1. Home
  2. 社会・教養
  3. 現代アートは本当にわからないのか?
  4. 他者の不幸に誠実に向き合うことは可能か?...

現代アートは本当にわからないのか?

2019.02.02 更新

他者の不幸に誠実に向き合うことは可能か?――「ソフィ カル―限局性激痛」原美術館コレクションより村上由鶴

Sophie Calle  Exquisite Pain, 1984-2003
© Sophie Calle / ADAGP, Paris 2018 and JASPAR, Tokyo, 2018

 

わたしたちは日々、大小さまざまな不幸や不安にさらされています。
体が大きくなるにつれ、小さい不幸であればそれなりに消化できるようになってきたけれど、自分の身の丈よりも大きいと思えるような不幸な出来事に直面したとき、みなさんはどうしていますか?

たとえば誰かを恨むとか、別のことに熱中するとか、この悲しみによって自分は成長すると思いこんでみたりとか、あるいは乗り越えない、という方法もあるかもしれないし、そして、他人の不幸を摂取して自分の身の丈を大きくし、消化することもできるかもしれません。

さて、現在、原美術館で展示中のソフィ・カルの《限局性激痛》は、まさに他人の不安や不幸を摂取する作品。作者のソフィ・カルは主に写真や文章を組み合わせた作品を発表するフランス出身のアーティストです。

 

ソフィ カル 近影  Photo: Jean-Baptiste Mondino

 

本作は、失恋までの前半と、失恋後の後半の二部に分かれた大作。
前半は、ようやくの思いで手に入れた恋人をパリにのこして日本に3ヶ月留学することになったカルが留学中に彼を想ってつづった手紙や、日本で過ごした日常の記録からなる「不幸までのカウントダウン」。
そして後半は、彼に会うはずの日に起きた史上最悪の失恋について繰り返し他人に語り、それと引き換えに相手の不幸の経験を聞いて自分の傷を癒していくというパートになっています。

 

「ソフィ カル―限局性激痛」原美術館コレクションより 展示風景
©Sophie Calle / ADAGP Paris and JASPAR Tokyo, 2018  Photo by Keizo Kioku

 

まず、前半部では、ソフィ・カルが恋人への不安と期待が入り混じった気持ちを抱えながら過ごした日々を写真と文章で追体験することができます。
異国日本の文化を体験してはそのおかしみを手紙に書いたり、恋人に会う日のためにヨウジヤマモトの衣装を買ったりして過ごし、嫌々ながらも日本に来たことに意義を見出そうとしている様子が見て取れます。

そのなかでわたしが心惹かれたのは、連日占いに通ったエピソードや、おみくじ、神社、お地蔵さんなどの写真が頻出するところ。写真は淡々としていて過度に感傷的ではないのですが、彼女の言葉や写真のモチーフに、軽度に「スピった」状態が垣間見え、失恋への不安がいかに切迫したものであったかを体感させられます。

 

Sophie Calle  Exquisite Pain, 1984-2003
© Sophie Calle / ADAGP, Paris 2018 and JASPAR, Tokyo, 2018

 

自分のことに置き換えても、失恋前後、「自力じゃどうにもできない」という状況に陥ったら、ネットの占いめちゃくちゃ見るし、なんならわたしにピッタリのおすすめの神様とか紹介してほしいとか思っちゃうもの。
「占いなんて」と小馬鹿にしつつも内心はなにかにすがりたいのが本音です。
そんな失恋を経験したことがある人ならば、《限局性激痛》を見て「ああこの人もそうなのだ」と思うことができて、すっかりソフィ・カルと意気投合した気持ちになってしまうでしょう。

さらに作品に「不幸」の日が迫ってくると、「意気投合」というよりもはや「インストール」に近いと思えるくらい、彼女の感じている不安が同期し、自分のなかでも大きく膨らみます。
だからカウントダウンがゼロになったときには、唐突なメッセージを告げた彼のケチで臆病な残酷さがもたらした最ッッッ悪な出来事に、わたしは自分のことのように傷つき、胸がずっしりと重くなってしまいました。
振り返れば、この前半部は鑑賞者にソフィ・カルをインストールさせるための工程だったように思えてきます。

 

「ソフィ カル―限局性激痛」原美術館コレクションより 展示風景
©Sophie Calle / ADAGP Paris and JASPAR Tokyo, 2018  Photo by Keizo Kioku

 

さて、重い気持ちのまま後半へ進むと、ソフィ・カルが経験した失恋の話と、彼女の友人や知人が経験した「人生最大の不幸」の話が交互に繰り返されます。
ここで登場する人々の不幸のエピソードは、肌触りがぜんぜん違うものの集積。それぞれがその人にとって本当に悲しく痛く、カルのエピソードと合わせて激痛のオンパレードです。

一方で、この激痛の乱れ打ちによってカルの語りはだんだんと短くなり、はじめは自責が垣間見える文章も、健全な恨み節に変わっていきます。
「私が悪いのだ」から、「あの情けないケチ男」に彼女の言葉が移り変わっていくのを見るのは、悪い男にフォーリンラブして盲目になっていた女友達が目をさましていくのを見るような痛快さ。最後には語ることも必要なくなり、彼女は「不幸」を乗り越えていくのです。

 

「ソフィ カル―限局性激痛」1999-2000年 原美術館での展示風景
© Sophie Calle / ADAGP, Paris 2018 and JASPAR, Tokyo, 2018

 

このように「他人の不幸の摂取」によって、カルの負った傷がだんだんと癒やされていくのを目にしていると、前半部分で彼女を体内にインストールしてしまったわたしも同時に癒やされ、さらに、わたし自身がこれまでに負った不幸も乗り越えられるような気がしてきました。

だけど、ここで気づくのです。
「あれ? うっかり『他人の不幸は蜜の味』に巻き込まれている……!?」

たとえば、幸せについて語るとき、「地球のどこかの恵まれない子どもたち」や「重い病気に苦しむ人」の話を持ち出して、「ご飯が食べれるだけでも幸せ」とか「生きているだけで幸せ」とか考えなくてはいけないように誘導されることがあります。

もちろん、地球のどこかの恵まれない子どもたちの状況は改善されたほうが良いし、重い病気と戦う人には病魔に打ち克ってほしいけれど、自分がそのとき直面する不幸とご飯を食べられない不幸では不幸のジャンルが異質過ぎて、比較して考えることなど不可能だと思うのです。むしろ、不幸を強引に比較することは、誰かの痛みで自分の痛みを治療する、自分勝手な自己防衛という気がします。

それでもそういう不幸の治療法は確かにあって、まさに《限局性激痛》での実践と鑑賞体験は不幸を乗り越えるための民間療法みたい。

あらゆる種類の不幸を摂取して「なんてかわいそう」と思わせて、「あの人よりまし」という気持ちで自尊心を補強し増大するこの構造こそ、この作品の恐ろしい本性だと私は思います。

 

つまりこの《限局性激痛》という作品は、わたしたち自身の「不幸」への態度をあらわにし、誠実に他者の「不幸」に向き合うことが可能かを問いかけているのではないでしょうか。
この重い問いを宿題にして持って帰るこの感覚こそ、ソフィ・カル作品の真骨頂。

わたしは結局「他人の不幸への共感」をすることからくる痛みより、「他人の不幸は蜜の味」に巻き込まれてしまった痛みを感じ、結局、不幸の乗り越え方を見失ってしまいましたが……。
とはいえ、「他人の不幸は蜜の味構造」がほとんど気にならないほど、ソフィ・カルの多彩な語り口や、彼女に不幸話を打ち明けた人たちの語りは魅力的! (そもそも「人の不幸話」がある種の魅力で人を惹きつけるものなのかもしれません。)
「人生最大の不幸」を味わったことがある人もない人も、自分のことを語りたくなる作品ではないでしょうか。
ちなみにデートにはあまりおすすめできません!

 

Sophie Calle  Exquisite Pain, 1984-2003
© Sophie Calle / ADAGP, Paris 2018 and JASPAR, Tokyo, 2018

 

「『ソフィ カル―限局性激痛』原美術館コレクションより」は、品川・原美術館にて3月28日まで。
原美術館は2020年12月の閉館を発表しています。駅から少し歩くけど、静かで優しい空間がとても素敵な美術館ですので、この機会にぜひ!

ではまた!

 

「ソフィ カル―限局性激痛」原美術館コレクションより
Sophie Calle, “Exquisite Pain” from the Hara Museum Collection

会期:2019年1月5日(土) - 3月28日(木)
会場:原美術館(東京都品川区北品川4-7-25)
電話:03-3445-0651
web:https://www.haramuseum.or.jp
休館日:月曜日(2月11日は開館)、2月12日
開館時間:11:00 am - 5:00 pm(水曜は8:00 pmまで/入館は閉館時刻の30分前まで)
入館料:一般1,100円、大高生700円、小中生500円/学期中の土曜日は小中高生の入館無料
交通案内:JR「品川駅」高輪口より徒歩15分/タクシー5分/都営バス「反96」系統「御殿山」停留所下車、徒歩3分/京急線「北品川駅」より徒歩8分
*日曜・祝日には学芸員によるギャラリーガイドを実施(2:30 pmより30分程度)

{ この記事をシェアする }

現代アートは本当にわからないのか?

バックナンバー

村上由鶴

1991年生まれ。日本大学芸術学部写真学科助手。
日本大学芸術学部写真学科卒業後、東京工業大学大学院社会理工学研究科にて写真・美学・現代アートを研究。
写真雑誌「FOUR-D」などに執筆。

この記事を読んだ人へのおすすめ

幻冬舎plusでできること

  • 日々更新する多彩な連載が読める!

    日々更新する
    多彩な連載が読める!

  • 専用アプリなしで電子書籍が読める!

    専用アプリなしで
    電子書籍が読める!

  • おトクなポイントが貯まる・使える!

    おトクなポイントが
    貯まる・使える!

  • 会員限定イベントに参加できる!

    会員限定イベントに
    参加できる!

  • プレゼント抽選に応募できる!

    プレゼント抽選に
    応募できる!

無料!
会員登録はこちらから
無料会員特典について詳しくはこちら
PAGETOP