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金沢で、ウイスキーをもう一度

2026.08.29 公開 ポスト

相席つれづれ大平一枝

 二次会かなにかで、6、7人で店を探すもどこも満席。ようやく入れた居酒屋はカウンター席しか空いていないということがある。
 ある知人が同じ場面に遭遇し、たまたまいちばん端に座った年長の男性がぽつんとなってしまった。隣の人は、その男性に背を向けて話し込んでいて、「配慮がないなと残念に思った」と語っていた。

 貸切パーティや、打ち上げや、オープニングパーティなどでも、似たことはままある。
 私が端に座ってそうなり、居心地が悪かったこともあるし、逆に話に夢中になって、あとから端の人に気づき、あわてて声をかけたことも。とってつけたような、どこか同情めいた感情からそうしたように見えてしまい、気まずかった。
 前述の知人は、こう語っていた。
「大勢で横並びで飲むときは端っこの人も参加できるように、椅子を邪魔じゃない程度に後ろにずらして、カウンターとの空間をあけて座るのがいいですよね」

 

 些細なことだが、それができる人との酒は当然楽しくて気持ちがいい。アルコールが入ってもなお細やかな配慮ができる人は、だいたいなにに対してもゆきとどいているものだ。

 ところで、私はバーにひとりで入るとき、ぽつんとしているのが嫌なので、ぽつんとしているように見える隣の人につい話しかけてしまう悪い癖がある。とくに初来店らしき方はきっと緊張しているに違いない。大丈夫です、ここは楽しいところですよと教えてあげようと勝手に張り切る。今思えば大きなお世話で、店主にとっては目障りに違いないが、当時は気づかなかった。

 それが悪い癖だと知ったのは、バーに通いだして2、3年経た頃だ。いつもきちんとタイを締め、白いシャツ姿の店主が、リズムよくシェイカーを振っている。オーセンティックなバーだった。

「なに飲んでらっしゃるんですか」

 だいたいそんなふうにして、ぽつん客に声をかける。
 何度か続いたとき、たまりかねたように馴染みの店主Sさんに諌められた。

「一枝さん。◯◯さんとは何度も会ってお話されていらっしゃいますよ。この間なんて閉店までおふたりでじっくりと」

 すーっと背中の汗が引いた。
 バーに通い出した頃は、大勢で飲んだあと──まだ酒席の定数を設けていなかった──2軒目か3軒目に行くことが多かった。ふだんから記憶を司る私の海馬はあてにならないのに、酒が入るとすます機能しなくなる。
 よくよく目を凝らすと、たしかに知っている人で名乗り合ってもいた。
 苦笑いをしながら相手をしてくださったが、さぞ気分を害されたに違いない。

 しばらくして、その方はニューヨークに転勤されたとSさんから聞いた。

「そうか、もう日本にいらっしゃらないんですね。私、全然謝れていない」

 客の切れ目で、私ひとりだった。
 Sさんはさりげなく、でも一度きちんと伝えなければというように、背筋を伸ばした。

「大平さんがいらっしゃるとみんな楽しいですが、急に声をかけられてびっくりしてしまう方もいると思うんです」

 そういう人が実際にいたに違いない。彼はそれを把握しつつも、私に恥をかかせないよう、声をかけるタイミングを待っていたのだろう。そう思うと、恥ずかしさに身の置きどころがない。

 酒場には酒場の、TPOに即した流儀がある。
 別の日、その店で興味深い光景を見た。
 若い女性連れの恰幅のいい中年男性に対して、Sさんがあからさまによそよそしかった。
 私は初めて見る客だった。
 まるで常連のように親しげに話しかけるが、Sさんは「はい」「さあどうでしょう」とそっけなく、すぐあちらのカウンターに行ってしまう。
 こちらまでハラハラしながら、見るとはなしに様子をうかがう。どうやら周りの常連客も私と同じらしく、店内の空気にわずかな緊張感が混じる。

 きわめつけはお会計の場面だった。

「カードで」
「恐れ入りますが、当店はキャッシュでお願いしております」
「え、そうなの」

 連れの女性の前でいい顔をしていた男性客の顔色がさっと変わった。Sさんは、表情を崩さない。

「申し訳ございません。店を出てしばらく行った右手にコンビニがございます。そこでおろしていただくのがよろしいかと」
「うーん。はい、わかった」

 客もプライドがあるのだろう、取り乱すような大人げないことはせず、数分で戻ってきて会計を済ませ、ふたり連れは出ていった。

 いつもの店の落ち着いて穏やかな空気が流れ出す。古いジャズレコードが心地よいかすかな歪みをまとって鳴っている。こんな曲が流れていたのかと、そこで気づいた。
 私は話しかけた。

「Sさん。すごい冷たかったね」

 ふふっと横並びのカウンターのあちこちから、笑い声が漏れる。

「そうでしたか」

 とぼける彼に、「俺、あんなSさん初めて見た」と別の客が冷やかす。
 例の客は見るからに裕福そうで、漏れてくる会話も景気が良かった。

「すごいお金持ちに見えたけどいいの? 有力な常連客になってくれそうな人を取り逃がしたかもよ?」

 彼は一転して真顔になり、熱を帯びた口調で応えた。

「いいんです。いつも来てくださるお客様たちを守るために、あえて話のお相手をしなかったのです。それも僕の大事な仕事。お店を育てることにつながりますから。それに、」

 少しの沈黙のあと、口元がふっとゆるんだ。
 一瞬、毅然とした店主の顔から、年相応の無防備な30代男性の顔がのぞく。そして、聞こえるか聞こえないかくらいの声で漏らした。

「僕に話しかけてる内容がすべて自慢でした。僕を通して、お連れのお客様に訊かせたいのでしょう」

 あのジャズシンガーを知っているか。僕はこんなレコードを持っている。あの酒、今は高いんだよね。この間僕は樽で契約したけど。
 自慢めいた話が多いなとは思ったが、耳をそばだてていたわけではないので、全部とは気づかなかった。

 酒席で、誰と、どう話すか。または話さないか。
 ぽつんを楽しむ、語らいを楽しむ。
 どれも自由だが、その自由を上手に扱えるようになるのに、私はいくらか時間がかかった。
 酒場には、大人の器がそっと測られる目に見えないものさしがある。

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金沢で、ウイスキーをもう一度

お酒をほんとうに美味しいと思ったのは、37歳になってからだった――。子育てに奔走した時代から、少しずつ自分の時間を使えるようになって目覚めた「お酒」のこと。時間を惜しみながら飲み始めた地元・下北沢での日々、東京のさまざまな場所、そして金沢や沖縄、秋田、パリやアイルランドなど旅先での忘れられない1杯まで。珠玉の酒エッセイ。

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大平一枝

文筆家。長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に「東京の台所」シリーズや『人生フルーツサンド』『こんなふうに、暮らしと人を書いてきた』『そこに定食屋があるかぎり』など。「東京の台所2」(朝日新聞デジタル&w)、「自分の味の見つけかた」(ウェブ平凡)、「遠回りの読書」(サンデー毎日)など各種媒体での連載多数。

HP:https://kurashi-no-gara.com/

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