先日、Abema Primeに出演したところ、出生率が過去最低になったというニュースとともに「なぜ子どもを作りたくないのか?」というトークテーマになり、子育てはコストがとにかくかかりそうだから、子供を産む・育てるのに躊躇してしまう、という人たちの話を聞いた。より厳密にいうならば「コストは予期可能であるが、パフォーマンスは予期不可能であるため、比較検討が難しい」ということで、世にあまたある子育て言説を見てそう思う気持ちはよくわかる。
ただ、そもそもコストとパフォーマンスが最初から比較可能な社会的事象は子育てに限らず極めて少ない。多くの事象は「続けてみたら有益だった」「やってみたら意外と得だった」ということが多いわけで、いやいや行った学校で友達ができたとか、会社でやらされた仕事が意外と面白かったとか、よくあることだと思うのだが、現代社会の私たちは、長期的な視野を持ってコストを投入し、パフォーマンスを得るということがすでにそもそも想定しづらい。
それくらい社会の変動が激しく、長期的な安定が想定しづらく、私たちの想像力の及ぶ範囲も短期的かつ流動的なものになりつつある。子育てに対する躊躇はあくまでその一つのわかりやすい例であって、同様の理由で避けられる社会的営為はいくらでもあるだろう。
少し前置きが長くなってしまったが、今回はコストパフォーマンスを見通すことができない子育てと買い物の話である。現在はウィーンで子育てと買い物をしているわけだが、こちらの幼稚園は比較的早く終わるのに加え、休日も多い。だから東京にいた頃に比べ子どもと遊ぶ時間が増えることになり、数ヶ月滞在していると、自ずと幼稚園の帰りに向かう場所も少なくなってくる。そんな中、看板を見て、子供が「これを見たい」と言ったそのイベントに驚いた。なんとMAK(オーストリア応用美術館)のVan Cleef and Arpels展に行きたいと言ったのだ。
世界的なジュエリーブランドであるヴァン クリーフ&アーペルのジュエリーを中心としたものづくりに関する展示で、確かに魅力的ではあるが、私ではなく子どもが行きたいと言ったのは意外だった。
街中に今回の目玉である「ジップネックレス」が施された広告がたくさんあり、これを見て関心を持ったのだという。子どもの性別については伏せるが、どちらかといえば「男の子」的な趣味の人物で(この分け方もナンセンスかもしれないが)、とてもジュエリーの美しさや精緻さに惹かれるというタイプの感性ではない。ジップネックレスのもつ、何かメカニカルな魅力に惹かれたのかもしれない。
私自身、ヴァン クリーフ&アーペルはもっぱら四つ葉や鳥のモチーフが印象的な「アルハンブラ」を購入することが多い。今流行りの顔タイプ診断やパーソナルカラー診断でいえば、例えばカルティエの「クラッシュ」とかタサキの「バランス」とか、もう少しモードだったりクールなモチーフが似合うのかもしれないが、手元を飾るものくらいは似合う似合わないより自分の好きな色なり形にしたい。
もう一つは、ヴァン クリーフ&アーペルに限らないが「だまし絵(トロンブルイユ)」的なジュエリーも好きだ。写真のジップネックレスもそうだが、ダイヤでリボンを模したリングを作ったり、金でレースを編んだり、といったものだ。
そのままでも良いはずが、わざわざ他のものに擬態するということそのものに興味がある。美しく精緻であるのに加えて、見た人を驚かせるという要素が付与されるのが面白い点なのかと思う。金がレースになり、ダイヤがリボンになると、風で動かない素材が動く、そういうあり得ない可能性も予期される。そういう意味でものと周辺環境の関係を改めて意識する媒介にもなる。職人が技術を誇る側面もある。
MAK側の解説は、そうしたジュエリーを作る職人たちの技巧だけではなく、人々による使われ方にも言及されていた。結婚式に使っていた装飾品が礼拝の際に再利用されたり、というものだ。私自身は社会運動の事務所や労働組合・協同組合といった組織の会館にお邪魔しているが「昔はこのつもりで作ったがいつの間にかこう使われるようになった」という話は結構ある。先日訪問した全日本海員組合のビル(六本木)は、過去に宿泊室として使っていた部屋を展示室・資料室として活用しているそうだ。
そういうとき、初めて物と人と場が双方生きている感じがする。そもそもものの価値は長く使っていくことで付与されたり変容したりもするから、作った時に投下したコスト以上のパフォーマンスが使われていくうちに自ずと付与されることになる。
せっかくなので、とヴァン クリーフ&アーペルのジュエリーをつけて行こうとしたら、子どももつけたいというので一つ貸してみた。スウィートアルハンブラのネックレスでサイズも小さく、それほど目立たないだろうから嫌な感じもしないだろうと思ったのだ。
似合わないからこれあんまり使わないんだ、だから貸すよと言ったら、なんで似合わないし使わないのに持ってるの、と聞かれた。子どもの誕生石は、私には似合わない色味だからあまり使わない。記念だからととりあえず買った、それだけで、コストがかかるばかりでパフォーマンスも見通せない。
子どもの問いかけに対して、「君の誕生石だからだよ。別に欲しくないし似合わないし持ったら負担になると思ってたものでも、一緒にいると宝物になるって君が生まれてわかったんだよ」と伝えた。
購入当時は、まさかこの子とお揃いのネックレスをつけて出かけるとは思っても見なかったし、こんな使い方をすると思ってもいなかった。その意味で、購入した当時にも子どもを産んだ時にもわからない、予想外の嬉しい出来事だった。
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これはただの買い物じゃない

「買って応援」「買わずに拒否」の先にある、消費と社会の関係とは何か。気鋭の社会学者が自らの財布をはたいて「買い物」を解体する論考エッセイ。










