

アメリカ大統領選、新型コロナウィルス感染の裏で急速に拡大した「陰謀論」。これまでも歴史的な出来事が起きるたびに、荒唐無稽だと思えることが語られ、広がってきました。なぜ人々は「陰謀論」に心ひきつけられ、信じてしまうのでしょうか? 2014年発売の新書『陰謀論の正体!』(田中聡・著)は、「我々はすでに『陰謀論の時代』に踏み込んでいる」という序とともに、「陰謀論の時代」を生きるリテラシーを提示しています。本書より、「陰謀論の定義」を抜粋してお届けします。
権力の関与を語っていること、現実味がないということ
陰謀論の定義は、論者によってさまざまにある。しかしその多くは、ありもしない幻を怖れているといったような否定の意味合いがあらかじめ込められている。否定するための定義になっているのである。
陰謀論研究の古典とされる『The Paranoid Style in American Politics and Other Essays』(一九六五)を書いた歴史学者のリチャード・ホーフスタッターは、陰謀論的な思考を「政治の偏執症的様式(パラノイド・スタイル)」と呼ぶのだが、それは、とてつもなく巨大な力を持つ悪しき者たちの大がかりではかりしれない陰謀が、これまでの歴史を織り出してきたとする、誇大妄想的な考え方のこととされている。
この論文は、アカ狩りの記憶も生々しい頃に書かれ、もっぱら極右団体などの唱えていた陰謀論が念頭におかれていたためもあって、頭から否定している定義になっている。それでもホーフスタッターは、陰謀論が受け容れられたのは、そこになにがしかの真実の根や芽が含まれているからだろう、とも考えている。ただ、その根や芽から解釈されることのスケールが問題なのだ。
「陰謀を歴史の中に位置づけることと歴史は事実上陰謀であるということ、すなわち、時として起こってくる陰謀的な行為を選び出すことと、社会についての説明という大きな織物を悪しき陰謀という糸だけで織り出すことの間には大きな差異があるのである」(『改革の時代』みすず書房)
ようするにメガ陰謀論のような壮大な陰謀史観のみを、ホーフスタッターは分析の対象とした。今日では、「歴史の中に位置づけ」られるような「陰謀的な行為」についての推論も、陰謀論と呼ばれることが多い。つまりホーフスタッターが政治のパラノイド・スタイルとして考えたことは、今日の陰謀論と呼ばれるものの一部分にすぎないと考えるべきだろう。
ホーフスタッターは、陰謀として歴史を観ることを、ポピュリズムの特徴の一つとして分析し、アメリカの精神史のうちに位置づける先駆的な仕事をした。しかし、それをパラノイド・スタイルと名づけたことが現代にいたるまで影響し、パラノイアという言葉が陰謀論の別名のように使われるようになった。
ホーフスタッター自身は、病理学的な意味ではなく、たとえとして借りただけで、たとえばバロックという様式名と同じようなものだと書いているのだが、それでも、アジテーターや、その主張に惹かれる人々について、心理主義的な解釈をほどこしており、そのことも、陰謀論といえばイカレた妄想とみなされる一因となった。
イギリスのジャーナリスト、デビッド・アーロノビッチは陰謀論を、「偶然、あるいは意図せずして起こった可能性の高い出来事を、計画的な働きかけのせいにすること」と定義し、それに「ごくわかりやすい、大っぴらにおこなわれたと解釈するほうがはるかに納得のいく行為を、ある集団のせいにすること」と加えている(『陰謀説の噓』PHP研究所)。陰謀論を否定する本のなかの言葉だから当然だろうが、ありえないことを主張しているものだと言っているわけである。
アメリカのジャーナリストのマイケル・バーカンは、ほぼすべての陰謀論は次の三つの原則に分けられるという(『現代アメリカの陰謀論』三交社)。
一 何事にも偶然はない。
二 何事も表面とは異なる。
三 何事も結託している。
バーカンはそれぞれに否定的な説明を続けているのだが、こうして要点だけを抜き出せば、陰謀論の特徴がよくわかる。
二は、表向きは慈善団体だけどじつは裏では……という類(たぐい)の臆測のことだが、そもそも陰謀とは社会の裏側で進行している計画なのだから、当たり前のことだとも言えよう。ただバーカンは、その疑いがすべての人や組織におよんでいるとして批判しているのである。
一と三は、同じことだと言ってもいい。何事かが起こったときに、それを偶然と考えるか、裏であれやこれやがつながっていて起こしたことだと考えるかで、陰謀論になるかどうかが分かれるので、コインの表と裏にすぎない。ここでも「何事も(nothing)」という言葉で例外を認めない過剰さを指しているように思われる。
海野弘も、これに近い定義をして、陰謀論の思考の特徴を二点挙げている。
一 この世のすべてのものはつながっている。
二 すべてのものは、いまという一つの時しか持たない。
二で言われているのは、古代エジプト人が陰謀を構想していたとすれば、それが今でも行われていると考えるということである。フリーメーソンが歴史のなかでさまざまに変化するとは考えず、つねに一貫した陰謀をめぐらしているものと考える。なぜなら、今起こった出来事について説明するために、古代や中世が持ち出されるからである。
つまり一は空間的、二は時間的な表現になっているが、「すべてはつながっている」ということにつきるわけである。
たぶん、これだけでいいのではないかと思う。「すべてがつながっている」とは、世界を過剰な意味で満たすことである。間違いと断定せず、ただ過剰さと受け取っておくことにしたいと思う。
しかし、これは陰謀論に内在している論理を言っているのであって、一般に人がこの言葉を使うときの意味を定義したものではない。その意味では、やっぱり多くの人が記しているような、頭から否定する定義になってしまうのだろう。
陰謀論と違って、陰謀はもちろんずっと古く、古代からある言葉だ。『日本国語大辞典』には、次の二つの意味が記されている。
一 ひそかに企てるはかりごと。謀反、悪事の相談。また、その相談をすること。
二 法律で、二人以上のものが、ある犯罪行為を謀議することをいう。
後者は法律上のことなのでさておき、普通に言うときには前者の意味で使うだろう。謀反や悪事という言葉の意味をどの程度にとるかによるが、たとえば会社の派閥抗争のなかで敵対勢力を挫くためにする工作は、少なくとも相手方からは陰謀とみなされるはずだ。会議前の根回しも、やり方や目的によっては陰謀になりそうだ。先に見た談合も、そこから排除された立場から見れば陰謀であるし、公共事業の入札などであれば犯罪にあたるから法律的にも陰謀となりそうだ。
政界、実業界、学界、スポーツ界、マスコミ、さらに内輪の覇権争いのようなことでなら、学校の教室、PTA、趣味の集まり、タワーマンション内の階級社会を生きる主婦たちにいたるまで、随所に陰謀はあふれている。ありとあらゆる集団の間で、そして集団の内部で、大小無数の陰謀が企まれ、実行されている。これまでもそうだったし、今もそうだ。このことは誰も否定できないだろう。
では、たとえばPTAの保護者の間でなにやら小さな覇権をめぐって策謀する動きがあったとして、それについて説くことは陰謀論だろうか。身近な陰謀についての話は、ゴシップのような暗い楽しさがあったり、生活に関わる切実な情報であったりするだろうから、無数に語られていると思う。だが好き嫌いは別にして、それが陰謀論と呼ばれることはないだろう。「やだあ、考えすぎよお」とは言われても、「それって陰謀論よ」とは、たぶん言われない。ある業界になお根強く続く談合の仕組みについて論じたとしても、やはり陰謀論とは言われないのではなかろうか。
つまり陰謀論とは、たんにこんな陰謀があるんだという説明のことを指しているわけではないということだ。
もし、そのPTAの内紛に、教育委員会とか地元警察とか代議士とかが何らかの目的で関わっているという話になったら、どうだろうか。微妙なところだと思う。しかし、あまり言わないような気がする。
微妙に近いと感じさせるのは、そこに公的な組織の権力がからんでいるからだ。そして、それでも陰謀論とは言わない気がするのは、それが実際にいかにもありそうなことだからだ。もし、CIAが日本の教育界の破壊をもくろんでPTAにトラブルを多発させているのだなどと言えば、みごとに陰謀論として合格だろう。
つまり、陰謀論という言葉には、権力の関与を語っていることと、現実味がないということの二つの含意がある。
いや、かつて共産主義者の陰謀を疑う陰謀論がさかんに語られていたではないかという反論があるかもしれない。しかし冷戦時代には、共産勢力もソ連や中国という絶大な権力を背景に持っていた。それに、陰謀の疑いが主張されていただけで、そのような発言のことを陰謀論と呼んではいなかった。まだ陰謀論という言葉が普及していなかったから当然でもあるのだが、振り返って言うときに陰謀論と呼んでいるだけなのである。そのような陰謀が露見していないので、ありもしない陰謀を語っていたという意味で陰謀論と呼ばれるようになったわけだ。
北朝鮮の日本人拉致事件は、かつては北朝鮮のしわざだと訴えてもまともに相手にされなかったが、今それを陰謀論と呼ぶ人はいない。つまり、ある陰謀論が主張している陰謀について、もし証拠がみつかったなら、「それは陰謀論ではなかった。事実だったのだ!」と言われる。ハナから、ないものの話をしているのが陰謀論であるという理解が定着しているのである。
(『陰謀論の正体!』「第二章 陰謀論とは何なのか?」より抜粋)
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