今月私が大枚はたいて買ったものは「ホームページのリニューアル」である。素晴らしいデザインファームと巡り合い、是非ともお願いしたく出費したので、すごく高い買い物ではない。しかし「大枚はたいて」と書いたのは、私はもともと自分のホームページを無料で手に入れたためである。
私のホームページであるが、「kyokotominaga.com」という、割とそのまんまのURLから入れる。白を基調としたウェブサイトは、14年ほど前の大学院生の頃、仲の良い友人がホワイトデーにプレゼントしてくれた。国際会議や海外のサマースクールで会う研究者らが皆自分のウェブサイトを持っていて、自分もああいったサイトを作った方がいいのかも、と呟いたところ、仲のいい友達が作ってくれたのだった。
見ての通りシンプルなサイトだ。編集そのものはWordPressと呼ばれるシステムでできるようにしてくれたので、業績が増えたり、登壇予定があるたびに自分で情報を書き加えることができるのもありがたい。しかし、数年間で研究者業績を登録できる大規模な研究者ポータル(「researchmap」)が普及したので、そちらも更新しなければならず、結果として情報の統一化が難しくなってきた。
それと時を同じくして、ホームページの作成者であるこの友達と会えなくなってしまったのだ。この理由について、私的なことなので詳しいことは伏せるが、もう会うことはないだろう、と考えるのに十分な別れだった。
こうしてホームページと私だけが残されたが、私は文章を書くことはできても、サイトの構造に手を入れることはできない。私自身は友達が離れてからの数年間で、研究以外のメディアの仕事も増え、研究室もプロジェクトも拡大した。ホームページそのものは大学院生の頃に作られた、個人による研究業績の公開を企図して作られたサイトだったため、ホームページの構造が私の仕事の変化とマッチしなくなってきたのだ。
それでもなお、ホームページを残し続けたのは、友達から贈られたという事実を反故にしたくなかったからだった。せっかく友達の作ってくれたホームページを、私の仕事上の理由で断りなく作り替えるわけにいかない、と強く思っていた。なぜそんなことを考えたかと言うと、私はあの友達のおかげで今こうしていられるのだ、という思いが、ある意味で強すぎたのかもしれない。
学部生の頃からそばにいてくれた貴重な友人だった。大学院生の頃、大きな事故に遭ったとき、それを乗り越えてなお研究を続けようとしたとき、身寄りの不安定な私のそばにずっといてくれた。国際会議のプレゼンの練習に付き合ってくれたことも、はじめて大きな助成金に採択されたときにお祝いしてくれたことも覚えている。初出演のテレビ番組の収録を見にきてくれたことも、はじめての新聞連載が掲載された朝刊を写真で送ってくれたことだって記憶している。だからこそ、ホームページをリニューアルすることや廃止することは、自分の足跡も、そばにいてもらった事実も無視するようで受け入れがたかった。
そんな大事だった友達の作ったホームページをようやく改築する気になったのは、きわめて実務的な動機がきっかけだった。昨年度から研究室のプロジェクトがかなり拡大し、もはや私だけのものとは言いがたくなったのだ。私のもとにいる院生やスタッフ、連携してくれる若手研究者のことを考えると、もはやこのホームページをそのままにしておくわけにはいかなくなった。今後連携してくださる可能性のあるステークホルダーに対して魅力的かつ効果的に研究成果を売り出さねばならない。そこで知り合いの研究者を辿り、あるデザインファームに連絡したと言うわけだ。
リニューアルに際して、先方からのヒアリングシートに、デザインの好みや元のサイトから残して欲しい部分、削除してしまってもいい部分、といった点を書き込んでいくうちに、少し気づいたことがある。
好みのデザイン、研究内容、といった事柄を伝えれば、たとえ初対面のデザインファームであっても私の研究や人柄を熟知したホームページを作っていただける(もっとも、それはすぐれたデザインファームだからこそできることだとは思うが)。つまり「この人でなくてはいけない」というものではないのだ。それはホームページ作成のみならず、多くの事柄で同様だろう。
私はこのホームページをくれた友達との10年のおかげで研究を進め、多岐にわたる発信を行い、ここまでキャリアを進められたと思っていた。
それ自体はおそらく間違いではない。しかし、彼と離れて10年近く経ち、私は彼がいなくとも、他の人たちと協働し連携しながらなんとかやれている。この事実を踏まえるならば、彼は確かに大事な人だったかもしれないが、かといって「彼でなければいけなかった」ということでもない。彼のことがーーそれが恋愛感情かどうかはともあれーー大好きで、代え難い人で、そのこともおそらく間違いではないが、それは私が特定の他者に依存しなければ生きていけなかった弱さを意味しない。私はひとりでも、誰か他の人とでも、おそらくなんとかやれていたのだろう。
デザインファームの方とは打ち合わせを進め、デザインを徐々に定めている。もともとのホームページを指して、どうしてこのデザインになったのですか、と聞かれたので、友達がプレゼントしてくれたので、と答えると「それは粋なプレゼントですねえ」と言われた。そう、粋で、ちょっとギークで、いつもオシャレで、よく気にかけてくれる友達だった。20歳の頃から10年一緒にいたが、10年近く会っていない。それ以上でもそれ以下でもなく、それでよかったのだろう。
これはただの買い物じゃないの記事をもっと読む
これはただの買い物じゃない

「買って応援」「買わずに拒否」の先にある、消費と社会の関係とは何か。気鋭の社会学者が自らの財布をはたいて「買い物」を解体する論考エッセイ。










