「言語化」や文章術のノウハウがあふれる今、「うまく書く」方法は簡単に見つかる。しかし、それは「自分らしい文章」と言えるのか——。レジーさんの新著『ビジネスパーソンのための「芸風」で書く技術』刊行を記念して、『バラバラな世界で共に生きる リチャード・ローティの哲学』(NHK出版新書、リンク先はAmazonに遷移します)が話題になっている言語哲学者・朱喜哲さんを招いた特別対談を実現! ともに文筆業だけでなく、企業で働く会社員でもある二人。それぞれが「芸風のある文章」を獲得するまでの道のりを振り返ります。
<構成・文:田邉愛理 撮影:植 一浩>
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文章術や「言語化」ブームに感じていた違和感
レジー 今日はお会いできて嬉しいです。まずは僕から、本書について少し説明させてください。
この本は一応「書く技術」の本なので、その具体策に着地させてはいるのですが、一番伝えたかったのはその「手前」なんですね。自分の中に「考えていること」や「思っていること」がないと、そもそも書けないよね、という話なんです。
『ファスト教養』や『東大生はなぜコンサルを目指すのか』を書いたころからずっと、「結論から書け」とか「こういう構成がいい」といったフレームワーク的な文章術や、上手く言葉を並べることを競い合うような昨今の「言語化」ブームに違和感がありました。そこへのカウンターを書きたい、という思いがまずあって。
そこでキーワードにしたのが「芸風」という言葉です。「芸」は自分らしさという内面だけでなく、人に見せるものでもありますよね。だからこそ、自分の思いをどう加工して見せるかまでを含めて「文章を書く技術」なんじゃないかなと。タイトルはあえて「ビジネスパーソンのための」としていますが、実際には「書く」ことを会社の中だけではなく、その外側の人生まで含めて大きく捉え直したいと考えています。
朱 生成AIが急速に台頭してきて、とくにビジネスでは「文章を書く」習慣が奪われつつある難しい時期ですから、「この箇所はいつごろ書かれたのかな……」と思いながら、たいへん面白く、かついま重要な本として拝読しました。第一章の冒頭で、“若手の下っ端”だったレジーさんが「資料は同じなのに、プレゼンの進め方が人によって違う」と気づいて、上司にそう伝えた。すると「まあこの辺は芸風によるから」という言葉が返ってきた、という話が出てきますよね。そこから、同じ型を与えられても、そこににじみ出てくるその人ならではのものこそが芸風なんだ、と紐解かれていくわけですが、まずこの「芸風」という表現がすごくいい。
レジー ありがとうございます。あのとき、テレビの中だけで聞く言葉だった「芸風」が、仕事における各自の個性の出し方を説明する言葉として、すっと腑に落ちたんです。決められた枠に沿ったプレゼン資料であっても、現場での振る舞いには、その人が培ってきたものがにじみ出てくる。そこに会社の仕事で発揮される人間らしさとか、面白さがあるのでは、と。
朱 それは、僕が所属するマーケティングや広告業界で言われる「規定演技」と「自由演技」にも重なりますね。たぶんフィギュアスケート由来の言葉ですが、規定演技という型があるからこそ、自由演技で個性を発揮できる部分がある。クリエイティブが入る職種だと、そこがまさに「芸風」なんですよね。
「サル山」から読み解く職場の力学

朱 僕は大学院を修士まで出てから、広告代理店に新卒採用で入りました。ビジネスの世界でも自分なりにやっていけそうだと最初に思ったきっかけが、じつはレジーさんと同じく「メール」だったんですよね。ずっと哲学、それも言語哲学をやってきたので、テキスト解釈や概念の用法にはうるさい(笑)。ビジネスメールは定型表現も多いわけですが、それは踏まえつつ、例えば「先ほどのこの一文は、こういう解釈でよろしかったでしょうか」と書いたりすると、うまく「言質」を取りにいけたり、あるいはチームの共通理解やモチベーションを高めたりできる。哲学者として培ってきたボキャブラリー上の技巧が、そのまま自分の差別化になっている。これなら戦える、と思いました。
メールって、規定演技として基本の型が決まっているからこそ、その中での個性が光る。あまり手の内を晒したくないんですけど(笑)、僕がよくやるのは、やりとりのここぞという一文の語尾を「~ね」や「~ですよね」にして、さりげなく親しみを込めること。そういう小さな工夫の積み重ねが、「また一緒に仕事したい」と思ってもらえる信頼関係や、チームビルディングにつながっていくんじゃないかなと。
そうやって言葉を武器にする一方で、新入社員時代は代理店という組織やそれを取り巻く産業構造そのものを、参与観察する文化人類学者のような気持ちで見てもいました。この巨大組織はどういうメカニズムで動いているんだろうって。レジーさんが書かれていた「職場の力関係をサル山として観察してみる」という表現が面白かったんですが、あれもその感覚ですよね。
レジー あの話は僕の原体験がもとになっていて、大学卒業して最初にJTC系のメーカーに入社したのですが、当時ついた上司が人事大好きおじさんだったんです。人事異動があるとイントラに乗っている情報をプリントアウトして、大事なところに蛍光ペンを付けて渡してくる。「この人事は見ておいたほうがいいよ」って(笑)。
朱 それ、最高の上司ですね(笑)。組織の権力構造は人事に宿るので、一人ひとりがどういう力学でそういう人事になったのかを理解することが、会社を理解することですから。
「一歩越境」が広げる、言葉の引き出し

レジー 文化人類学的に「会社という異文化」に入り込んでいく感覚、よくわかります。そのうえで僕が意識しているのは「一歩越境」という言葉です。僕自身、会社員をやりながら音楽ライターとして活動しはじめて、ちょっとずつ批評の領域を広げてということを10年ほど続けてきました。本業とは別の場所に足場を持ち、そこを行き来すること自体が、相互にものを見るときのポイントになっているなと感じています。
朱 レジーさんは音楽やポップカルチャーをはじめ、サッカー、働き方、社会問題といった複数のフィルターをお持ちですよね。参照できるボキャブラリーが豊富だからこそ、その組み合わせに「レジーさん独自の芸風」が宿る。
最近の若い人は、その場所で成長できるかどうかを1年ほどで見切ってしまったりします。でも今は、わかりやすいスキルほど真っ先にAIへ置き換えられていく時代。AIに代替されない「自分だけの芸風」をつくるためには、結局はいろいろなカルチャーに身を置いて、そこでのボキャブラリーを蓄積させていくという合わせ技しかないと思うんです。
それを当たり前だと言う人もいるかもしれません。しかし、このことをここまで力強く、しかも「書く技術」の話として語ってくれた人はレジーさんだけなんじゃないかな。キャリア論としても素晴らしいと思います。
コントロールできない「偶然性」が芸風をつくる

朱 この本の最後でレジーさんは、文章こそがビジネスだけでなく、生活やその他すべての人生にまでつながっているスキルだと書かれています。だから文章をないがしろにすることは、ある意味で仕事というものを生活から切り離したり、疎外したりしてしまうことでもある、と。
これは、僕が研究している言語哲学者リチャード・ローティ(※1931〜2007年。伝統的哲学を批判しネオプラグマティズムを掲げた米哲学者。主著に『偶然性・アイロニー・連帯』など)の考え方とも響き合うと感じました。ローティについては近著『バラバラな世界で共に生きる リチャード・ローティの哲学』でも論じているのですが、彼は「人間や社会は受肉したボキャブラリー(言葉づかい)である」と言っています。何を語り、どんな言葉を選ぶかが「私そのもの」「社会そのもの」なのだ、と。
しかもこれは、どこかに「本当の自分」があって、それを表現できるように言葉を使うということではない。むしろその逆で、偶然性によって形作られた自分の言葉づかいが、すなわち「私」なんだという発想なんですね。
レジー 「偶然性」というのは、僕も本当に大事にしている概念です。『ファスト教養』(集英社新書、リンク先はAmazonに遷移します)で取り上げた「正解に最短距離で到達したい」という昨今の心理には、「キャリアは100%コントロールできる」という思い込みがあると考えています。しかし、こうした過度なコントロール志向やコスパ、タイパの追求は、かえってキャリアや生き方の可能性を狭めてしまう。
自分で設計したわけではない「偶然」とどう付き合い、不本意なこともどう捉え直していくか。そこが大事なんだろうなと、この何年かで強く感じています。
朱 この本が面白いのは、そのことをレジーさんがご自身のキャリアを振り返りながら書いてくれているところなんですよね。今となってはレジーさんのすべてに「芸風」が宿っているけれど、それは最初からあった本質がどうのという話ではない。キャリアの偶然性と、不確実な中でもそれを選んできた自分自身に帰結している。ローティの「偶然性」を研究する者としても、一人の働く人間としても、何か励まされる思いがしました。

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日々の小さな偶然の波に乗ることで、「芸風(自分らしさ)」が磨かれていく——そんな展望を描いてくれた、レジーさんと朱喜哲さんの対談。 後編では「AIを使役する言葉」が自分を侵食する怖さや、コスパ・タイパ主義に抗う「迷い続ける力(ネガティヴ・ケイパビリティ)」、そして「普通に働く会社員のための哲学」について語り合います。
メイキング・オブ・『ビジネスパーソンのための「芸風」で書く技術』

7/29発売の批評家・会社員のレジーさんによる新刊『ビジネスパーソンのための「芸風」で書く技術』にまつわる新連載です。連載単体だけでなく、書籍の番外編としても楽しめる内容になっています。










