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ほかに誰がいる

2019.07.24 公開 ポスト

#9 おまじない…破滅へ向かう少女の恋朝倉かすみ

ほかに誰がいる? わたしの心をこんなにも強くしめつける存在が。憧れのひと、玲子への想いを貫くあまり、人生を少しずつ狂わせていく16歳のえり。玲子――こっそりつけた愛称は天鵞絨(びろうど)――への恋心が暴走する衝撃の物語を、冒頭から抜粋してお届けします。ヤミツキ必至!大注目作家の話題作。
 

*   *   *

9

わたしはとても忙しかった。

学校から帰ると、まずノートに「あのひと」と百回書き、天鵞絨と口をきくことすらできなかったころの気持ちにもどってみる。

一回でも気を抜いてはいけない。天鵞絨に近づきたかったあのときのわたしになって、真心をこめて、あのひと、と、丁寧に書く。

それから、天鵞絨と初めてことばをかわしたときの気持ちになって、天鵞絨、と、百回。

これが終わると、制服を脱ぐ。その日、天鵞絨がわたしに触れた部分をコットンでポンポンと叩(たた)く。天鵞絨の感触をしみこませたら、まるいガラスのうつわに入れる。これは刑事ドラマなどで見かける、鑑識が犯人の指紋を検出するために、耳かきのふわふわしたところに似た道具で壁や電話を叩いているのをヒントにした。

おやつをたべ、FMを聴いて、ファクスを送る。「楽園」というわたしのラジオネームは、その時間帯のリスナーにはわりと有名だ。

「こんにちは。また書いちゃいました。楽園です。さて、きょうのわたしは、大好きなあのひとからお昼にパンをひと口もらって、まるで小鳥にでもなったかのよう。外は吹雪(ふぶき)だけど、気分はまさにパラダイスって感じです」

それから、タロットで、わたしたちの将来を占う。

結果がかんばしくないときは、限界までストーブに顔を近づけ、三十秒、罰を受ける。

最悪の結果がでたら、息止めの刑だ。呼吸を止め、横たわり、しばらくじっとする。動いてはいけない。考えごとをしてもいけない。これで一度死んだことになるので、タロットの悪い結果はわたしたちに影響しない。

夕食をとって、テレビを少し観(み)てから、勉強する。

天鵞絨の志望している大学は、いまのわたしの成績ではちょっときびしいので、真剣だ。

でも、つい、キャンパスというところを歩いているわたしたちのすがたを想像してしまう。消しゴムに「合」の字を書いてころがして、止まった表面にそれがでたら合格、などとやったりする。

お風呂に入る。お風呂では、すべて左手で用をすますことにしているから、時間がかかる。

垢すりは、毎日する。

毎日、垢がでる。きのう、あんなにこすったのに、きょうになったら、新しい垢がでる。わたしの垢は、文字を消さない消しゴムのかすのように白い。でも、垢は垢だ。よごれだ。わたしは毎日、その日溜ったよごれを落とす。そうしなければ、天鵞絨に合わせる顔がないと思う。垢すりタオルでからだをこすると、たまに血がでる。その血はきっぱりと赤く、月経血より清潔に感じる。

お風呂からあがると、家族はみんな眠っている。わたしはそこで、家をでる。

(写真:iStock.com/AlexLinch)

洗い立ての髪をなびかせ、自転車のスピードを上げていく。曲がり角では自転車もろとも斜めになるが、それでも速度を落とさない。

このスピードは、わたしが持っているスピードだった。落とすことはできない。ブレーキをかけることもできない。止まることなどむろんできるはずがなく、だから、信号は無視するしかない。

わたしの腿は、わたしのものではないように、もっと強くもっと速くと運動する。わたしの踵(かかと)はだんだんペダルを意識しなくなる。視界のすみで家並みが風圧とともに後方に飛んでいく。引き締まった夜のにおいが、鼻の奥をつうんとさせる。空にのぼっていくような感覚がやってきて、気を失いそうになる。

公園では、「かれ」をさがす。そのころには、わたしの髪は凍っている。

街灯に照らされたベンチには、誰もいない。わたしは本気でがっかりする。うなだれて、天鵞絨の家まで歩く。

(写真:iStock.com/Andrew_Bu)

歩数を数えて、切りのいい数字なら、いま、天鵞絨もわたしのことを考えてくれている。ただし、その歩数に手心を加えてはならない。

向かいの家の灯油タンクにもたれて、天鵞絨の部屋を見上げる。深呼吸し、感謝する。天鵞絨のおかげで、わたしはわたしになれるのだ。

それは、わたしと天鵞絨が「わたしたち」になるのと同じことで、その日は冬のあとに春がくるようにごくあたり前に、しかし、ある日突然やってくると信じることができた。

わたしたちは、ちゃくちゃくと、「わたしたち」になろうとしている。その最中!

家に帰るときは安全運転だ。凍りついた髪がかたくなり、頬が強張(こわば)っても、わたしは急がない。そればかりか、ミュージカルスタアのように、天鵞絨をしのんで甘ったるいラブソングのひとつも口ずさみたいくらいだ。

でも、歌わない。いまはまだ、その時ではない。

部屋にもどると、「かれ」専用のノートをひらく。そこで、「かれ」はさっき公園にいたことになる。きょうの「かれ」はくしゃみをしていた。風邪(かぜ)でもひいたのだろうか。明日、天鵞絨に報告しなければ。

眠りにつく前には、神さまにお祈りする。

わたしと天鵞絨が、もっと「わたしたち」になるために、わたしにできることはなんですか。どうか夢で教えてください。

神さまは教えてくださる。

たとえば、明日は一日、お醤油(しょうゆ)などの調味料をたべものにかけないように、とか。

おやすみなさい、と、目を閉じると、夜が見えてくるようだ。まぶたをおろすだけで、夜ははてしなくひろがるのだった。わたしのからだが持ち上がり、浮遊を始める。

わたしは、どこまでいけるのだろう。

 

 

朝倉かすみ『ほかに誰がいる』

ほかに誰がいる? わたしの心をこんなにも強くしめつける存在が……。憧れの“あのひと”への想いを貫くあまり、人生を少しずつ狂わせていく16歳のえり。淡い恋心が暴走する衝撃の恋愛サスペンス。

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ほかに誰がいる

女友達への愛が暴走し狂気に変わる……衝撃のサスペンス

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朝倉かすみ

北海道生まれ。北海道武蔵女子短期大学卒業。二〇〇三年「コマドリさんのこと」で第三七回北海道新聞文学賞、〇四年「肝、焼ける」で第七二回小説現代新人賞を受賞。著書に、『田村はまだか』(第三〇回吉川英治文学新人賞、光文社)、『満潮』(光文社)、『てらさふ』(文藝春秋)、『植物たち』(徳間書店)、『平場の月』(第三二回山本周五郎賞、光文社)などがある。

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