『ビジネスパーソンのための「芸風」で書く技術』刊行記念、レジーさんと大島育宙さんの特別対談・後編。中編では、「ちゃんと」と「心地よい」の4象限から、芸風が宿る場所を探りました。
では、自分なりの芸風やものの見方は、どうすれば育てられるのでしょうか。選択肢が無限にある時代に、自分で世界を選び取る方法を考えます。
<構成・文:田邉愛理 撮影:植 一浩>
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自分で選んでいるつもりで、選ばされていないか

大島 中編で、仕事や会社、家族以外の世界を持つことが、自分を知ることにもつながるという話がありましたよね。ただ趣味に関していうと、そこに「サードプレイス 」みたいな名前がついた瞬間に、別の意味に回収されてしまうこともあると思うんです。
レジー 最近の例だとサウナとかジムでの筋トレとかですかね。趣味と言いつつ、結局仕事のパフォーマンスを上げるためのものだったりするので、別にサードじゃなくない?という感じがします。
大島 仕事と切り離されていないというのもそうですし、多くはアドレナリンコントロールですよね。アドレナリンや自律神経の説明のために趣味を持っている、みたいな。
本当にキャンプやサウナが好きなら、もちろんいいと思うんです。でもサウナや筋トレ以外の情報を探すことだって、昔よりずっと簡単なはず。それでも同じものに人気が集中していくのは、なぜなんだろうと思います。
レジー 確かに。僕はよく、「選ばされている」とか「思い込まされている」という表現を使うのですが、 自分で選んでいるつもりなのに、実は自分では選んでいない状態ってありますよね。これは誰でも陥ることだけど、特に今は起こりやすい気がします。
だからこそ、みんなが選んでいるものとは違うものを、自分で選べる場所や空間を持っておくことが大事なんじゃないかと。
大島 そうですね。たとえばSpotifyで「今日は知らないアーティストだけを1時間聴いてみよう」とか。Netflixでも、「なんだこれ」と思う、訳のわからないサムネイルをあえて押してみるとか。
流行っているコンテンツを見ていないと「ちゃんと」していないような気がして、知っているものしか選ばなくなる。でも僕は、みんなが見ていないものをたまたま見つけて、「これ面白いじゃん」と思えたときに、すごく得した気分になるんです。
「ディグる体力」は、どこで身につくのか

レジー ただ、そうやって流行っているものではないものを掘り下げていく体力や耐性って、どこで身につくんだろうとも思うんですね。
僕は音楽をいろいろ聴く一環で、たまにアフリカやアジアの民族音楽みたいな、普段とは違うジャンルを意識的に探すようにしています。自分が抵抗なくそういうことができる理由を考えたときに、音楽マニアだった叔父の影響がある気がしていて。
叔父はビートルズのブートレグをたくさん持っていて、ワールドミュージックが流行ったときには民族音楽をいろいろ聴いていた。そういう人やものが身近にあったことが理由の一つだったとすれば、この話は文化資本につながってきますよね。
大島 そこは大きいと思います。僕らの世代までは、古本屋やレコード屋、図書館に行ったら目の前にあるものしかなかった。しかも終わりの時間がある。その限られた空間の中で、何か面白いものはないかと探すことが楽しみだった。
でも今はそうではない。最初からインターネットやSNSという無限の空間にアクセスして、そこから「好きなものを探してください」と言われるのって、じつはものすごく大変なことだと思うんです。
だから子育て中の人なら、子どもに「古本屋で(図書館で)1時間、好きな本を探してごらん」って言ってみるみたいなことは、案外大事なんじゃないかと。よく体験格差と言われるけれど、海外旅行みたいなお金がかかる体験だけが文化資本ではないですよね。
レジー うちも子どもに、ショート動画を見るなというより、「自分で選んで見るのはいいけど、ランダムで見るな」と言っているんですよ。
大島 検索をしろと。
レジー アルゴリズムに流されるなと(笑)。最近はYouTubeで折り紙の動画を自分で探して、ずっと折り紙を作っています。そうやって自分で遊び方を見つけて何かをする時間は、きっと大事なんだろうなとは思います。
制約があるからこそ、自分のやり方・選び方が見えてくる

大島 僕は国会図書館によく行くのですが、興味がある人の過去の連載を検索すると、知らない雑誌が出てくるんですね。「この人、こんなところでも書いていたんだ」と思うとワクワクする。
それを閉館までに読まなきゃいけないから、もうスマホを見ている場合じゃない(笑)。そういう「スマホを見ている場合じゃない時間」を意識して作ったほうがいいと思うんです。
古本屋でも図書館でも、その場にあるものしかないという制約、限定性があるからこそ、自分で探しやすくなる。無限の空間から選べることは自由に見えるけれど、それが当たり前になると、逆に何も選んでいない状態にもなりやすいんじゃないかと。
レジー 僕が今回の本で伝えたかった「芸風」のあり方も、いまの制約の話とすごくつながると思います。
何でも自由にできる場所で自分らしさを出してくださいと言われても、意外と平凡なものにしかならない。ただ、多くの場合、人は何か守らなきゃいけないことや、応えなきゃいけないニーズに囲まれている。その中で、「でも、この人はこうやるんだ」という違いがしみ出してくる。そこに芸風が宿るんじゃないかと思うんです。
僕がライターをやりながら会社員を辞めないのも、もちろん生活上の理由はありますけど、会社という縛りがあるからこそ見えるものを大事にしているのも大きいんです。選択肢がどんどん広がっていく時代だからこそ、ときどき自分で制約を作ってみることも大事だと思います。
大島 確かに。それでいうと、友達や家族もそうかもしれません。友達って普通は「自分の世界を広げてくれる存在」として語られることが多いですけど、逆に自分を制約してくれる存在でもありますよね。
SNSを見ていると、毎日いろんな価値観が流れてきます。それによって自分の世界が広がっているように感じるけれど、実際には離合集散しているだけで、本当かなとも思う。
それよりも目の前にいる友達と2時間しゃべったら、その人の考えはかなり確かなものとして自分の中に入ってくるはずです。半分は自分でコントロールして、半分は何かに委ねる。そんなふうに、自分をあえて制約することの価値も、もっと語られていい気がします。
「本を読め」が通じないなら「アルバムを聴け」

大島 それで、限定性とか制約という話でいうと、僕が勧めたいのはアルバムを聴くことなんですよね。「本を読め」ってみんな言うけど、それと同じくらい、音楽の人はもっと「アルバムを聴け」って言ったらいいのにと思うんです。
レジー 今はミュージシャン自身も、一曲単位で語ることが増えていますからね。
大島 だから、名盤ブームが来てほしい。名著ブームはあったじゃないですか。
「名盤」ってすごくいい言葉だと思うんです。基本的にはアルバムだから、一曲一曲のパフォーマンスだけを見るわけじゃない。曲と曲の間に文脈があり、全体が有機的にまとめられているから、そこにどんな意味や時代性があるのかを読み込める。
そういう全体を見る感覚って、名著を読むより、アルバムを聴くほうが生理的に入ってくる人もいると思うんですよ。
レジー 確かに。それでいうと2023年にMr.Childrenとスピッツのアルバムがどちらも出たんですが、両方とも中盤にすごく変な曲が入っていて。長くアルバムの世界でキャリアを積んできたアーティストが、この時代に出すアルバムの真ん中に、あえて変な曲を入れている。僕はそこにすごく矜持を感じましたね。
大島 全部を当てにいく曲にしなくてもいいんでしょうね。
レジー そうなんですよね。アルバムだからこそ、中盤にそういう曲を置ける。一曲ずつ切り出して、その曲だけのわかりやすさや強さで評価するのではなくて、全部通して聴いたときにどういう作品になるのかを味わいたい。そういう文化がなくなってほしくないなと思います。
大島 そう考えると、アルバムも芸風も通じ合う部分がありますよね。一つひとつを同じものさしで採点するんじゃなくて、ちょっと変なものや、すぐには意味がわからないものも含めて全体を見る。
それが名盤を聴く面白さでもあるし、人や自分自身を見るときにも、たぶん同じことが言えるんじゃないでしょうか。だからやっぱり、「本を読め」が通じないなら、「アルバムを聴け」と言いたいですね。
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お二人による対談、お楽しみいただけたでしょうか? レジーさんによる最新刊『ビジネスパーソンのための「芸風」で書く技術』には、自分なりの「芸風」を見つけ出すためのヒントが多数つまっています。大島育宙さんの話題書『なぜあなたの感想はふつうなのか 独自の視点で語る技術』と合わせて、ぜひご覧ください!
メイキング・オブ・『ビジネスパーソンのための「芸風」で書く技術』

7/29発売の批評家・会社員のレジーさんによる新刊『ビジネスパーソンのための「芸風」で書く技術』にまつわる新連載です。連載単体だけでなく、書籍の番外編としても楽しめる内容になっています。










