主・辻山の新連載が新たにスタート!! 本、そして読書という行為を通して自分を問い直す──いくつになっても自分をアップデートしていける手段としての「読書」を掘り下げる企画です。三ヶ月に1回更新。
 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。4月16日(日)から待望のスタート。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
 

黒鳥社の本屋探訪シリーズ <第7回>
柴崎友香さんと荻窪の本屋Titleへ
おしゃべり編  / お買いもの編
 

◯【店主・辻山による<日本の「地の塩」を巡る旅>書籍化決定!!】

スタジオジブリの小冊子『熱風』2024年3月号

『熱風』(毎月10日頃発売)にてスタートした「日本の「地の塩」をめぐる旅」が無事終了。Title店主・辻山が日本各地の本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方をインタビューした旅の記録が、5月末頃の予定で単行本化されます。発売までどうぞお楽しみに。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

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辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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