
マイク・ミルズ監督の新作映画『カモン カモン』が4月22日に公開されました。主演は『ジョーカー』の記憶が強烈なホアキン・フェニックス。さっそく話題の本作品が私たちに差し出すものとは――。映画監督の和島香太郎氏がご寄稿くださいました。
忘れた過去も子どもを通じて未来へつながる
主人公のジョニーはラジオジャーナリストという仕事をしていて、アメリカの都市を回りながら子どもたちにインタビューをしています。人生や未来についての質問をしたり、「スーパーパワーがあったらどんな力で何をしたい?」という子どもじみた質問で対象との距離感をはかっています。
このインタビュー・シーンは台本のないドキュメンタリーであり、マイクを向けられた子どもたちは、親に望む誠実さや国に欠けた公平さについて淀みなく話します。未来への不安、孤独の怖さ、刑務所にいる父親について話す少年も登場します。日常を映し出す言葉の横溢には圧倒されますし、収録後の感想をうまく言葉にできないジョニーの気持ちもわかる気がします。
私は映画を作る傍ら、ネットラジオも制作しています。番組の内容はてんかんという病気に特化しており、ゲストは患者やそのご家族、医療従事者などです。聞き手の私も同病の患者であり、病と共に生きていくための知恵や他者とのつながりを求めてこのラジオを始めました。収録の際には症状の多様さや薬の副作用、病に対する自他の偏見、病を開示できない息苦しさ、あるいは開示して周囲と繋がる喜びについて話してもらっています。
「自分には話すことなんてないよ」と言っていた人も、マイクを前にすると胸に仕舞い込んでいた思いを話してくれます。「病気のことは誰にも言うな」と親に念を押されたこと。職場で発作を起こして辞職を求められたこと。病名を知られただけで恋人の親に結婚を反対されたこと……。当時を思い出して言葉に詰まる人もいます。
けれど、似たような経験をしてきたはずの私の相槌や慰めの言葉は薄っぺらくて、聞いていると恥ずかしい気持ちになります。苦しまないように痛覚を鈍麻させて生きてきたせいかもしれません。それでも、マイクの前に立ってくれた相手と対話がしたいと思う時、「あの時言えなかった言葉」を育もうとする意志が芽生えます。この時差のもどかしさがラジオ作りの支えになっています。
子どもたちの実直さに触れるジョニーもまた、胸の奥にある思いが言葉になる瞬間を待っているように見えます。彼は家族に対する喪失感や自責の念を抱えています。認知症の母の死。そのケアをめぐる妹ヴィヴとの対立。そして、ヴィヴと精神疾患に苦しむ夫との仲を引き裂いてしまったこと…。しかし、彼の話を聞いてくれる人はいません。そんな時、ヴィヴの息子ジェシーとの交流が始まります。ヴィヴが夫の入院に付き添う間、ジョニーが面倒をみることになったのです。
ジョニーは他の子どもにするのと同じようにジェシーにもインタビューを試みますが、それは断られてしまい、逆に「なぜママと話さないの?」と質問されます。適当な返答には「薄っぺらぺら……」と容赦のないジェシー。長い沈黙の後、ジョニーは母の死や妹に対する自分の振る舞いを省みるようになります。
過去と現在を行き来する心は常に穏やかではいられず、気難しいジェシーに手を焼き、怒鳴ってしまうこともあります。その都度反省するジョニーは、ジェシーとの信頼回復に努めます。そのヒントを与えてくれるのがヴィヴであり、その会話が彼女自身の心の拠り所にもなっていきます。ジョニーとジェシーとヴィヴは互いに媒介者を交代しながら、それぞれの外部とのつながりを修復しているのかもしれません。
一方のジェシーはまだ殻の中にいます。というのも、彼は”親のない子”を演じて相手を尋ねることがあり、そうすることでしか自分の本音を伝えられないのです。天涯孤独になるかもしれない未来に備えているのかもしれないし、喪失によって鮮明になる親の記憶を忘れまいとしているようにも見えます。
けれどジョニーは、ジェシーの演技に付き合うことをはじめは拒否します。認知症の母の妄想に付き合っていた日々を思い出すのかもしれません。親の喪失をめぐる孤独と痛みが呼応する時、ジョニーはようやく譲歩し、”親のない子”との対話を試みます。そこまでしてもバカにされて傷つくわけですが、ぼんやりとしていたジョニーの痛覚はすでに目覚めています。
私は、二人のささやかな変化を見つめながら啐啄同時(そったくどうじ)という言葉を思い出しました。卵の中のひな鳥が「生まれたい」と内側から殻をつつく時、それを感じた親鳥は外側から殻をつつく。そのタイミングが重なったとき、殻を破ってひな鳥が生まれることを言うそうです。ジョニーとジェシーもまた、心の扉をノックし合う時差が縮まり、胸の奥にあった思いが孵化します。「あの時言えなかった言葉」が響き合い、新たな関係が生まれる予感に包まれます。
私はこの映画を見終えた後、ジョニーの最後の言葉と共に歳の離れた従姉妹を思い出しました。彼女によると、3歳の私は初めて出席した葬儀場ではしゃぎ周り、周囲の大人たちを困らせていたそうです。そのエネルギーの矛先を他に向けさせるために、当時17歳だった従姉妹は私とお絵描きをしてくれました。そして「お姉さんのお父さんが死んだんだよ」と私に伝えました。私は泣きも笑いもせずに頷き、その後は何も言わなくなったそうです。死の重みを初めて理解した子どもの振る舞いや、繋いだ手の温もりを覚えていた彼女は、大人になった私にそのことを教えてくれたのです。
急速に成長する子どもが忘れていく記憶を預かり、いつか語り聞かせること。そのささやかな役割によって、私は過去を思い出せずとも思い描くことができます。ひだまりの中で見守られているような気持ちにさえなります。
『カモン カモン』
4月22日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー
配給:ハピネットファントム・スタジオ
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