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ほかに誰がいる

2019.07.21 公開 ポスト

#7 あってはならないこと…破滅へ向かう少女の恋朝倉かすみ

ほかに誰がいる? わたしの心をこんなにも強くしめつける存在が。憧れのひと、玲子への想いを貫くあまり、人生を少しずつ狂わせていく16歳のえり。玲子――こっそりつけた愛称は天鵞絨(びろうど)――への恋心が暴走する衝撃の物語を、冒頭から抜粋してお届けします。ヤミツキ必至!大注目作家の話題作。

* * *

7

好きなひと、できた?

というのは、わたしたちのあいだで、繰り返される質問だ。あのみぞれの日から、一年がすぎた。

この一年のあいだに、わたしは同級の男子と交際し、約ひと月で自然消滅したことになっている。

「好きなひと、できた?」

天鵞絨がまた訊(き)いてくる。

「いま、いないよ。こないだもいったけど」

そうお? といって、天鵞絨が口をつぐんだ。

天鵞絨の母親がお茶を持って部屋に入ってきた。天鵞絨の母親は、天鵞絨よりも異国のひとに近い。唇が白っぽく見える。

「あたしね」

紅茶をひと口のんでから、天鵞絨がいった。

「好きなひと、できたみたいなの」

わたしはベッドに倒れこむふりをした。それから、天鵞絨のベッドに顔をうずめ、息を吸い、顔を上げ、できるだけ無邪気に「だれ? だれ?」と訊ねた。

(写真:iStock.com/smolaw11)

それはあってはならないことだった。

天鵞絨がほかのひととつき合うようになったら、わたしは自転車ではなく、徒歩で天鵞絨の家までいかなくてはならなくなる。いまよりもっと苦しいことをしなければ、天鵞絨とわたしは重なることができなくなる。そう思った。

天鵞絨は、こうやって、わたしを痛い目にあわせる。

わたしが同級の男子とつき合ったのには、わけがある。

「好きなひと、いる?」と天鵞絨に訊かれたとき、わたしは即座に首を振った。当時、わたしたちはまだそんなに親しくなかった。天鵞絨はわたしの首の振り方を面白がり、そんなに一生懸命振らなくてもと笑った。好きなひとがいなくても、べつにおかしくないと思う、あたしだっていないもん、と、姉のように慰めてきた。わたしは、少し落胆し、そのくせ深く安堵(あんど)した。

それから「好きなひと、できた?」とわたしたちは訊き合うようになったのだが、「いない」と答えるわたしの口調は歯切れがわるいようだった。「ほんとはいるんでしょ」と、何度もいわれた。「ほんとにいない」と何度も答えた。答えるたびに、声が弱くなっていった。

天鵞絨は、しらけたようだった。「えりって秘密主義だよね」と呟(つぶや)かれ、バイバイもそこそこに立ち去られたときは泣きたくなった。バスのなかで涙をふいていたら、携帯のカメラのシャッター音が聞こえてきた。他校の女子が、わたしの写真を撮っていた。他校の女子は高速でメールを打ち、わたしの泣き顔を添付して、友だちに送ったようだった。

わたしは「好きな男子」を天鵞絨に白状しなければならなくなった。誰でもよかったが、同じクラスの蒲生(がもう)にした。賀集玲子とおんなじ「が」の字で始まる名字だったからだ。天鵞絨がバレンタインデーに告白すべきだといったので、告白しなければならなくなった。蒲生から、スキーに誘われたと報告したら、天鵞絨が祝福してくれたので、スキーにいかなくてはならなくなった。映画にもいかなくてはならなかった。

天鵞絨は、デイトのあれこれをくわしく聞きたがった。蒲生を「えりの彼氏」と呼んだ。そのことばを打ち消すために、わたしはいつもの三倍、ノートに天鵞絨と書かなければならなかった。しかも左手で。

(写真:iStock.com/1933bkk)

好きということばは、天鵞絨のためだけのものだ。

天鵞絨以外のひとに対して、好きということばを、たとえ使わなくても、そう思っただけで、わたしはわたしを罰しなければならないのだった。

子猫が空き地で昼寝をしていて、ミルクをのんだばかりとおぼしきお腹(なか)がふっくりとふくらんでいたとしても、「かわいい」などと思ってはならない。わたしは心を動かしてはならない。天鵞絨以外の対象に愛情をそそいではならないからだ。

天鵞絨への忠誠は、いつか完全にひとつに重なるわたしたちの、「わたしたち」という人格を形成するのに欠かせないものだと思っている。

「わたしたち」という人格を築いていくために必要なのは、おもにわたしの努力なのだ。

わたしは信じていた。

わたしの努力や、少しばかりの犠牲を天鵞絨に気取(けど)られてはならない。気づかれなければ、うまくいく、と。

それなのに、「好きなひとができたみたい」と、天鵞絨がわたしにいっている。

「六組の、岡田くん。剣道部なの」

岡田。あの背ばかり高い、胃下垂みたいな体型の。空豆に似た顔の。白目の黄色い、頬に汚いぶつぶつをいつもこしらえている、あの岡田。

「やめなよ、岡田」

わたしは、岡田には、好きな子がいるのだといった。わたしは一年のときにかれとは同級だったから、よく知っているといった。岡田はああ見えても一途(いちず)なところがあるから、好きな子以外には目もくれないはずだといった。全部、嘘だった。

天鵞絨が黙ってしまった。

「……でも、あたしが思うのは自由じゃない?」

こんな少女趣味めいたいいぶんを決心したように口にした。

それは恋する乙女(おとめ)のような口ぶりで、このままでは、わたしは真夜中に十日、いや、それ以上、天鵞絨の家まで徒歩でいくことになりそうだった。そればかりか、左手でテストを受けるはめになるかもしれない。

重なりかけたわたしたちが離れようとしている。わたしたちから、天鵞絨がでていこうとしている。

天鵞絨から視線をはずし、わたしは窓から外を見た。天鵞絨の部屋にいる。天鵞絨のベッドに腰かけて、キルトのベッドカバーのくぼんだ縫い目をさっきからなぞっている。

「……あ」

児童公園が見えた。瞬時にあるアイディアが浮かんだ。

そのアイディアはまだ頼りないが、うまく育てばものになると直感がはたらいた。わたしの唇がパッとひらく。まるで、たったいま気づいたかのように。

「あっ」

「なに?」

「公園。あそこ、公園だよね。ほら、旗が立っているところ」

わたしは公園を指差した。旗は、公園のシンボルだった。貧相なアスレチック遊具の中央の、物見櫓の三角屋根の頂点ではためいている。

「そうだよ。知らなかった?」

わたしは、きょとんという顔つきをして、うなずいた。天鵞絨もうなずいて、こういった。

「でも、あたし、いったことないんだよね。ここに引っ越してきたのは高校に入るときだったから、近所に友だちもいないし。子どもじゃないしね」

「わたし、わりによくいくんだよね、あの公園」

「どうして? けっこう、あるじゃん。えりの家から」

「チャリで。夜中に走ると気持ちいいって知ってた?」

「知らないよ」

えり、そんなこと、してるんだ。

天鵞絨が目をぱちぱちさせて、こちらを見ている。天鵞絨だって、気詰まりな雰囲気を早いとこ払拭(ふっしょく)したいのだろう。ひとまずは、わたしの話に合わせようとしている。

「で、そこの公園まできちゃうんだ、チャリで」

「夜中にね」

(そう、夜中に。しかも毎日)

天鵞絨はやや大げさに笑いころげている。

「もう、うちから目と鼻の先じゃん。ほんとにいまのいままで気がつかなかったの? うちが児童公園のそばだって」

「ルートがちがうからかなあ。全然、気がつかなかった」

「えりって、けっこう天然だよね」

そうかなあ、とわたしは、頭のてっぺんを掻(か)いてみせる。

「絶対、そう」

天鵞絨が念をおし、わたしたちはたくさん笑った。

涙をながして笑いながら、わたしはとてもいい感じだと思った。あるアイディアが頭のなかで順調に育っている。

「でね。あの公園で何度か会ったひとなんだけど」

お腹をさすりながら、わたしは話し始めた。

「会ったっていうか、口をきいたことも実はないんだけど」

「なに、それ」

天鵞絨も笑いながら、話の先を催促する。

「男のひと。大学生くらいかなあ。犬つれて、ベンチに座ってるの」

わたしは話し始めた。

巫女(みこ)にでもなった気がした。神託を告げるように、天鵞絨に語りかけた。

その男のひとをひと目見たときにぴんときたこと。このひとはれいこの彼氏になるにちがいないとひらめいたこと。見かけるたびにそれが確信に変わったこと。

天鵞絨はまた笑いだして「なに、それ」といった。

自分でもどうしてそう思ったのかわからないけれど、と、わたしは真面目(まじめ)な表情でいった。

「とにかく、れいこにぴったり合うって感じなの。わたしにはわかるの」

わたしは「かれ」の詳細を話した。わたしには「かれ」が見えていた。

(写真:iStock.com/fotocelia)

それほど長くない髪は硬そうな直毛だ。ほっそりとした体つきで、でも華奢(きゃしゃ)というわけではなくて、案外、肩幅もある。

犬を見る目がやさしそうで、組んだ足の、膝から下がうんと長い。

ざっくりしたセーターにダウンジャケットを着ていて、そのダウンジャケットは紺色。

ときどき頬に手をあてるが、その指が長く、清潔そうだ。

頬は少しこけているけど、でも卑しい印象じゃない。横顔の鼻の線がそれはもう知的で。

ああ、そういえば、本を読んでいたこともあったっけ。足元で犬をあそばせながら。

天鵞絨は、わたしの話をおとなしく聞いていた。わたしが口をつぐむと、ようやっと唇をひらいた。

「それって、なんか、あたしの好きなタイプかも」

淡い褐色の頬がつややかにかがやいている。

「えりがあたしにぴったりだっていうくらいだしね」

胸に手をおき、ふう、と、長く息をもらす。

「もっと、聞かせて」

とせがんでくる。

そこでわたしは「かれ」の話をつづけた。

「かれ」の仕草の真似(まね)もした。

「かれ」のまなざしを天鵞絨に送り、「かれ」のように座ってみせた。ベッドに腰をおろすとスプリングがかすかに軋(きし)み、わたしは少しだけ、ひやりとした。

朝倉かすみ『ほかに誰がいる』

ほかに誰がいる? わたしの心をこんなにも強くしめつける存在が……。憧れの“あのひと”への想いを貫くあまり、人生を少しずつ狂わせていく16歳のえり。淡い恋心が暴走する衝撃の恋愛サスペンス。

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ほかに誰がいる

女友達への愛が暴走し狂気に変わる……衝撃のサスペンス

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朝倉かすみ

北海道生まれ。北海道武蔵女子短期大学卒業。二〇〇三年「コマドリさんのこと」で第三七回北海道新聞文学賞、〇四年「肝、焼ける」で第七二回小説現代新人賞を受賞。著書に、『田村はまだか』(第三〇回吉川英治文学新人賞、光文社)、『満潮』(光文社)、『てらさふ』(文藝春秋)、『植物たち』(徳間書店)、『平場の月』(第三二回山本周五郎賞、光文社)などがある。

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