この連載も8回目でまだまだ続けるつもりだが、担当の編集者から「素敵なものをたくさんお持ちになっているが、その原資はどこから? と気になる読者さんもいらっしゃるかも。いちど富永のお金観を書いてみてほしい」というオーダーがあった。
私自身は一般的な私立大学の給与と講演料・原稿料を得ている生活者にすぎない。ある程度日本社会の平均的な給与水準を上回ってはいるだろうが、本来自分のような浪費を許すような収入額ではとてもない。
ただ資産というものに関する感覚はだいぶ異なるかもしれない。それは研究対象である「社会運動」に携わる人々にずいぶん資産観をひっくり返されたからだ。一言で言えば、お金も自分も自分のものだと思っていないのだ。この感覚を、今回は「家」の買い物からお話ししていけたらと思う。
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これはただの買い物じゃない

「買って応援」「買わずに拒否」の先にある、消費と社会の関係とは何か。気鋭の社会学者が自らの財布をはたいて「買い物」を解体する論考エッセイ。










