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怖いへんないきものの絵

2019.02.05 公開 ツイート

全裸でサメに襲われている名画なんだけど……なぜ裸? ~コプリー『ワトソンと鮫』(1/2) 中野京子/早川いくを

2大ベストセラー、『怖い絵』シリーズの著者・中野京子氏と、『へんないきもの』の著者・早川いくを氏。
恐怖と爆笑の人気者がコラボして生まれたのが、『怖いへんないきものの絵』です。

早川氏が、“へんないきもの”が描かれた西洋絵画を見つけてきては、中野先生にその真意を尋ねに行くのですが、それに対して、中野先生の回答は、意外かつ刺激的!
中野先生が容赦なくブッタ斬る様は、爆笑必至。

まず最初の絵は、市長がサメに襲われる絵なのですが、サメをよく見ると……。
ほんとにこんなサメいるの⁉
で、真ん中にいる裸の男子はいったい…⁉

*   *   *

『ワトソンと鮫(さめ)』コプリー

『ワトソンと鮫』ジョン・シングルトン・コプリー 1778年 ナショナル・ギャラリー・オブ・アート蔵

 

人がサメに襲われている。なるほどそれはわかる。

だがやっぱり、わからない。

一体全体、これは何の絵なのだろう?

タイトルが、「恐怖の航海! 港に出現した人食いザメ」などというB級映画風のものであったならまだわかる。

だが、この絵には「ワトソンと鮫」という、極めてぶっきらぼうなタイトルが添えられているだけ。他に何の説明もない。ワトソンって誰だ。

西洋絵画にはいつもモヤモヤとさせられる。『サムソンとデリラ』とか、『プロセルピナの略奪』とかいわれても、何のことやらさっぱりわからない。

この絵にしても、何の説明もなく、ただ「ワトソンと鮫」である。まことにつれない。そっけない。

そしてこのサメときたら、どうだ。

こんなサメがこの世にいるのだろうか? 丸い背びれに、奇妙な鼻の穴、黄色い目玉は、魚にはあるまじきことに前方を向いている。

しかし、無表情の下に狂気を秘めたような、サメ独特の猛々(たけだけ)しさは画面からあふれ出るようで、異様な迫力がある。桟橋(さんばし)の下をひょいとのぞいてこんなのを見たら、失禁しそうだ。

それならば、もっと恐怖をあおる題名の方が……、などとつい考えてしまうが、なぜ、この画家は、こんなタイトルをつけたのだろう?

 

「絵画のタイトルは、必ずしも画家がつけたとは限りません」

 

これはこれは中野先生。名画といえばこの人、怖い絵といえばこのお方をおいて他にはいない。それではこれから、絵画についての無知蒙昧(むちもうまい)をさらけ出し、根掘り葉掘りうかがってみたいと思う。

 

――早速ですが、中野先生、これはそもそも何の絵なんでしょうか? 何でサメに襲われてるのですか? サメ漁か何かですか?

 

これは現実にあったサメ襲撃事件を、絵画化したものです。
描いたのは、ジョン・シングルトン・コプリー。アメリカの画家です。発注したのは、ブルック・ワトソン。ロンドン市長です。絵の中でサメに襲われているのは、少年だった頃の市長なんです」

 

――市長がなんでサメに襲われる羽目に?

 

「後年、ロンドン市長となるブルック・ワトソンは、若い頃は船乗りでした。孤児だった彼は、ある商人に船員として雇われ、世界のあちらこちらを航海していたのです。ワトソン少年の運命が変わったのは、1749年、14歳のときのこと。
船がキューバのハバナ港に停泊していたとき、海でちょっと泳ごうと思ったらしいですね。そして海に入ったところをサメに襲われました。一命を取り留めましたが、右足を失ってしまいます。
それでもワトソンは不自由な体となりつつ、がんばりぬきました。軍隊ではたらき、ビジネスを興おこしてからは商人として成功をおさめ、やがてロンドンの市会議員に、ついにはロンドン市長にまでなります。
この絵は、大成したワトソン市長が、自分の体験を絵にしてほしいということで、画家のコプリーに発注したものなんです」

 

――サメに襲われた本人が、その様子を描いてほしいと。しかしそれはまたなぜでしょう?

 

「絵はロンドンにあるキリスト教系病院に寄贈されました。
そこには孤児たちが保護されていました。ワトソン自身が孤児で、しかも足を失うという大きな不幸に出会った。でも彼はへこたれず、成功をおさめた。この絵が青少年の励みになることを願ったのでしょうね」

 

――成せばなる、というわけですね。それにしても、ワトソン少年はどうして素っ裸なんでしょう。

 

「裸を描きたかったから」

 

――は?

 

「歴史画にはそもそも『ヌードを入れる』という、暗黙の了解みたいなものがありました。『人体を美しく描く』ということに、西洋絵画の根源的な目的があります。日本人には想像を絶する、ヌードへの執着です。そのためこの絵にもヌードを入れて、歴史的風格を出そうとしたのではないでしょうか。

『メデュース号の筏』テオドール・ジェリコー

テオドール・ジェリコーの傑作『メデュース号の筏(いかだ)』も、必要はないのに、わざわざ漂流中の船員をオールヌードにしている。しかも、飢えているはずなのに、みんなシュワちゃんとかミケランジェロばりの、筋骨隆々とした肉体です。
でも芸術というのは、そうでなければいけないことがあるんですね。
リアリティ一本槍やりで、本当にへろへろの漂流者を描いても、目にも心にも訴えないでしょう。芸術としてのリアリズムは別なんです。
オペラに似ています。死にそうなのに、一曲歌って泣かせるわけでしょう。平凡な男女が出会って結ばれる、という映画でも、演じるのは魅力的な美男美女。そうでなかったら二時間も観客をスクリーンに釘付けにできません。『メデュース号の筏』もそういうことなんじゃないかと思います」

 

なるほど、芸術においても、脚色や演出というものは必要であり、その見せどころのひとつがヌードということなのだろう。映画、舞台、小説、マンガ、そういう「お約束」の例は、現代にもいくらでもありそうだ。

(つづく)

 

 

関連書籍

中野京子/早川いくを『怖いへんないきものの絵』

2大ベストセラー 『怖い絵』と『へんないきもの』が、まさかの合体。 アルチンボルドの魚、ルーベンスのオオカミ、クラナッハのミツバチ、ペルッツィのカニ……不気味で可笑しい名画の謎に迫る!

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怖いへんないきものの絵

2大ベストセラー、『怖い絵』の著者・中野京子氏と、『へんないきもの』の著者・早川いくを氏。
恐怖と爆笑の人気者がコラボして、爆笑必至なのに、教養も深まる、最高におもしろい一冊『怖いへんないきものの絵』を、たくさん楽しんでいただくためのコーナーです。

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中野京子

作家、ドイツ文学者。北海道生まれ。西洋の歴史や芸術に関する広範な知識をもとに、絵画エッセイや歴史解説書を多数発表。新聞や雑誌に連載を持つほか、テレビの美術番組に出演するなど幅広く活躍。特別監修を務めた2017年開催「怖い絵」展は入場者数が68万人を突破した。『怖いへんないきものの絵』、「怖い絵」シリーズ 、「名画の謎」シリーズ、「名画で読み解く 12の物語」シリーズ、『美貌のひと 歴史に名を刻んだ顔』など著書多数。

早川いくを

著作家。1965年東京都生まれ。多摩美術大学卒業。広告制作会社、出版社勤務を経て独立、文筆とデザインを手がけるようになる。近年は水族館の企画展示などにも参画。最新刊『怖いへんないきものの絵』のほか、『へんないきもの』、『またまたへんないきもの』、『カッコいいほとけ』、『うんこがへんないきもの』、『へんな生きもの へんな生きざま』、『へんないきものもよう』、訳書『進化くん』(飛鳥新社)など著書多数。

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