下町ホスト#65
「君」が帰ってからも、私はしばらく席に座っていた。窓の外はすっかり暗くなっている。追加で注文した緑色の炒め物は、思っていたより量が多かった。皿の底に残った油を見ながら、最後の一口を食べるかどうか迷っていたら、箸を落とした。静かな店内に嫌な音が響く。ベテランっぽい店員と目が合う。店員は気まずそうに目線を逸らして、他のテーブルへオーダーを取りに行った私は気怠い体を折りたたんで、箸を拾う。床の片隅でドレッシングに塗れたキビナゴと目が合った。
そして私は使っていない使い古びたフォークを使って、最後の一口を食べた。ついでに、コーラだったものを飲み干して、ドリンクバーで新しくコーラを注ぐ。そして、一本だけ煙草を吸った。大きく吸った。もう十分だった。
会計を済ませて外に出る。携帯電話を開いたが、「君」からの連絡はない。
〈今日はありがとう。〉
そこまで打って、やっぱり消した。
駅まで歩きながら、先ほどまでの会話が何度も何度も何度も頭の中をぐちゃぐちゃにする。
「最後、イベントやるんだ。」
「で?」
あの「で?」のあとに、何を言えばよかったのだろう。
来てほしい、と言えばよかったのかもしれないが、一向に減ってゆかない売掛があまりにも気になった。
駅の改札を通り、ホームで電車を待った。向かいのホームに電車が入ってきて、窓の中に知らない人たちの顔が並んだ。その顔ひとつひとつにあだ名を付けて、数分やり過ごした。最後の人は異様に私を睨んでいた。
ガラガラの電車に乗り込んで、私は携帯電話を取り出し、もう一度「君」の名前を開いた。
〈今日はありがとう。〉
今度は消さずに送ったが、嫌な油の匂いがふと私の腹奥から香った。
そのまま店に行くと、キャッシャーに呼ばれ、詳細が一向に決まらない誕生日イベントの話を進めるように促された。
眠たそうな店長から、当日のことを聞かれる。
「お前さぁ、何かやりたいことある?」
「いや、特には。」
「最後なんだから、ちゃんと考えろよ。」
最後。
自分で辞めると言い出したのに、誰かにそう言われると、急に苦しくなった。心臓がひんやりした糸で縛られてゆく。頭の中もしんしんと重くそして痛くなった。
「とりあえず、誕生日なんで。」
「うん。」
「誕生日っぽいこと、やります。」
店長は眠たそうに少し笑った。
「何だよ、それ。」
「もう少し時間下さい。」
店長はこくりと頷き、業務へ戻った。
私は店の中を見回した。
いつも座っている席。灰皿。グラス。キャッシャー。何度も開け閉めした冷蔵庫。どれも古びていたが、綺麗に手入れされている。
今日はやたらホスト達の雑談が耳に入る。
どうやら誰も私の話はしていない。
『嗚あ。』
このへんをあるけだなんてひどくないでぐちはこっち、なんてうそだよ
散り際にねっとり嘆く赤色に小さな声で告げるおはよう
ちいさいねきみのことだよちいさいねそのままずっとずっとねててね
夕立のように泣いたらいいのかい、黒い瞳孔広げて待つよ
ほらそこのちんぷなあれにだまされてあしたもいきる。恩寵、誰の。
歌舞伎町で待っている君を

歌舞伎町のホストで寿司屋のSHUNが短歌とエッセイで綴る夜の街、夜の生き方。
- バックナンバー
-
- 誕生日が下町ホストとしての最後のイベント...
- 売掛がそのままの「君」と久しぶりに会うフ...
- 「シュン君は歌舞伎町でも埋もれない」「だ...
- ホストクラブ「男本」の新しい宣材写真は大...
- 「徐々に脱いでいこうか」宣材写真が撮影が...
- 「シュン君。よろしく」男をめったに撮らな...
- テキーラで酔いつぶれた翌日、パラパラ男の...
- 「クソギャル男、売れてるらしいじゃねーか...
- お客様への雑なコピペメールを謝り、「懺悔...
- 九月の締日、ラストオーダーぎりぎりに来た...
- 「シュン君ってやばいんだね。もう行かない...
- 「売掛に使われてんじゃねーよ」携帯電話の...
- 「ホストとして話すべきことではないけど」...
- 「携帯解約しといてね」ダンナの暴力にも平...
- 「五百万でいいよ。お前ホストだろ?」“君...
- 「バレた、逃げて」「誰に?」美しいホスト...
- 「毎回呼ばれてお金渡されて…」人間らしさ...
- 「ねぇ、苦しいよ」君の来店が増え、売掛は...
- 「歌舞伎町で働きたいんだって?」社長から...
- 「シュンくんに飽きちゃったのかも」久しぶ...
- もっと見る











