この連載も8回目でまだまだ続けるつもりだが、担当の編集者から「素敵なものをたくさんお持ちになっているが、その原資はどこから? と気になる読者さんもいらっしゃるかも。いちど富永のお金観を書いてみてほしい」というオーダーがあった。
私自身は一般的な私立大学の給与と講演料・原稿料を得ている生活者にすぎない。ある程度日本社会の平均的な給与水準を上回ってはいるだろうが、本来自分のような浪費を許すような収入額ではとてもない。
ただ資産というものに関する感覚はだいぶ異なるかもしれない。それは研究対象である「社会運動」に携わる人々にずいぶん資産観をひっくり返されたからだ。一言で言えば、お金も自分も自分のものだと思っていないのだ。この感覚を、今回は「家」の買い物からお話ししていけたらと思う。
先日、兵庫県川西市にある家の一部を購入した。郊外の住宅街にならどこにでも見られるような築60年の空き家である。長年、社会運動研究者と従事者の関係としておつきあいさせていただいており、現在は空き家改築による都市コミュニティ形成を行っているくきたふみやさん(かわにしコミュニティラボ)が一口30万円で売り出していたため、面白そうなので出資した。
くきたさんは、複数人から出資を募って兵庫県川西市内の空き家を購入し、飲食店やシェアハウスとして運営しつつ、困窮者向けシェルターやコミュニティスペースとして開放する活動をしている。私はその出資者の一人となったというわけだ。
出資といっても、年に3%配当金が返ってくる以外は特に利益が出るわけではない。NISAなどのほうがよほど将来的な利益になるはずだ。しかし、そんな「得にならない出資」をなぜやろうと思ったのか。
くきたさんたちの活動は「自分たちが出入りできる場所が街にたくさんあったらおもろいやん」という理念? に基づいている。空き家の購入だけでなく、空き店舗を借りて改築し、重飲食業を営むこともある。
出資により購入した家屋は、コミュニティの人々が集まって自力で改修に携わる、いわゆるDIYの形式をとる。DIYといっても雑誌で見るようなおしゃれなものでなく(といっては失礼だが)、使えない風呂をぎりぎり使えるような風呂にする、くらいの形にしかしないこともある、とくきたさんは語る。
多くの民家は、築60年前後なので耐震もしっかりしているとは言い難い。また、特に耐震や断熱を施すわけではない。しかしくきたさんは「築浅の家に住んでても家族との関係がしんどかったら危険には変わらんのとちゃいます? それなら危険でも安く一人で住むほうがいいとも言える」「安い代わりに風呂こんな感じやけどまぁ、ないよりマシちゃう?」と「認知をDIYする」ことを提唱する。
私はこうした、おもしろいあるいは重要と感じる社会運動や市民活動に、一年につき、それなりの額の寄付と出資を行っている。最近はくきたさんの試みのように「場所」ベースの実験に惹かれているため、シェルターやウィメンズハウス、子ども食堂といった場所に寄付していることが多いかもしれない。もちろんそれと同じくらいジュエリーや服も買うのだが、おそらく自分の中で、くきたさんの空き家とジュエリー、この二つは変わらない部分がある。
くきたさんの空き家とジュエリーは、私にとっては等価だ。それは換金可能であったり資産であるからなのではなく、純粋に自分の持ち物ではなく、社会に開かれているという点において近いのではないかと思う。
私は服やジュエリーを、ファッション雑誌によく貸し出す。写真を撮られ、人をエンパワーするストーリーを付与され、多くの人を楽しませている(と信じて仕事をお受けしている)。あるいは、若い友人の結婚式やパーティーに貸し出すこともある。そうして彼らの幸せな瞬間を共有できることが嬉しいのだ。くきたさんの空き家改築と何が同じなのか、と思われるかもしれないが、空き家も出資しジュエリーも購入したが、自分が所有している感覚はあまりない。もしかしたら誰かの役に立つかもしれない、立たないかもしれない社会のもの、という感覚だ。
私自身、個人の資産で言えば、自分の年齢やキャリアに見合うものを有しているとは言えず、「平均貯蓄額」とかを雑誌で見るとちょっと胸がキュッとなる。しかしなんとかなると思えるのは、くきたさんのように、心を病んでも一人になっても「なんとかなる」、そう思えるようにしているコミュニティをこれまでの20年でずいぶん多く見てきたためだろう。そしてどうせ自分が働いて何かを豊かにするなら、自分一人でなく、皆を豊かにするものに使いたいと感じている。
私自身の働き方もずいぶん変わった。私自身が時間と労働力を投下するというよりも、雑誌に掲載されるジュエリーのように、自分の持ち物や名義に働いてもらうことも多くなった。本の印税や参考書使用料は本が働いて得た物で、私の労働というだけでもない。
こういう考えをさらに拡大すると、たとえばくきたさんのコミュニティについて調べたことや学んだことをどこかで言ったり書いたりするとき、それは私じゃなく(あるいは私の貢献はごく僅かで)、何よりもそのフィールドやそこでの社会的営為が働いていると言えるだろうから、それらに還元するのが一番いいのではないかとも思った。だからこそ、自分のお世話になっているフィールドや社会運動に寄付・出資することにした。
私の寄付や出資がすぐに社会を変えるわけではない。そして研究に役に立つわけでもない。しかし、所有や労働、資産への見方を変えるようないい経験になっていると思う。私のものと完全に言い切れず、でも私の関与しているものがある空間には、たぶん思い入れもできるだろうから、こうした思い入れを持ちながら訪問するのが楽しみだ。
これはただの買い物じゃないの記事をもっと読む
これはただの買い物じゃない

「買って応援」「買わずに拒否」の先にある、消費と社会の関係とは何か。気鋭の社会学者が自らの財布をはたいて「買い物」を解体する論考エッセイ。










