
創部から今年で25年。聖愛高校野球部は、「ドラマの多すぎるチーム」だ。口惜しさ、無力感、絶望感、奮起、歓喜、希望……すべてを持ったこのチームの監督・原田一範さんは、ある日、キングコングの西野亮廣さんを講演会に呼ぶ。西野さんは、監督に会ったその場で言った。
「本を出したほうがいい」。
そうして生まれた書籍『1年で潰れると言われた野球部が北国のビニールハウスから甲子園に行った話』より、
この誕生秘話が描かれた「あとがき」を特別公開!

* * *
あとがき─「星を見に行く物語」とともに
最後に、どうしてもこの話をしておかなければ、本書を終えることはできません。
2020年12月。『映画 えんとつ町のプペル』が上映されました。
本書の中でも触れているように、私は西野亮廣さんの活動や言葉に影響を受けてきました。彼の発信をこまめにチェックして、実際にそのビジネス感覚や、マーケティングの考え方、取り組み方などを、チームづくりに大きく役立てています。
そんなわけですから、西野さんが作った『えんとつ町のプペル』という絵本のことももちろん知っていたので、映画はすぐに観に行きました。
主人公であるルビッチの言葉が、心に刺さりました。煙に覆われた町で育ったために「星」の存在を信じていない人たちに、星を見せよう、そのために煙を消そうと、空へ旅立つときのセリフです。
「(星を)“見に行く”んじゃない。町の“みんなに見せる”んだ!」
「誰か見たのかよ。誰も見てないだろう。だったらまだわかんないじゃないか!」
そして歌の歌詞にある言葉も。
「夢を持てば笑われて 声を上げれば叩かれる 見上げることができない町でボクはどうだ?」
私が聖愛高校野球部の監督になった2001年当時、青森県は、光星・山田の2強時代でした。
それでも、「聖愛は甲子園に行く。それも、青森県の子たちだけで。そして青森県を勇気づける」と私は心に決めました。
野球部を強化するつもりもない高校の、無名チームの無名監督がそんなこと言って、誰が本気にするでしょう。みんな笑いました。そして内部からも叩かれました。
そんな中でも、ついに甲子園に行くことができました。2013年の夏、青森県民に「星」を見せることができたのです。
そして、それからも聖愛の挑戦は続きました。
野球人口減が急激に進んでいるため、冬期間は毎週土日に野球教室を行ったり。
指示待ち人間から脱却し、自立型人間になるために、ノーサイン野球に取り組んだり。
そのほか、さまざまな挑戦は、本書で書いた通りです。
しかし、2013年に甲子園に初出場してから7年の間、聖愛は甲子園から遠ざかっていました。
周囲からは、お約束の批判の声が出ます。
「聖愛は一度甲子園に行ったから、もう満足なんだろう」
「聖愛は勝つことを放棄したぞ」
「一発屋の聖愛」
「ついにネタ作りに走ったか」
当然、耳も心も痛かった。そして悔しかった。
『映画 えんとつ町のプペル』が上映されたのは、そんな痛みの中にいた頃でした。
映画を観て衝撃を受けました。あまりにも、プペルと原田。プペルと聖愛がダブって見えたからです。
私はこの映画を、何度も観に行きました。
家族でも観に行って、みんなで号泣しました。
どんなときも家族は味方でいてくれたので、家族も、映画に共感したのだと思いました。
2021年1月4日。
この年最初の、野球部の活動の日。 私はサプライズとして、部員全員を、この映画に連れて行きました。
初出場から7年の間、甲子園から遠ざかっていた聖愛。
私たちは大きなプレッシャーの中にいました。そのプレッシャーと戦い続けている聖愛野球部。他校がしないような新しいチャレンジに挑み、その姿を笑われ、批判もされていた聖愛野球部。
そんな野球部でしたから、映画の中の一言一言に、歌詞の一つ一つに、そしてプペルの生き様に、私たちはみんな、勇気をもらいました。
みんなで映画を観た約半年後―。
聖愛はついに、8年ぶりの甲子園出場を決めることになったのです。
コロナ禍というプレッシャーもありました。圧倒的に聖愛は不利でした。
その中で、決めた!
聖愛高校野球部ができて25年。私はこの四半世紀を、文字通り“野球部と一心同体で”生きてきました。 短くも長くも感じる歴史の中で、特別な記憶として残っているのが、この『映画 えんとつ町のプペル』との出合いなのです。
野球とは直接関係ない物語が、その中の多くの言葉が、こんなにも背中を押してくれることになるとは、想像もしていませんでした。まさか、苦しみに喘(あえ)いでいた私たちを甲子園まで導いてくれる力になってくれるとは。
実は、この物語の作り手である西野亮廣さんも、世の中から叩かれ、笑われ、批判されてきた人です。それを知り、私も、聖愛高校野球部も、一人じゃないと思えました。そして、打たれて弱ってる場合じゃないと奮起できたのです。
日常に追われていると、目の前の物事をこなすことに精一杯になってしまい、一番近くにある「目標」だけで頭の中がいっぱいになってしまうものです。しかし私には、もっと大きな「目的」、いわゆる「みんなに見せたい星」があります。それを見失ってはいけない。
私は野球を心から愛しているし、高校野球の可能性も感じています。野球を通して、理想的な人財育成ができると信じています。そうは言っても、私たちの挑戦は、誰からも受け入れられるものではないし、行く先に障害がたくさんあることも、イヤというほどわかっています。それでも、この歩みを止めるつもりはありません。
聖愛野球部は、1年の4分の1はグラウンドが雪に埋もれるほどの田舎にあります。室内練習場などの環境はなく、冬はビニールハウスでの練習を続けているチームです。
これは、ハンデなのでしょうか? 私はそうは思いません。実際、この環境だからこそ、考え方、やり方、あり方を生み出すことができました。
この環境では、強くなれないのでしょうか? 私はそうは思いません。他のチームにない痛みを知っている聖愛は、ますます強くなれるはずです。
私は、人としての本当の強さを、選手たちに伝えていきたい。本当の強さは、「一時的な高さ」じゃなく、「永続的な長さ」だということを。
だからこそ、これからもずっと、みんなに夢と勇気と希望を与えるためにチャレンジし続けていきます。
――そんな気持ちで、筆をおきたいと思います。
#ビニールハウスから甲子園
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1年で潰れると言われた野球部が北国のビニールハウスから甲子園に行った話

校長からは「野球に力を入れるつもりなら、あなたのような無名な人を監督に呼ばない」と言われ、ようやく集めた部員からは、「キャッチボールも、生まれて初めてです」と言われた。
それが、このチームの始まりだ……。
1年の3分の1は雪に閉ざされるため、近所の農家の協力でグラウンドにビニールハウスを建て、冬はその中で練習。
それでも、気持ちは「絶対甲子園に行く!」
しかし、こんなチームでどうやって?
学歴も人脈もナシ! 無名の監督の、思考と検証と挑戦の記録!
弘前学院聖愛高等学校野球部は、優れたスポーツマンシップを発揮した個人・団体を表彰する「日本スポーツマンシップ大賞2025」の「ヤングジェネレーション賞」を受賞している。