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現代アートは本当にわからないのか?

2020.06.27 更新 ツイート

「美術館女子」に本気でブチギレられない理由村上由鶴

みなさんこんにちは!
緊急事態宣言が解除され、美術館も再開。再び生身で美術を楽しむ日々が来たことを喜んだのも束の間。美術館で作品をバックに映える「美術館女子」という新企画がブチ込まれ、美術や文化を楽しむ多くの人、特に女性が「待て、待て、待て」と腕まくりをする事案が発生。ひな壇芸人の総立ちを思わせる俊敏なツッコミが入りました。

 

改めてこの企画を端的にまとめると、AKB48チーム8の小栗有以さん(かわいい)が、作品の前でポーズをとる「映え」写真に合わせて「わからないけどとにかく感動した」という趣旨の感想を述べているというもの。これに対して、ジェンダー意識の偏りや美術作品の取り扱いに関する疑問や批判が殺到し、爆発・炎上。さらに今週はワイドショーでもとりあげられ、美術館女子を叩く人を叩く人、さらにそれを叩く人……と問題の本質を見失いそうになる混沌に突入しています。

「アイドルではなく、“作品”としての小栗有以」(読売新聞オンラインより)

この企画の問題点についてはすでに美術手帖の記事などにもまとめられ、批判のポイントもかなり整理されています。また、企画に携わっている美術館連絡協議会も読売新聞オンラインも今後の企画については「改めて検討する方針」とのことで、一件落着した模様。

といいながらも、わたしはなんとなく心がもやっとしたまま。
実は、わたしはこの企画を見たとき、偏ったジェンダー意識に「待てこら」と腕をまくりながらも、なんだか美術の世界にも非があるように思えて、全身全霊でブチギレることができなかったのです。

ジェンダーの偏りについてはすでに多くの指摘があるので、今日はこの「もやっと」の理由について考えてみようと思います。

アートと「映え」の蜜月のなかで

さて、企画のなかで「美術館女子」が美術館へ向かう目的となっている「映え」はここ数年、現代アートの展覧会の特徴のひとつとなっています。2013年のJR展(ワタリウム美術館)やチームラボの各展示、2017年のレアンドロ・エルリッヒ展(森美術館)はその代表的な例といえるでしょう。
昨年は、会場をダイナミックに使った塩田千春展(森美術館)もSNS上で大いに映えていました(紹介記事:魂をめぐる人生の旅へ!――「塩田千春展:魂がふるえる」)。

このように、「映え」からの「バズり」を狙った戦略で、多くの観客が惹きつけられました。 

「私を含め、いま若い女性は『インスタ映え』に夢中だ」(読売新聞オンラインより)

当の「美術館女子」のウェブサイトでは、作品を含む美術館のあらゆるものが「映えスポット」として扱われ、「作品=映えスポット」とでもいうようなちょっと乱暴な態度には多くの批判が集まりました。
とはいえ、さきほど述べたように、ある種類の美術作品とSNSの相性が良いこともすでに周知の事実。近年では実際にそうした広報も行われています。
つまり、こんな企画をやる前から、実際に「美術館女子」のような観客は大勢存在していたし、もちろん女子に限らず美術館も幅広い観客を動員することができていたのです。
だから、美術と「映え」はいまや切り離せない関係になっているし、「作品を映えスポットにするなんて無礼な!」というのはちょっと原理主義的。すでに実在している「映え」を目指して美術館にくる人たちを排除するのは、やっぱり「われわれ選民」感が強すぎです。

でも、せっかくだったら、「映え」ながら作品のおもしろさを感じられたほうが楽しいはず。ですが、残念ながらこの「美術館女子」企画は、「作品のおもしろさ」へ誘導することもあまり上手くいっていません。

空中分解する「鑑賞」

今回の企画でモデルとなった小栗さんは、「言葉とか理屈じゃなくて伝わる何か」に感動したというような趣旨のことを繰り返し述べています。
「知識がないとか、そんなことは全然、関係なし。見た瞬間の『わっ!!』っていう感動。それが全てだった」
なるほど。
美術作品を見たときに、「何を感じればいいかわからない」「なんでこれがアートなの?」「意味不明」と困惑するのは、めずらしいことではありません。
多くの場合、作品の意図や意味を理解して楽しむ「鑑賞」のために、おさえておくべき知識があるのは事実です。丸腰の観客を美術作品単体で「すごい!」と感動させるタイプの作品もありますが、言葉や理屈を武装することでより深く理解できるのが現代美術のおもしろみであり、同時にやっかいなところでもあります。

「見た瞬間の『わっ!!』っていう感動。それが全てだった」(読売新聞オンラインより)

ですが、特に日本ではアートやアーティストが「理屈を超えて感性に訴えかけてくる」「孤高の天才」といった、「理解を超越する」ものとして扱われることが多いのが現状。こうした「ありがたいもの」としての印象がなかなかぬぐえず、技術や努力の前では、知識や理屈が若干軽視されがちです。

圧倒的な技量の前では、よくわかんなくてもなんだか感動できちゃう。
小栗さんのいう「見た瞬間の『わっ!!』っていう感動」は、鑑賞者の態度として一般的なものだと思います。

現代美術の作品が「わからない」という経験は、「掛け算や割り算を知らなかったので、単なる記号の羅列にしか見えなくて方程式が解けない」経験と似ています(繰り返しですが、「単なる記号の羅列」があまりの勢いをもって観客を圧倒してくることもあります)。

しかしながら、「映え」が推奨される今回の企画では、作品の理解は後回しにされ、「ここでは掛け算と割り算が必要ですよ」という丁寧なエクスキューズもなされないまま、「鑑賞」は「感動」の前に空中分解してしまったみたい。
結果、「映え」とジェンダーバイアスだけが残る……という悲しい事態に。

といいながらもわたしは、これが現在の日本のジェンダー意識と文化への理解度を如実に反映した結果なのかも、とも思ってしまって、なんだか不思議と醒めてしまいました。

さいごに。ここまで書いてきましたが、実際この企画って女子をターゲットにしたものというよりは、Instagramなどを中心に盛り上がっている「#写真好きな人と繋がりたい」「#被写体女子」「#僕だけのピント」のような、ポートレート写真をSNSで発表したいアマチュアカメラマンに向けられたものっぽい気もするので、これらのハッシュタグのこともそのうち考えたいと思います。
「〇〇女子」というマーケティング、滅びてほしいですね! ではまた!

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