映画や漫画に同業者が出ると、話の本筋とは関係ない妙なディティールがやけに気になることってないだろうか。先日、吉田大八監督・長塚京三主演作品『敵』を見たのだが、冒頭で長塚京三扮する主役・渡辺儀助が引き受けた講演依頼に関して、謝金の額を下げるべきだとアドバイスする同業者に対し、それはできないと言い張るシーンがあり、その謝金額とゴネ方がなかなかリアルで驚嘆した。念を押しておくと『敵』は研究者講演映画などでは全くない。
研究者講演エッセイではないので作中での詳細な額について書くことは控えるが、渡辺がベテランのフランス文学者であることを踏まえても妥当な設定だと思った。まあそれはともかくとして、特に色々感じたのは長塚の「下げられなさ」だった。
私自身の謝金額について書くことも控えるが、学術的な知識提供と考えた場合、無料で提供するというのも手だろうが、とはいえ労働はしているわけで、安価で引き受けすぎると後進や同業者への影響もある。特に所属事務所があるわけでもないし、勤務先で一律の基準があるわけでもない場合、ひとまず他の依頼元との公正性を踏まえて一定額の基準を設けるなどの対応が考えられるだろう(例えば、学生団体やチャリティーイベントであれば無料で行うこともあるわけだが)。
とはいえ、なにか自分の謝金額に上手く言えないモヤモヤしていたものを感じていたのも確かだ。考えていくうち、長塚がゴネているような額の問題ではなく、社会にどれくらい配分できているか、ということの方が気になっているのではないかという点に考えが行き着いた。自分が知見を得ているのが研究活動であり、知識を得た原資が公的な研究費や財団からの支援である以上、それらは本来無償で社会に還元すべきものなのではないかという
このような葛藤を踏まえて、せめてもの私なりの社会への還元として、講演先からいただいた謝金のいくばくかは、困窮者・マイノリティ支援の団体や、資金を調達しづらいであろう市民活動に寄付していたりもする。しかし、もう少しみんなが豊かになれる使い方はないだろうか、とも思っていた。
幸いにして、私の研究室のプロジェクトには、建築の実務家もいればソーシャルワーカーとして各種支援に関わる人々もいる。まちづくりや政策提言をしている方も関わってくださっている。こうした人々の力があれば、私の講演先や各種実務家の方々とももっとプロダクティブな関係を築くことができるのではないか。
もちろん講演に合わせてプログラムを組み直し、依頼するコストを考えれば、私自身は完全に赤字だ。
しかし、一人で依頼先に行って、一人で講演し、一人で現場の方々の意見から勉強させていただき、一人で謝金をもらって、一人で豊かになるよりは、みんなで知的にも資源的にも豊かになるほうが良いと思った。私の助言により、依頼元の経営や運営がよくなるだけではなく、私が社会貢献や協働を実践する現場の意見を聞いて学ぶだけでなく、その間に私の仲間が入ることで、私たちの学びはより豊かになるのではないかと思ったのだ。
このことを考えたきっかけには、ある若い建築家の方の影響がある。
元々、講演やメディア出演の謝金の少なくない割合を、社会問題が生じている現地での活動資金に投じる建築家は珍しくない。たとえば難民キャンプや被災地での支援を活発に行っている建築家・坂茂さんが有名であろう。
これだけでも素晴らしいことだが、社会科学の研究者にレクチャーを頼む現場は、震災などのように緊急性が必ずしも高くないから、現場の文脈をじっくりすくい取り、みんなで長い時間をかけて議論しながら組織戦略に反映することができる。社会問題の現場で実践する人々も、私の研究室を通じて得た仲間の知見も交えれば、単純に資源や知識を投下するだけでなく、もっと共創的な知識が積み上がるのではないか、とも思っていた。その方法を提示してくださったのが北里さんだった。
北里萌音さんは、インドネシアで現地の住民たちと共に、住民参加型のセルフビルドにより建築活動を行っておられる。大学院の指導教員であった岡部明子先生は北里さんの活動を「現地の人のスポンサーをしつつ、現地の人のパシリもしている」と形容する。お金も出して、一緒に作る。それは、現地の風土や労働の文脈を大事にしつつ、現地社会に対して貢献し、かつ、自分たちも学ぶことのできる試みだ。いわば「みんなで豊かになる」活動だと感じ、その社会科学版をやってみたくなった。
北里さんのお話を伺い、これだ、と思った私は、早速、依頼をいただいたいくつかの招聘元に、今回は一緒に調査研究している実務家の仲間の協力も仰いでやりたいが構わないか、彼らの招聘費は私にいただく謝金から出しますのでーーとお伝えしたところ、快くOKのお返事をいただいた。私の仲間にも声かけをしたところ、ぜひやってみたい、と快くお受けいただいた。
というわけで前置きが長くなったのだが、今回私が購入したのは私の「仲間」の時間と労力であった。この買い物が何をもたらしてくれるかは、私たちのつくる社会の未来が教えてくれるだろう。
これはただの買い物じゃないの記事をもっと読む
これはただの買い物じゃない

「買って応援」「買わずに拒否」の先にある、消費と社会の関係とは何か。気鋭の社会学者が自らの財布をはたいて「買い物」を解体する論考エッセイ。










