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ほかに誰がいる

2019.07.30 公開 ツイート

#12 血の味…破滅へ向かう少女の恋 朝倉かすみ

ほかに誰がいる? わたしの心をこんなにも強くしめつける存在が。憧れのひと、玲子への想いを貫くあまり、人生を少しずつ狂わせていく16歳のえり。玲子――こっそりつけた愛称は天鵞絨(びろうど)――への恋心が暴走する衝撃の物語を、冒頭から抜粋してお届けします。ヤミツキ必至!大注目作家の話題作。
 

*   *   *

12

真夜中に、電話が鳴った。

わたしは湯上がりで、タオルで髪をふいていた。これから自転車に乗って児童公園までいこうとしていた。

受話器をとる前に、天鵞絨からだとわかった。

わたしも天鵞絨も携帯を持っていない。天鵞絨はお揃いで買おうと幾度もいってきたが、それだけは拒否した。携帯は嫌いだ。あれは武器だ。他人の泣き顔を撮ってはいけない。

「えり?」

天鵞絨の声がいつもとちがう。

ふるえているにはいるのだが、恐怖によるものではなく、昂揚(こうよう)によるものに思われる。声に息がまじり、真夜中の電話なのに、聞き取りにくかった。

「あたし、『かれ』に会っちゃったの」

居間の時計の長針が、かっきりと動いた。

(写真:iStock.com/William_Potter)

自転車をこぎながら、天鵞絨の声を反復する。

「『かれ』に会っちゃったの。きょう。さっきまで話していたの。あの公園で」

「留学したら、もう、『かれ』に会うチャンスすらなくなるんだなあと思って、ひとりでいってみたの、公園」

「そしたら、いたの、『かれ』」

「すぐ、わかった。えりのいったとおりだった」

「あたし、あっ、て、声だしちゃって。『かれ』、こっちむいて。思わずお辞儀したの、あたし」

「あたし、なんだか、わかんなくなっちゃって、ずっと前から知っていましたって、いきなりいっちゃったんだ。『かれ』、びっくりして。あたり前だけど。とりあえず自己紹介しましょうか、って」

「笑って。目がね、すうっと細くなって、あたしを見たの。あたしを」

「『かれ』、桐山修一(きりやましゅういち)さんていうの。犬はね、犬はタロウ。ウルトラマンタロウのタロウ」

「大学四年生」

「これって、すごいよね」

「ね。すごくない?」

 

レゴは苦手だったのだ。

こんな建物ができる、こんな動物をつくれると説明書に書いてあっても、わたしは一度だって完成させることができなかった。いつもどこかで間違うのだ。あんなに注意深く組み立てていったのに。

舌打ちがでた。しくじったと思っている。

わたしの自転車はいつもより速く走っていた。私の腿が自動的にペダルをこいでいる。わたしはまるで機械になったようで、なにも聞こえず、たぶん、なにも見ていなかった。

今夜、児童公園にいくのは危険だった。天鵞絨とでくわすかもしれないからだ。天鵞絨は火照(ほて)った心を鎮めるために公園にくるかもしれない。「かれ」をしのんで、公園にくるかもしれない。天鵞絨は、今夜はきっと眠れない。夜があけるまで、何度、寝返りをうつだろう。枕(まくら)を何度、返すだろう。そうして、こっそり家をでて、公園にいくのだ。かのじょはそこで長いこと立ちつくし、睡眠不足にもかかわらず、さえざえとしたまなざしで空が白んでいくのを見つめるにちがいない。ため息とともに。なぜなら。

なぜなら、恋に落ちたからだ。

わたしはぎゅっと目を閉じた。曲がり角で転倒し、左の手首をすりむいた。左の頬も痛かった。手をあてると、なまあたたかなものに触れた。血がでているようだった。溶けかけた雪が、夜の冷気でざらめ状に固くなっていた。

自転車を押しながら歩いた。歩きながら、こう、思ってみる。

天鵞絨は、嘘をついているんじゃないか。

嘘をつく、という自覚はないかもしれないが、もうすぐこのまちを離れる、わたしと離れるさみしさが、天鵞絨にまぼろしを見せてしまったのではないか。あるいは、わたしを妬(や)かせたかったのかもしれない。そんな心理なら、よくわかる。

わたしはこの考えを気に入った。なんだ、そうか、と、なけなしの余裕を滲ませ、呟いてみる。

 

公園についた。

街灯の下のベンチに座っているひとがいる。

(写真:iStock.com/allstoria)

目をつぶった。苛立(いらだ)った不良のように舌を鳴らして、かぶりを振った。それじゃあ、だめなのだ。そこに人影があってはいけないのだ。

しかし、「影」は立ち上がり、こちらにゆっくりと近づいてくる。わたしに向かって歩いてくる。しかも、あきらかに親しげな足取りだ。

「本城さんじゃない?」

声までかけてきた。もう、ほんとうにだめだ。

「本城さんだよね。賀集さんに聞いたんだ。あれ?」

怪我(けが)してるの?

「転んだんです、そこで。そこの曲がり角を曲がりきれず、ちょっと派手に」

唇を噛(か)み締めて、唇が切れていたことを知った。血の味がして、これはわたしの味なのだと思った。

「桐山さん、ですよね」

わたしは「影」にこういった。

「さっき、れいこから電話をもらいました」

「早いね、情報」

「影」は笑って、大丈夫なの、傷、と、わたしの顔をのぞきこんでくる。「影」は背が高く、ほっそりとしているが華奢ではなく、近づかれても厭な感じはしなかった。

認めたくなかったが、わたしと「影」は同種だった。わたしが天鵞絨に出会ってしまったように、「影」もまた、天鵞絨に出会ってしまったのだろう。

犬が、わたしの足によじのぼろうとした。豆柴だ。鼻を鳴らしている。タロウ? と呟くと、「影」が、そう、タロウと答える。

「実は待っていたんですよ、ぼく。本城さんを」

「影」はダウンジャケットのポケットから手を抜いた。後ろで組み、謁見をたまわるように腰をかがめる。

「親友にご挨拶(あいさつ)しようと思いまして」

「ご挨拶?」

「というか、お許し?」

「影」は短く切った髪に長い指を入れ、頭皮を掻いた。

不潔な印象はなかった。頭から手を離して、笑いかけてくる。目尻(めじり)に笑い皺(じわ)があらわれて、「影」は、まさしく「かれ」だった。

「えりは、あたしのことをなんでもわかってくれる、って賀集さんがいってた。えりは、そこにいるだけでいいの。それだけで、あたしは安心するの、ってね」

わたしは、わたしの靴を見た。天鵞絨とお揃いのスニーカー。泣いてはいけない。まぶたに力を入れて、目を張った。でも、涙が落ちた。

これで充分だと思っている。天鵞絨のそのことばだけで、わたしは報われる。それはありがたいことなのだと、両方のてのひらを擦り合わせたい気持ちは、降参とほぼ同じだ。

「賀集さんとは会ったばかりだけど、ぼくもできれば、本城さんのような存在になりたいと思っている」

いわなくてもいいことを「かれ」はいった。

天鵞絨にいうよりも先にわたしにいってくれたことが、小さく嬉(うれ)しい。

わたしは天鵞絨の保護者になったようだった。そう、「かれ」が思わせてくれた。ほんの少し惨めだったが、「かれ」がわたしを天鵞絨の大切な存在として尊重しようとしてくれている、その気持ちが伝わってきた。

「大丈夫ですよ」

そういうのが精一杯だった。

(写真:iStock.com/somchaij)

涙声になったが、「かれ」ならわかってくれると思った。

「かれ」は、「かれ」以上に「かれ」だった。

 

わたしと「かれ」は、連れ立って天鵞絨の家まで歩いた。

わたしは厳粛な事実をあきらかにするように、天鵞絨の部屋を指差した。わたしは、わたしの寛大さに驚いた。あなたよりわたしのほうが天鵞絨についてよく知っているのだといいたかったのかもしれない。

よし、と、「かれ」がいった。犬が、わん、と吠(ほ)えた。

「まず、明日、電話してみる」

送っていくとの申し出を受けたが、断った。わたしはひとりで帰りたかった。別れぎわに、なぜか握手をした。「かれ」のてのひらは大きく、乾いていた。

天鵞絨は、「かれ」に電話番号を教えていた。そして、そのことをわたしにいわなかった。

自転車を止めた。片足を地べたにおいて振り返ると、「かれ」が天鵞絨の部屋を見上げている。わたしは首をかしげて、少し笑った。ゆっくりと自転車をこぎ始める。わたしは、もっとたくさん笑ったほうがいいのかもしれなかった。でもできなかった。胸のなかに夜気が入って、そこがとても冷たかったから。

朝倉かすみ『ほかに誰がいる』

ほかに誰がいる? わたしの心をこんなにも強くしめつける存在が……。憧れの“あのひと”への想いを貫くあまり、人生を少しずつ狂わせていく16歳のえり。淡い恋心が暴走する衝撃の恋愛サスペンス。

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ほかに誰がいる

女友達への愛が暴走し狂気に変わる……衝撃のサスペンス

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朝倉かすみ

北海道生まれ。北海道武蔵女子短期大学卒業。二〇〇三年「コマドリさんのこと」で第三七回北海道新聞文学賞、〇四年「肝、焼ける」で第七二回小説現代新人賞を受賞。著書に、『田村はまだか』(第三〇回吉川英治文学新人賞、光文社)、『満潮』(光文社)、『てらさふ』(文藝春秋)、『植物たち』(徳間書店)、『平場の月』(第三二回山本周五郎賞、光文社)などがある。

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