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金沢で、ウイスキーをもう一度

2026.08.15 公開 ポスト

4人までの夜大平一枝

 ずいぶん前、大病から生還した知人がさらっと言った。
「私、もう5人以上で飲まないことにしたんです」
 きっぱりと晴れやかな表情である。

 

 飲み会の人数について、あまり考えたことがなかった私は聞き返した。
 理由は次のとおりだ。

 4人までであれば、みなでひとつの話題で盛り上がれるが、5人になると、ふたりと3人に分かれがちで、全員と話せない。斜め向かいのあの人の近況がよくわからないままお開きになっちゃったな、と不完全燃焼が残ることが少なからずある。
 さらに7、8人で大テーブルを囲み、全員で話そうとしたら、自己紹介や近況報告で終わってしまう。久しぶりに会う人だと、気になった近況のその先を聞きたいところが、時間切れになる。
 もっと大きな集まりやパーティになると、人に疲れる。おまけにどんなにたくさんの人と会っても、じっくり話せるのは近くにいたひとりやふたりだ。

 彼女は会心したように続けた。
 病気を経て、人生の残り時間を意識するようになった。限りある晩餐で出会えた人を、深く知りたい。深く語り合いたい。もうそれほど気の進まぬ集まりに無理をして行きたくない。浅く、広く、友達が多いのが嬉しいと思える時期は、過ぎたようです。

 日頃から、まずいものに一食分の胃袋を使うのは悔しいと思いながら生きてはいるが、晩餐に自分なりの定数を設けるとは不意をつかれるような発想である。
 同年齢ということもあり、「限りある晩餐」という言葉がとりわけ響いた。
 また、初対面でもせっかく酒を共にするという縁を得たなら、その時間を使って相手のことをより深く知り、わかり合いたいという気持ちにも共感する。

 以来、私もなんとなく知人のマイルールを真似するようになった。飲みの場は基本的に4人まで。とはいえ近況報告の必要がないほど親しい人たちや、ともに労をねぎらい合う仕事の打ち上げはそれ以上でもよい。

 その後しばらくして、ひと回り以上若い編集者から「昔の編集部の仲間たちと集まりませんか」とメールをもらった。
 私は正直に伝えた。
「ごめんね。最近は大勢で飲まないようにしてるんだ」
 聞きようによってはえらそうで、わがままな返事である。面倒くさい奴にみられないか気を揉みながら、理由を書き添えた。
 すぐ返信が来た。
「僕も同じです! 大勢に疲れちゃう感じや、飲み会後の“結局なに話したんだろ”みたいな徒労感、よくわかります」
 酒席の人数についての志向は、どうやら年齡や大病には関係ないらしい。

 彼とは「じゃあもういっそサシで」という話になった。もちろん色めいた気配は微塵もない。「楽に飲みたいからサシ飲み」という価値観が同じ、というところがなんとも明快で気が楽だった。──幸か不幸か、この年齢になると異性とふたり飲んだところで、誰も気にしない。どこへ行っても仕事現場は年下ばかりで、気がつけば親子か姉弟のような具合。ともすれば、人生相談の聞き手となり訳知り顔で下手なアドバイスを口にしているありさまなんである。

 三軒茶屋のカウンターの居酒屋では、彼が編集部にいた頃に幾度か開かれた宴席では話題にのぼることのなかった愛読書や最近見た映画の話をした。

 暮らしのなかで感じるジェンダーへの違和感や、育児における男女平等の現実にも話が及び、これまでうかがい知ることのなかった彼の内側が少しわかった気がした。
 三〇代の男性が日々どんなことを考え、なにを感じているのか。ひとりで仕事をしている私は、取材以外で腰を据えて話を聞くことなどほとんどない。

 たくさん飲んで食べては語り合い、私は楽しかったが、さて彼はどうだったか。説教くさくはなかったか。あるいは調子に乗ってひとり語りや自慢をしてはいまいか。翌朝気になったが、考えても詮無いこと。私がゆたかな時間を過ごせたのだからよしと割り切り、仕事にとりかかると、メールが来た。

<大平さん、昨日言っていた吉本ばななさんの近刊の最高傑作、なんでしたっけ。Amazonで買おうと思って>

 そんな話したっけかな。記憶を辿れど酔っ払いのそれはまことに容量が小さい。
 ばななさんの作品については、おそらく何かの拍子にひと言つぶやいただけだ。彼の感受性のアンテナにはそれが引っかかった。私は彼の、育児の場面で感じる男性差別の話が深く残った。
 かように、酒が入るとそれぞれの感受性は自分の興味のある部分に強く反応し、そうでないことがらは残酷なほどきれいさっぱり忘れる。
 酒がない場では、同じ話をしてももっときれいに平たく、まんべんなく覚えているような気がする。

 お誘いをいただくと、ちょっと勇気を出して酒席の人数についての好みを伝えるようになってから、自分の心の風通しが良くなった。どこへ行っても、誰と飲んでも楽しくて快適だ。
 元来おしゃべりな私は、つい話の主導権を握ろうとしたり、求められてもいないのに「笑わせなきゃ」「楽しいと思ってもらわなきゃ」と勝手に話題を牽引し、後悔することが多かったが、一切なくなった。4人以下、ましてやサシだと、聞く、話すの分量がイーブンになる。
 そういった細々した気遣いから解放され、考えながらしゃべる必要がない人数はたしかに居心地がいいなあと、じわじわ感じている。

 せっかく誘ってくださった人への心苦しさはあるが、男性も女性も「私も同感です。ではまた今度少人数で」と気遣いある返事で、その後が付き合いづらくなることは、いまのところない。
 年下に気を遣わせているのだろうか。陰で、もうあんな人誘わないとさじを投げられているのだろうか。否。「同感です」という言葉は、あながち社交辞令とも思えない。
 なぜなら時々こう言われるからだ。「大平さんのようにきっぱり言ってみたいのですが、会社員だとなかなかそうもいかなくて……」。

 私も会社員をしていたのでわかる。そして自分の20~30代は大勢で集まるのが大好きだった。なんなら幹事も買って出ていた。

 先日、定年を迎えた友人の還暦祝いをした。30人余が集まった。言い出しっぺの幹事は私だ。何十年ぶりの役まわりだったが、そういったお祝いごとは、結婚披露宴のように祭りとして楽しみきればいいと気づいた。「◯◯の会」など共通のテーマで集まるものや、仕事の打ち上げもしかり。
 私の場合、大人数は、なんとなく懐かしいから集まろう、忘年会でもやろう、といったふわっとしたものとは相性がよくないもよう。

 酒は、自分にとって健やかな適量がある。人数についても、たぶん同じなのだ。

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金沢で、ウイスキーをもう一度

お酒をほんとうに美味しいと思ったのは、37歳になってからだった――。子育てに奔走した時代から、少しずつ自分の時間を使えるようになって目覚めた「お酒」のこと。時間を惜しみながら飲み始めた地元・下北沢での日々、東京のさまざまな場所、そして金沢や沖縄、秋田、パリやアイルランドなど旅先での忘れられない1杯まで。珠玉の酒エッセイ。

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大平一枝

文筆家。長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に「東京の台所」シリーズや『人生フルーツサンド』『こんなふうに、暮らしと人を書いてきた』『そこに定食屋があるかぎり』など。「東京の台所2」(朝日新聞デジタル&w)、「自分の味の見つけかた」(ウェブ平凡)、「遠回りの読書」(サンデー毎日)など各種媒体での連載多数。

HP:https://kurashi-no-gara.com/

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