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金沢で、ウイスキーをもう一度

2026.06.13 公開 ポスト

沖縄、忘れ得ぬシークワーサワー大平一枝

 今思えば贅沢な話だが、一時期沖縄の取材が多かった。女性誌から海外取材がぱたりとなくなり、かわりに沖縄特集が増えた。飛行機ですぐ行ける距離にありながら、食も文化も人の営みも魅力に富み、誌面になるだけの厚みがあった。
 長旅の相棒となるカメラマンは、腕が良くて気の合う人物に限る。おのずとキク子が多くなった。

 

 何度か通ううちに、地元のコーディネーターM君と親しくなった。20代の感じの良い青年である。店や人物のキャスティングからロケバスの運転までフットワークが軽く、気さくだ。沖縄本島以外の離島にはまだ一度も行ったことがないという。東京の人が東京タワーに登ったことがないのと同じようなものだろうか。
 とにかく私とキク子は、オフタイムもM君とつるむようになり、そのうち仕事終わりの夕食について、「気取った店はもういいから、あなたが友達と休みに行くような地元の居酒屋にしてほしいと」と言いたい放題に。

 「いやいや、俺らは安い食堂みたいな店ばっかなんで、とても紹介するわけにはいきませんよ」と笑って相手にしない。
 彼がコーディネートする店は、いつもちょっとしゃれたダイニングや沖縄の伝統料理が食べられるきちんとした店ばかりだ。コーディネータとして当然で、女性誌編集者はみな喜んでいたと思う。
 それらの店の酒は、皆同じだった。オリオンビールや残波、瑞泉などの定番のほかは、シークワーサー割りやパイナップルなどの南国系カクテルがメニューブックに並ぶ。観光客向けの価格で、料理も海ぶどうが、素敵な琉球硝子の器にほんのちょこっと。ゴーヤチャンプルーは、家庭の惣菜というより一品料理のきれいな盛りつけで、量が少ない。どれも間違いなくおいしいが、浅草で観光客向けのそこそこ失敗のない店に通されたような、毎回違う店なのにどこも同じような印象を受けてしまった。

「もっと地元のおじさんが仕事帰りに寄るようなさ、島らっきょをどーんと皿に盛って出すようなお店はないの」
 キク子が言う。そういう店には、少々無骨でも、地元の人が愛するとびきりおいしい惣菜がありそうだ。私も調子に乗ってわがままを言う。
「そうそう、近所のおじさんたちが泡盛のボトルキープしているような、ねえ」

 M君は困ったような顔になった。
 「そりゃありますけど、本当に古くて汚くて、おばあがひとりでやっているような店ですよ? あるいは島らっきょの注文がきたら裏の畑に取りに行くようなとことか」
 私たちは目を輝かせて「そういうとこ!」と身を乗り出した。
「本当ですかぁ? 料理はなかなか出てこないし、時々忘れるし、大平さんたち、せっかちだからなぁ……」
 なかなか行きつけを教えようとしない。
「どれだけでも待つし、お店にもM君にも絶対文句言わないから」と説き伏せ、ようやく車で連れて行ってもらえた。彼は用事があるとのことでそそくさと帰った。去り際、最後の申し渡しをした。
「ああそれから、おばあは80過ぎてます。いや90かもしれない。俺もわからない。オーダーは大きな声で言ってあげてください」

 那覇の牧志という昔ながらの飲み屋街のはずれに、その店はあった。木造の簡素な小屋のような佇まいで、ビルに挟まれるようにして建っていた。
 木戸を引くと、小さな店内は灯りが暗く、たしかテーブルは四つほどだった。民芸調の、年季の入った四角い木の椅子。い草編みの座面には、擦り切れた紺地の座布団が乗っている。
 カウンターの向こうで、カウンターより小さそうな老女が「はいどうぞー」とつぶやいた。とくに愛想が良いわけでもない。
 
 しかし、なにもかもが使い込まれた風合いの、知らないと絶対に入れない、いかにも常連だけのこの店に、私たちはもちろんすっかり惹かれてしまった。
 入ったのは18時過ぎで、先客のおじさんふたり組にじろりと見られた。そこでもとくに会話が生まれるわけでもなく、しかも彼らは19時前には満足そうに、いかにもよく飲んで食べたという表情で出ていった。あとは私たちだけである。
 M君の言う通り、だしまき卵もフーチャンプルーもナーベラー(へちま)チャンプルーも浅漬けも島らっきょうも何もかもが旨かった。オリオンビールは瓶しかない。棚には泡盛の一升瓶が無造作に何本か並んでいた。

 サワー類はシークワーサー、レモン、さんぴんハイの三種だけ。だがシークワーサーは半分に切った若い緑色の実がいくつも沈んでいて、皮から爽やかな苦みが立ち上る。おしゃれな店で飲んだものより、酸っぱさや爽快な苦みが強い気がした。
 仕事終わりの開放感と、理想通りの店と、自分たちしかいない気楽さで、私たちはどんどんおかわりをした。おばあはやはり無表情だった。
 急ピッチで飲み、食べ、話に夢中になっていると、おばあがこちらに来て耳元で囁いた。

「おばあ、もう帰りたいんだけど?」

 振り向くと、他の卓には四角い椅子が逆さに乗っていた。私たち以外の卓の上の電気をパチパチと消していたのはなんとなく知っていたけれど、節約のためだと思っていた。
「ああああ、すみません! すぐ出ます。ごちそうさまでした」
 おばあは少し笑ったような、ホッとしたような顔をしたと思う。とにかく私たちはあわてて皿を重ね、帰り支度をした。

 たらふく食べて飲んで、ひとり二〇〇〇円いかず、仰天したことを覚えている。
 店を出たら牧志の街は、さあこれからですよという顔で、あちこちの明かりが輝き始めていた。時計を見ると20時だった。
 郷に入っては郷に従え。おばあの生活や商いのリズムを乱してはいけない。注文しすぎたなと反省した。
 M君がなかなか紹介したがらなかったのは、私たちではなくおばあを心配していたからかもしれない。
 店じまいの早いシークワーサーサワーの、苦くて旨い思い出である。

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金沢で、ウイスキーをもう一度

お酒をほんとうに美味しいと思ったのは、37歳になってからだった――。子育てに奔走した時代から、少しずつ自分の時間を使えるようになって目覚めた「お酒」のこと。時間を惜しみながら飲み始めた地元・下北沢での日々、東京のさまざまな場所、そして金沢や沖縄、秋田、パリやアイルランドなど旅先での忘れられない1杯まで。珠玉の酒エッセイ。

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大平一枝

文筆家。長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に「東京の台所」シリーズや『人生フルーツサンド』『こんなふうに、暮らしと人を書いてきた』『そこに定食屋があるかぎり』など。「東京の台所2」(朝日新聞デジタル&w)、「自分の味の見つけかた」(ウェブ平凡)、「遠回りの読書」(サンデー毎日)など各種媒体での連載多数。

HP:https://kurashi-no-gara.com/

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