最近「ご祝儀ラッシュ」ならぬ「ご出産ラッシュ」を経験しつつあり、今日も百貨店で贈り物を購入して帰ってきた。
私自身は35歳で出産し、いくつかのメディアでそのことにまつわる葛藤や前向きになれない気持ちを発表したのだが、その時に数多くの共感の言葉を寄せてくださった友人に、同世代の記者・編集者の方々がいる。公に書き物をする仕事をはじめて10年近く経ち、さまざまな分野や職業の友人も増えたが、特に同世代の女性記者・編集者の方とは、公私を通じてずいぶんいろいろなことを分かち合ったが、出産はそのひとつの大きな機会になった。
私たちーー敢えて「私たち」と言うーーは、30代前半は働いていたし、出産すると仕事が止まってしまうと思い込むくらいには個人主義と自己責任が抜けないので、子どもを産もうと思えるのは、30代後半とかそれくらいの、キャリアが安定した頃になる。特にみんなで揃って「今」と決めたわけではないし、それぞれに異なる事情があり、お互いに言っていないであろう事柄もあるので、それぞれのことを全て把握しているわけではないが、何となくライフステージの中で共有しているものは確かにあると感じる。
同じ東京には住んでいるけど、みんなかなり忙しいから、アポイントとアポイントの合間にオフィスの近くで時たま会って、一時間か二時間くらい、仕事やライフステージのあれこれを分かち合うのが私たちの恒例となっている。
そういう「私たち」が出産を迎える時、いったい何を贈るのがいいだろう、と考える。それぞれ一人ひとり、好きなタイプのジュエリーや服も違えば、インスタでフォローしているブランドも違う。当たり前だけど、一人ひとり出身地もバックグラウンドも学生時代の専攻も違う。本来なら個々人の好みに合わせて決めるのが、プレゼントをめぐる礼儀だと思うけれども、私は何となく、この時ばかりは「私たち」の皆に同じもの、さらに言えば、ただ自分の好きなものを送っている。
私が出産にまつわるあれこれへの反響を通じて知ったのは、出産そのものの大変さに個人差はあれど、同じ悩みや孤独、公に言うことのできないネガティブな思いは「私たち」にかなり共通している点だ。だからこそ、個々人の違いはさておいて、贈り物の中でも「同じ」を示したかった。もちろん、私が渡す相手同士がプレゼントを見せ合うことなんてないから、ただの自己満足に過ぎないのだが。
もう一つはこんな想定もあるーーそれぞれの友人の顔を考えながらプレゼント選びに使う時間は全く惜しくないけど、「私たち」はきっと時間を使わせるのを嫌がる。仮に私が何か、私たちそれぞれの好みのブランドやライフスタイルを考え抜いたプレゼントを渡したら、受け取る私たちは、「忙しい中ありがとう」ってきっと言うだろう。
相手の忙しさまで慮って先回りしてしまう私たちだ。
もちろん、私たちがすべて同じなわけがない。上に書いたような「私たち」のプロファイリングだって、全部私の妄想で、自分に寄せて解釈しているだけの可能性だってある。
現に私は、「私たち」の一人一人が身につけるステートメントリングに現れる個性を、腕時計のチョイスに現れる仕事とキャリアへの考え方とこだわりを愛している。一方で、仕事をする同世代の私たちには何か強烈に「同じ」部分があって、それがあるからこそ簡単には言葉にできない孤独や苦悩を分かり合えるのだ。
私たちは、PCとA4のクリアファイルが入る鞄が好きで、ヒールレスかヒールが太くてたくさん歩ける靴が好きで、ミラーレスで塗れるリップもたぶん好きだと思う。これまで社会で生きていて、先輩たちの切り開いてきた道を享受しつつも、一方で自己責任や努力主義が抜けず、時折「名誉男性」的な考えに陥りかけてしまう点も同じだと思う。そういう私たちの「同じ」を共有したくて、いつも「同じ」ものを私たちに買う。
Baby Diorのボディソープやローションは、デザインと色合いに一目惚れしてそれから購入し続けている。
常にキャリアが止まらないよう危機管理して生きてきたから、先回りしてベビー用品の多くは前過ぎるくらい前から準備しているんじゃないか。おしゃれな人が多いから、子どもの持ち物や着るものにそれなりの好みやこだわりがあるんじゃなかろうか。そうやって思い入れと共感と妄想のごちゃまぜになったふるいを携えて百貨店に行くと、割と定番の「消え物」におさまる。
渡したそれぞれの相手から、好みかどうかは詳しく聞いてないし、聞く必要もないと考えている。私たちはそれなりに長く生きてきたので、好みの合わないものについて、こっそり他の人にあげるくらいの図太さは持ち合わせているだろう。
新聞や雑誌、ネットの記事で、家族を抱えながら仕事をする罪悪感について、社会の理不尽を社会のせいにしきれない自分の不甲斐なさについて書く時、このごく個人的な感情が理解されるだろうかといつも迷う。しかし、その時思い切って書き上げる、その記事の向こうには、いつも「私たち」がいる。
「私たち」が、良くぞ言葉にしてくれたと言ってくれるから、私も勇気を持って心を明らかにすることができる。そして、明日このお祝いを渡す友人も、そんなかけがえのない「私たち」の一人だ。
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これはただの買い物じゃない

「買って応援」「買わずに拒否」の先にある、消費と社会の関係とは何か。気鋭の社会学者が自らの財布をはたいて「買い物」を解体する論考エッセイ。










