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現代アートは本当にわからないのか?

2019.06.29 更新

もう古着は着られない!? 充満する死のニオイ――「クリスチャン・ボルタンスキー ― Lifetime」展村上由鶴

《ぼた山》 2015 / 衣類、円錐形の構造物、ランプ / 作家蔵 
© Christian Boltanski / ADAGP, Paris, 2019,
© MACs_Grand Hornu, Belgique, Photo by Philippe De Gobert

 

クリスチャン・ボルタンスキーの国内過去最大規模となる個展「Lifetime」が国立新美術館にて開催中です。

ボルタンスキー(以下ボルたん)は、デビュー以来、一貫して「死」や「不在」をテーマにして制作を続けてきたフランス出身の現代美術の超大御所アーティスト。

 

クリスチャン・ボルタンスキー
© Christian Boltanski / ADAGP, Paris, 2019, Photo by Didier Plowy

 

この個展で彼の作品は、それぞれがちょっと強めの芳香剤(たぶん「陰惨な死の香り」みたいな名前の置くタイプのやつ)のように機能して、会場全体に穢(けが)れや、バッチィ感じ、やだみのようなニオイを充満させています。
(もちろんこれは比喩で、実際は一部干し草のニオイがするくらいで快適に過ごすことができますのでご安心を! 会場はたぶんちょっと低めの冷房に設定されてはいますが、ブランケットの貸出もあります)

例えば、そんな死のニオイを発する素材のひとつとして彼が用いるのが「写真」です。
写真は、死を想起するものとして繰り返し論じられてきました。「写真に写された光景はすべて過去であり、すでに失われている」という事実は、写真、とくに家族写真や記念写真のような「人を撮った普通の写真」に、拭いがたい不気味さをもたらします。

今展では、ある一家から譲り受けたアルバムで制作された《D家のアルバム、1939年から1964年まで》や、新聞の死亡告知の写真を集めた《174人の死んだスイス人》、集合写真から抜き出した写真や雑誌の投稿を切り抜いた写真などで構成された《モニュメント》のシリーズが登場します。

 

《合間に》 2010 / ビデオプロジェクション、ストリングス・カーテン / 作家蔵 
© Christian Boltanski / ADAGP, Paris, 2019,
Photo © The Israel Museum, Jerusalem by Elie Posner

 

これらの写真に、決定的瞬間の美しさや構図の妙といった写真作品としての価値はなく、まさに「死」や「不在」を想起させる写真の機能がフルパワーで発揮されています。

また、こどもの写真が多いことも特徴的。
当たり前のことですが、写真のなかのこどもは永遠に成長しません。写真というものはそもそも不穏であるのは前述したとおりですが、それがこどもを写したものとなると、その子どもの奪われた未来の時間の長さを思い、その喪失がより残酷なものに感じられます。

 

《モニュメント》 1986 / 写真、フレーム、ソケット、電球、電気コード / 作家蔵 
© Christian Boltanski / ADAGP, Paris, 2019,
Photo © The Israel Museum, Jerusalem by Elie Posner

 

加えて、写真と同じような意味合いで、ボルたんの作品に用いられるのが古着です。《保存室(カナダ)》でだらりとぶら下がった空洞の古着も、《ぼた山》で黒く積み上げられた古着も、まさに持ち主の不在を示す重要なアイテム。普段のわたしは原宿やら中目黒やらにお買い物に行って古着を買うのが好き。ですが、そんな自分が信じられなくなるくらい、古着にくっついてくるかつての持ち主の痕跡とその喪失の予感にゾッとして、しばらくはルミネかパルコで服買うわ~とおもってしまいました。

 

《保存室(カナダ)》 1988 / 衣類 / 作家蔵 
© Christian Boltanski / ADAGP, Paris, 2019,
© Ydessa Hendeles Art Foundation, Toronto, Photo by Robert Keziere

 

このように、ボルたんの作品には写真や古着といった不特定多数の誰かの死に結びついたアイテムがたくさん用いられています。それによって、個人(「わたし」)として別々の主語をもっていた鑑賞者は、作品のなかの「不在の存在」と自分自身を、「わたしたち」という同一の主語で結びつけて語ることになります。
つまり、死の主語が、「あなた」や「わたし」や「誰か」から「わたしたち」へと移り変わるのです。
「『誰かが』死ぬ」から「『わたしたちは』死ぬ」へと、死は当事者性を持って立ち上がります。
この経験が、ボルたんの作品の特長ではないでしょうか。

しかし、それと同時に彼の作品には、「死」以外のニオイを受け取る余地もある。はずなのですが…。

たとえば、彼は《心臓音のアーカイブ》というプロジェクトで、世界中の人々の心臓音を収集しています。
香川県の豊島には、収集された心臓音を聞くこと、そして、自分の心臓音を収蔵することができる小さな美術館があります。

この豊島の作品では、たくさんの知らない人の心臓音を聞くことで、誰の心臓音も必ずいつか止まるということ、つまり、「死が平等である」ということに気付かされます。死は忌み嫌う対象ではなくなり、わたしにとっては、与えられた生を肯定する契機となった大切な鑑賞体験となりました。

 

《黄昏》 2015 / ソケット、電球、電気コード / 作家蔵 
© Christian Boltanski / ADAGP, Paris, 2019,
© Oude Kerk, Amsterdam, Photo by Gert Jan Van Rooij

 

しかし、今回の展覧会で再生される心臓音はボルたんのもののみ。
作家個人の心臓音や顔写真が頻出することで、大アーティスト・クリスチャン・ボルタンスキーひとりの「死」の下に不特定多数の死が交わっていくような作りになっていると感じられました。
また、こうした作家の扱い方によって、ボルたんと鑑賞者は「わたしたち」として結びつくのではなく、ひとりの命の価値の大小のようなものを指し示してしまう気もします。

今回の展覧会は、このように「死」以外のことを感じさせる可能性を排除しているかのようでした。それくらい、とにかく「死」がにおう、におう。わたしは、そのニオイの過剰さにちょっとむせ返ってしまうくらいでした。ゲホ。

ただし一方で、「死」と「作家自身」というガイドが用意されているため、作家に関する理解を深めやすいとはおもいます。
首根っこをつかまれて「死を見ろ」と訴えかけてくる手法はやや強引なほどですが、確かに「わたしたち」は普段あまりにも「死」を見ないし、臭いものには蓋をしがち。

「クリスチャン・ボルタンスキー ― Lifetime」展は、その蓋をガバっと開けて、時間も空間も越えた世界中の誰かと一緒に死を見つめるような機会にはなるのではないでしょうか。

美術館を出ても死のニオイが心身にこびりついているような、濃厚な鑑賞体験であることは間違いなし。ちょっと古着嫌いになるかもしれないけど…。

そして、存命中の現代美術の最重要アーティストのひとりであるボルたんの作品が一度にこんなにたくさん、国内で見られる機会ももうないかもしれません。彼自身の生(せい)を目撃できるチャンスです。

展覧会は9月2日まで。夏のお出かけには涼しくていいかもね!
ではまた!

 

クリスチャン・ボルタンスキー ― Lifetime
Christian Boltanski ― Lifetime

会期:2019年6月12日(水) - 9月2日(月) 火曜日休館
開館時間:10:00 – 18:00(金・土曜日は、6月は20:00まで、7・8月は21:00まで/入場は閉館の30分前まで)
会場:国立新美術館 企画展示室2E(東京都港区六本木7-22-2)
観覧料:1,600円(一般)、1,200円(大学生)、800円(高校生)
電話:03-5777-8600(ハローダイヤル)
web:https://boltanski2019.exhibit.jp

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村上由鶴

1991年生まれ。日本大学芸術学部写真学科助手。
日本大学芸術学部写真学科卒業後、東京工業大学大学院社会理工学研究科にて写真・美学・現代アートを研究。
写真雑誌「FOUR-D」などに執筆。

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