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ほかに誰がいる

2019.07.31 公開 ツイート

#14 ストップ。レビュー。スタート。…破滅へ向かう少女の恋 朝倉かすみ

ほかに誰がいる? わたしの心をこんなにも強くしめつける存在が。憧れのひと、玲子への想いを貫くあまり、人生を少しずつ狂わせていく16歳のえり。玲子――こっそりつけた愛称は天鵞絨(びろうど)――への恋心が暴走する衝撃の物語を、冒頭から抜粋してお届けします。ヤミツキ必至!大注目作家の話題作。

*   *   *

14

パレットのなかで発色を待っていた「わたしたち」の色は、ひからびて、粉になった。

わたしはパレットを捨てた。

円い箱にしまった宝物は、蓋(ふた)が持ち上がるほど溜っていた。これも捨てようと思っている。

しかし、わたしは決して悲観的ではない。わたしは、天鵞絨と新しい関係を築こうとしている。

もともとは、天鵞絨の名前すら知らなかったのだ。わたしは少しずつ欲張りになっていた。わたしがなにより優先しなければならないのは、天鵞絨の幸福だったはずだ。

それなのに、いつしかわたしは天鵞絨の幸福よりも、わたしの幸福に重きをおいていた。わたしと天鵞絨が「わたしたち」になれば、それは世界でいちばんよい状態なのだが、それはもしかしたら、わたしがそう思っているだけなのかもしれなかった。

ストップ。

わたしはいったん思考を停止し、少し前にもどって再度、考えてみる。

スタート。

わたしがなにより優先しなければならないのは、天鵞絨の幸福だったはずだ。

(写真:iStock.com/archikata)

天鵞絨が幸福ならば、わたしは喜ぶべきである。それは、心からのものでなければならない。案外、素直に喜べそうで、その心境にわたし自身がとまどっている。わたしは天鵞絨と「かれ」を祝福できそうなのだ。これも苦行のたまものだろう。

ストップ。

レビュー。

スタート。

それは、心からのものであるのが望ましい。

わたしは、わたしと天鵞絨が「わたしたち」になる日を信じ、苦行を重ねた。天鵞絨のわたしへの仕打ちも許してきた。わたしは、天鵞絨と「かれ」を祝福できる寛容さまで身につけた。

しかし、天鵞絨にとっての「わたしたち」は、わたしと天鵞絨ではなく、天鵞絨と「かれ」だった。ふたりを結びつけるきっかけをつくったのは、わたしである。

天鵞絨は、わたしを、手柄を立てた家臣とでも思っているのではないか。ごくろう、といえば、それですむと思っているのか。

ストップ。

レビュー。

スタート。

しかし、天鵞絨にとっての「わたしたち」は、わたしと天鵞絨ではなく、天鵞絨と「かれ」だった。

わたしは天鵞絨の親友でしかなかった。

「でしかなかった?」

声にだして、反復した。苦笑いがこみあげてくる。よくもまあ、「でしかなかった」などと生意気をいえたものだ。天鵞絨のそばにいられる幸福をなんと心得ているのだろう。

わたしは、いつのまにか、こんなに傲慢になっていた。天鵞絨がわたしから離れていって当然だ。わたしだって、さっさと見切りをつけたくなる。でも、わたしは、わたしを見放したくなかった。わたしは、わたしに見限られたら、生きていけない。

(写真:iStock.com/Olga_Garrilova)

いったん、すべてを白紙にもどそう。

できることはそれしかないような気がする。天鵞絨を知らなかったころのわたしにもどろう。

わたしは、あの六月の電車の窓越しの出会いすら、なかったことにしようと思っている。わたしと天鵞絨はこれから出会い、新しい関係を一からつくっていくのだと、こう思うことにする。わたしは、過去のわたしと天鵞絨を捨てようと決めた。

円い箱の蓋を開ける。

びっくり箱みたいだ。写真やメモが飛びでてくる。

十一月七日のわたしたち。八月十日のわたしたち。二月二十日のわたしたち。楽しそうなわたしたち。

天鵞絨の文字。撥(は)ねと止めのめりはりがきいた天鵞絨の文字が、わたしに何度もなぞられて黒ずんでいる。

ノートもでてきた。表紙に天使の翼を描いている。Vol .1から32まで。33は、机の引きだしのなかにある。

箱の底にしまっておいたポスターは、折り皺がところどころやぶけている。何度もひろげては見、折ってはまたひろげて見たポスターだ。

わたしたちの家に、指先で触れてみる。床に膝をついた。お尻を浮かせて背をまるめ、指の腹で触れてみた。

わたしたちの家が熱を放ち、わたしのひと差し指をオレンジ色に染める。

ストップ。

レビュー。

スタート。

パレットのなかで発色を待っていた「わたしたち」の色は、ひからびて、粉になった。

穏やかに微笑する灰色に亀裂(きれつ)が入っている。

わたしは、水を加える方法を、新たに考えてみることにしよう。よい方法がきっとあるにちがいない。

朝倉かすみ『ほかに誰がいる』

ほかに誰がいる? わたしの心をこんなにも強くしめつける存在が……。憧れの“あのひと”への想いを貫くあまり、人生を少しずつ狂わせていく16歳のえり。淡い恋心が暴走する衝撃の恋愛サスペンス。

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ほかに誰がいる

女友達への愛が暴走し狂気に変わる……衝撃のサスペンス

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朝倉かすみ

北海道生まれ。北海道武蔵女子短期大学卒業。二〇〇三年「コマドリさんのこと」で第三七回北海道新聞文学賞、〇四年「肝、焼ける」で第七二回小説現代新人賞を受賞。著書に、『田村はまだか』(第三〇回吉川英治文学新人賞、光文社)、『満潮』(光文社)、『てらさふ』(文藝春秋)、『植物たち』(徳間書店)、『平場の月』(第三二回山本周五郎賞、光文社)などがある。

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