長野県の北部へ、一泊の旅をした。目的は、過去に何度か取材したことのある芸術家の追悼展である。
旅の相棒は二〇数年来の友、カメラマンのキク子だ。その芸術家の取材も、彼女の撮影だった。
ホテルは駅からバスで一五分ほど行った町はずれにある。
私たちは芸術鑑賞もそこそこに、夕方から気もそぞろだ。互いに久しぶりの旅行、しかも今回は仕事ではない。となれば、夜はゆっくり飲める。 私たちの好きな、現地の人たちに親しまれている気取らない居酒屋で楽しみたい。
用事を終えて部屋に戻ると、いそいそと飲み支度を始めた。飲み支度。そんな言葉があるかは知らないが、楽な格好に着替え、小さな袋に携帯電話と財布だけを入れて身軽になる。旅先の夜ごはんは、部屋に荷物を置くところから始まる。
手始めに、ホテルでもらったマップを見た。観光地ではないので、飲食店のマークはちらほら点在するだけだ。
しばらく歩いたところに、ぽつんと赤ちょうちんのイラストがあるが、ようすがわからないので、ホテルのフロントの人に聞くことにした。
「ここに行きたいのですが」
今思えば、ああーと、わずかな間(ま)があったような気がする。少し言葉を濁して「もう少し先に落ち着いた和食屋があるのですが、今日は定休日なんですよねえ」と教えてくれた。
ほかに選択肢もなさそうなので、せっかちで見切り発車部隊のわたしたちは「ありがとうございます。適当に歩いてみます」と、フロントの男性に礼をいい、ホテルをあとにした。こちらから聞いておいて失礼な話である。
静かな道路沿いをてくてく歩く。裏は小山で、遠くにほんのり街の明かりが見える。しばらくゆくと、民家と草地が続く道の向こうに、赤ちょうちんが見えた。
どちらからともなく急に早足になる。
たどりついたのは二軒長屋の古い木造の小さな建物で、隣はかつてはなにか商売をしていたようだが、引き戸は長らく開けられていない模様。
縄のれんも、傍らの赤ちょうちんも恐ろしく年季が入っている。心なしか、木の引き戸も幾分傾いて見える。
どうする?という視線を、一応キク子に送る私。
入るに決まってるじゃんと、目で答えるキク子。
そうだ。こういうとき、私たちは迷わない。たいがい、一か八かあやしいけれどなんだか気になる、という方の扉を開けてしまう。
重く滑りの悪い木の引き戸を開けると、客は三人なのに満席だった。
いや、よく見るとほかにも席はある。その上に新聞やらお盆やらなにかの箱やらが乗っていて座れない。
私たちがのれんをくぐるなり、客とカウンターの向こうの、主のようなおばあさんが一斉にこちらを見た。
「あ、いっぱいですね」と帰りかける。二人組のおじさんがニコニコ笑って「座れるよ、こっちこっち。今片付けるから」と、ものをどけて二席作ってくれた。
天井が低い3、4坪の店内は、全体に黒く煤けている。
焼きものは炭火のようだ。
L字型のカウンターがあり、長い方に男性が三人、窮屈そうに座っている。すぐ後ろは壁で、ビールケースや一升瓶で足の踏み場がない。
カウンターの上は、大きな昔ながらのアルミの灰皿や、おかみさんが野で摘んだらしい花がコップに刺してある。雑然としたなかでも花は飾るという心配りに目を引かれた。ただ小さなカウンターにコップの花が四つ。客より多い。
おじさん二人は瓶ビールを酌み交わしていた。
なんだかおもしろそうだ。それに、こんな煤だらけの店で焼かれる焼き鳥がまずいはずがない。
生ビールはないようなので、まずは瓶ビールで乾杯を。
突き出しがないのは歓迎なのだけれど、品書きもない。きょろきょろと見回すと、テレビの横に「やきとり」の札がかかっていた。続いて唐揚げ、あとはレモンハイ、日本酒と飲み物の札がいくつか。
ここは鶏以外はなにを食べさせてくれるのだろう。
お腹が空いていた。
「唐揚げ下さい」
おばあさんと客は顔を見合わせる。なにか間違ったことを言っただろうか。
カウンターの向こうで丸椅子に座ったまま、「今日はないんだよねえ。焼き鳥でいい? 時間かかるけど」
どうやら腹を満たすものはなさそうだと、早々に悟る。少ししょんぼりしていると、「お腹空いてんの? これどうぞ」とビールのおじさんが、そのへんに手を伸ばして煎餅の袋を取り、中身を分けてくれた。
「わあ、いいんですか。ありがとうございます。そんな、お店にあるの勝手に取っていいんですか」
「これ、俺が買ってきたやつ」
どっと皆が笑う。
カウンターの向こうは、白人の青年だった。こんな町外れに、よくもひとりで入ったものだと、訪日客の行動力に舌を巻く。地元民でもきっと、なかなか勇気のいる店構えである。
やがて出てきた焼鳥は塩加減がちょうどよく、炭火の焦げ目が香ばしくて、きちんとおいしい。食いしん坊の我々はそれと煎餅で小腹を満たしつつビールやレモンサワーを飲んだ。おばあさんは80代だそうだが、そこまでは見えなかった。
「昔は刺身やおでんも出してたけど、今はこの年だから。スナックみたいになっちゃった」
「唐揚げは毎日あるわけじゃないんですね」
「あれもほら、油いっぱい使うから。大変なんだよ」
隣の常連客に聞いた。
「唐揚げ、きっとおいしいんでしょうねえ」
「俺たちも食べたことない。出張できのう初めてこの店来たから」
「えっ。常連さんじゃないんですか」
焼き鳥が喉につかえるほど驚いた。
おばあさんが茶々を入れる。
「あれ、そうだったっけ。もっと前から通ってなかった?」
「てか、この街に来てまだ二日目だから。俺ら埼玉だよ」
いかにも地元ならではの店に、五人全員が外から来た客だった。金髪青年など海の向こうからだ。
いくら街に店が少ないとはいえ、仕事後に同じ店に連続とはよほど気に入ったのだろう。
たしかに、おしゃべり好きのおばあさんは明るくて気さくで、居心地がいい。よくよくきけば、私たちの知人の芸術家(前述)も、かつては常連だったという。
「しょっちゅう違う女の人と来てさ、モテたのよねあの人。そのくせ振られたと言ってはおいおいこの店で泣いて、いつまでも帰りゃしないんだからまいっちゃうわよ」
かしこまった追悼展では見られない、いかにも彼らしいエピソードを聞いて、笑いながら胸がキュッとなった。
「こっちが本当の追悼だね」
キク子がぽつり、つぶやく。
と、キク子が立ち上がった。「トイレはどこですか」
おばあさんが答える前に、ビールおじさんが教えてくれた。
「裏だよ」
「裏庭ですか」
「俺の後ろ。これ」
見ると、ビールケースや段ボール箱に挟まれるようにして、工事現場やフェス会場にある簡易トイレの扉があった。店の中に、これは斬新である。おばあさんが言う。
「ちょっと狭くてごめんなさいね」
おじさん二人組が顔を見合わせ、くすくす笑っている。「行けるかな。けっこう驚くよ」
なんのことか。いつなんどきも迷うより挑む、危なっかしくても面白そうな方を選ぶキク子が、受けて立とうじゃないのといった風情で、ドアに向かった。
しばらくして戻ったキク子が耳元で囁く。
「あたしは大丈夫だったけど、あんたはむりだと思う」
「なんでよ」
「ちょっとここではいいにくい。まあ一度見てみな」
珍しく、もごもご言うので、私はむしろ「まかしとけ」と胸を張って向かった。
現場の詳筆は避けるが、掃除に手が回っていないらしく、なかなかの地獄絵図だった。東南アジアの山間部の無料トイレなど、いろいろな光景には慣れているつもりだったものの、かわいいものである。勇気がなく一歩も入れなかった。
私は引き返し、キク子に囁いた。
「あかん。むり」
しかし体のほうは差し迫った状態になっている。
様子を見守っていたおばあさんが言った。
「裏に自宅があるから。トイレ貸そうか?」
店の裏に見えた、こぎれいな建売住宅は彼女の家だったか。
しかしここで、おばあさんを傷つけてはいけない。おじさんも青年もキク子も使ったではないか。私だけお高くとまっていると思われるのも違う。慎重に言葉を紡いだ。
「すみません。じつは股関節を壊していまして、和式が難しくて。お言葉に甘えます」
かくして、ことなきをえた。
ご自宅のトイレは、手作りタオルドールが飾られた、ごくごく普通のかわいらしい個室だった。
それからも焼き鳥と煎餅と酒を楽しみ、なんとなくお腹も膨れ、私たちは別れを告げて店を出た。
トイレはあれだったけれども、ひと風呂浴びたあとのように心はほぐれた。
「あの年でひとりでやってるんだもん。トイレの掃除まで手が回らないよ」
「うん。簡易トイレは一段上がらなきゃだしね。掃除大変だよね」
ホテルへの帰途、おばあさんをふたりして擁護した。それにしてもあれは、と喉まで出かける言葉を引っ込めながら。
たったひとりで店を守ってきたおばあさんへの、あふれるほどの敬意に嘘はない。
フロントの人に「赤ちょうちんに行きました」と報告したら目を丸くされた。
あらためて連チャンで通った埼玉ふたり組はいろんな意味で偉いという話になって、私たちは眠りについた。
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金沢で、ウイスキーをもう一度

お酒をほんとうに美味しいと思ったのは、37歳になってからだった――。子育てに奔走した時代から、少しずつ自分の時間を使えるようになって目覚めた「お酒」のこと。時間を惜しみながら飲み始めた地元・下北沢での日々、東京のさまざまな場所、そして金沢や沖縄、秋田、パリやアイルランドなど旅先での忘れられない1杯まで。珠玉の酒エッセイ。










