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これはただの買い物じゃない

2026.09.11 公開 ポスト

ウィーン自炊生活富永京子

一ヶ月に一回ほどウィーンから東京に戻っているが、朝でも晩でも買い物ができることに驚いている。深夜着の便で家についても、メイク落としを忘れたら、コンビニエンスストアでファンケルとビオレ、韓国コスメのうち好きなものから選んで買うことができる。もし22時までに到着したら、マツモトキヨシやココカラファインで数十種類(もしかして百種類近くある?)から購入することができる。しかも土日であっても変わらないという。

 

東京で仕事を終えて、ウィーン着が日曜になると結構大変だ。日曜日は飲食店を除き文房具屋やドラッグストア、スーパーマーケットは閉店しているし、いわゆるコンビニエンスストアのような小規模で多くのものが手に入る店もない。だから空港や大きな駅など、比較的長時間開店しているレアなスーパーマーケットを自ずと覚えることになる。「買い物」の機会が少ない社会だと、自分で作るといったことが身近になるのは、自分でも意外なことだ。

子どもが字を覚えるためのあいうえお表、週末に破れてしまった靴など、いろいろ作ったり直したりしたが、中でも自分が「料理」を始めたのは意外だった。とはいえ、クレープとかそうめんを茹でるとか、鍋でご飯を炊くとか、豚肉の塊を使った角煮もどき(マジで「もどき」)とか、簡単なものである。

なぜ、わざわざ料理を作るようになったのだろうと考える。というのも、買い物が難しい社会ではあるが、飲食店は00時まで開店しているから、食べるものには全く困らないからだ。ウィーン中心部はオーストリア料理だけでなく、イタリアンや日本料理、フレンチや韓国料理も充実している。また、Woltなどのデリバリーサービス対応店も豊富だ。

それなのに、私は調理器具や調味料をちょっとずつ買っては増やし、そこまで作らなくてもいいものを作っている。

ウィーン中心部の街並み。レストランやカフェが並ぶ

ウィーンに子どものためのあいうえお表がないから作るのは自分でもよくわかるし、スポーツショップや子ども服売り場が閉店する土日に、靴に応急処置を加えるのはまだわかる。しかし、ほぼ24時間バーやカフェ、レストランが開いているにもかかわらず、なぜ私は料理を始めたのだろうか。

明確な答えは見つからなかったが、先日の一時帰国中の二人の研究者の方との対談がヒントになった。建築史研究者の加藤耕一さんと、政治思想研究者の重田園江さんとだ。それぞれ全く異なる分野の研究者だが、「つくる」ということについて、興味深いお話をされていた。

加藤さんのご本『建築のラグジュアリー』(東京)では、加藤さんがパリへ留学していた時に、アパートに備え付けられていた照明が壊れてしまい、自分で直したという話が出てくる。このことについて加藤さんは、もしフランス語が流暢で大家との交渉ができれば、また違う選択をしたかもしれない、と語られていた。

「もしフランス語が流暢にできたら、大家さんと交渉するなど、別の選択肢を取っていたかも」とのこと。確かに、ご飯ひとつとっても、言葉が分からなければどうしていいかわからない局面は数多い。海外滞在あるあるだとは思うが、レストランのメニューを見て想像したものと出てきたものが全く違ったり、惣菜ひとつ買うのにも何が入っているのかよくわからず「これでいいのか?」と迷ったりする。もちろん語学を勉強して乗り越える問題だとは思うが、そこに悩むよりも自分で作ってしまったほうが早い、と感じたから料理することを選んだ部分はあったかもしれない。

豚の角煮もどきとご飯。日本で食べているご飯に似た品種もある

政治思想研究者の重田園江さんとは、「生活」というテーマで対談した。その際「料理をしない人間の生活は悲惨」という話を重田さんがされていたのだが、いや、そうは言っても料理ってお金も時間も必要ですよ……と反論めいた返しをしたところ、重田先生は、カット野菜でも冷凍食品にチーズをかけて温めるだけでも料理であって、そういう小さな工夫すら料理という行為が日頃から身体化されていないとできなくなってしまう、とお話されていた。つまり、デリバリーで届いたサラダに追いバルサミコ酢をしたり、ルッコラをさらに載せたりする私のような人間の身体にも料理はあるのだろうと思うと、より深く自炊をしてもいいんじゃないかという気になったのだ。

このお二人のお話の面白さは、「つくる」ことをそれほどハードル高く設定していない点、最初からつくるという行為の楽しさや、つくられるモノの美しさを礼賛していないところにもあると思った。加藤さんは修理という行為を通じて、照明を構成するモノが持つ物質性(マテリアリティ)に一種の美的感覚を刺激される。重田さんは料理を通じて、生活を自分の手で作っていく楽しみや彩りを語る。しかし、最初から、モノの手触りって素敵だよ、料理っていろんな工夫ができて楽しいよと言うのでなく、あくまで「自分でやってみる」ところを導入にする。しかもそのハードルはそれほど高くない。

例えば加藤さんがもし照明を一から作ったという話をされていたら「それより新しく買った方が早いじゃん」と感じるだろうし、重田さんが米を炊くところからじゃないと自炊と認めない、と言っていたならば、たちまち自炊をするハードルは上がってしまうだろう。

お二人のお話や著作からは、最初は必要に迫られてモノを触っているうち、材料を加工しているうちに、どんどんその物質が身近になり、自分なりの工夫が楽しくなっていく、という過程が見えてくる。私にとっての自炊も、おそらくはそういう過程を辿るのだろうと思った。

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これはただの買い物じゃない

「買って応援」「買わずに拒否」の先にある、消費と社会の関係とは何か。気鋭の社会学者が自らの財布をはたいて「買い物」を解体する論考エッセイ。

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富永京子

1986年生まれ。立命館大学産業社会学部准教授・ウィーン大学客員研究員。専攻は社会運動論。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程・博士課程修了。著書に『社会運動のサブカルチャー化』(せりか書房)、『みんなの「わがまま」入門』(左右社)『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史』(晶文社)、『なぜ社会は変わるのか はじめての社会運動論』(講談社現代新書)など。新聞、ニュース番組、ファッション誌、カルチャーメディアなど幅広い媒体で発信を行いながら、社会変革と文化の接点を探り続けている。

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